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【一一五】【女性の愛憎】

【愛あるいは憎しみを共演者としない女は、凡庸な俳優だ。】




「なんか、ドロドロとしたタイトルだね。昼ドラみたい」

「昼ドラって、ドロドロとした愛憎劇ってイメージがあるけど、見た事ないんだよなぁ。普通の学生生活を送っていたら、まず見る機会がないし」

「私も見た事無いけど、暇を持て余す主婦達が愉しんで見ているんじゃない?」

「偏見だなー」

「このアフォリズムもかなり偏見だと思うけどね。【愛あるいは憎しみを共演者としない女は、凡庸な俳優だ。】だよ? 爽やかな演技が特徴の女優がいても良いじゃない」

「ま、そうなんだけど。古典で考えると、女性の役回りって言うのはやっぱり【愛】か【憎しみ】在り気な気がするけどな。色香で英雄達を惑わして物語を掻き乱したり、復讐の為に利用したり利用されたり、演出として、女の役って言うのはそう言う物が多い気がするな」

「それはそうかもだけど」

「と、別に俺達はドラマの品評をするのが目的じゃあない。これはあくまでニーチェのアフォリズムであり、彼の哲学的思想のメモだ」

「ま、そだろうね。えっと、女性は真理のメタファーで良いんだっけ?」

「そうだな。そして【俳優】と言うのも比喩だ。勿論、良い意味では使われていない」

「確か、前にもあったよね? 俳優だとか、贋金造りだとか」

「ああ。本当の自分を見せないまやかし、或いは力への意思を誤魔化す行為、そう言った物を捕まえてそう呼んでいる」

「そ、そーだった、そーだった」

「つまり『愛と憎しみのない真理なんて、下手糞な嘘に過ぎない』と言う事をニーチェは言っているわけだな」

「なるほど。逆に言えば、『愛と憎しみが人を騙す』って事だよね」

「ああ。中々皮肉が利いていて良いんじゃあないか?」

「愛のある嘘。って言うのは、まあ、割りと吐きがちな気がするね」

「そんなもんか? 俺って、嘘吐かない正直者だしな」

「利人が嘘を吐かないのは、人の気持ちを考えないし、空気が読めないからだよ」

「……え?」

「その人の事を考えているからこそ、嘘を吐いてしまう。真実を言えない。そんな事は割と多いと思うんだよね」

「だったら、今も嘘を吐いて欲しかった」

「まあ、結局、それが巡り巡ってトラブルの種になったりするのがお約束だけど」

「自分が実は両親の本当の子供じゃあなかったとか、暗闇でわからなかったけど殺したのは生き別れた兄弟だったとか、そう言う系の奴だな。そいつの為に誤魔化しているんだけど、ちょっとした拍子で気が付かれてしまい、そして……みたいな」

「おお! なんかありがちっぽいけど、具体的な例えが出て来ない例えだね!」

「それは、褒めているのか? まあ、良い。憎しみのある嘘って言うのは、まあ、語るまでもないな。人を陥れる為の嘘だ。ありふれている」

「その人が嫌いだから、嘘を吐く。わかりやすいね」

「ま、俺は正直者だから、嫌いな奴にも嘘を吐かないがな」

「嘘を吐かないだけで喧嘩を売っていくから、別に利人の善良性を示すエピソードでもなんでもないよね?」

「善良な事に何か意味があるのか?」

「…………ま、兎に角、憎しみから人が嘘を吐く時、それは本気で人を騙す事ができるって事だよね」

「そして、中途半端な嘘は見破られるってわけだ。さて。千恵は『愛と憎しみが人を騙す』と言ったが、正しくこのアフォリズムを語るのであれば『愛と憎しみが産んだ“真理”が人を騙す』と訂正する必要があるだろう」

「あ、確かに【女性】を無視したら駄目だね」

「と言っても、スケールが変わるだけで、別段、違う話をしようってわけでもないがな。愛による最も大きい真理。まあ、間違いなく宗教の事を指しているだろうな」

「宗教と愛が結びつくと、途端に胡散臭く聴こえるのは何故だろう?」

「それは勿論、宗教の言う愛が胡散臭いからに決まっているだろう?」

「えぇ」

「『愛があれば歳の差なんて』って言葉がある通り、愛はたびたび免罪符として扱われる」

「いや、その言葉は多分、そんな意味じゃあないと思うけど」

「もっともわかりやすいのは宗教を発端とした戦争だろう。神の為、信仰の為、或いは国の為、家族の為。そんな言訳を重ねて、ヒトゴロシを肯定する戦争。どっちにも正義があるなんて言うが、どっちにも“愛”があるとも言えるわけだな」

「まあ、宗教戦争とかあるくらいだしね」

「また、“慈愛”“博愛”と言った肯定されている言葉達も、ニーチェから見たら愛に寄り添った役者にしか見えなかっただろう」

「誰かに優しくするのがもう、欺瞞だってこと」

「“欺瞞”か良いチョイスだな。優しさって言うのは、結局の所は施しであって同情だ。自分よりも優れた環境にいる人間に対して、俺達は何かをしてあげようって思うか? 例えば、政治家相手に『うわ。可哀想な人。百円寄付しよ』と思う事は慈愛じゃあないだろう?」

「まあ、そりゃあそうでしょ。政治家だって利人に憐れまれて百円貰ったらびっくりだよ。多分、缶ジュース奢ってくれるよ」

「だが、アフリカの恵まれない子――この言い方がそもそも傲慢極まりないけど――に『うわ。可哀想な人。百円寄付しよ』と心動かされる事は悪い事じゃあない」

「利人の言い方にちょっと引っかかりを覚えるけど、そうだね」

「同じ同情から産まれた一〇〇円の寄付でも、政治家に対して行う場合と、貧者に対して行う場合ではまるで意味が違って来る。これは何でだと思う?」

「いや、そんな当たり前の事を聞かれても……」

「そう。当たり前ななだ。弱者に優しくする事こそが“愛”だと教えられるからだ。何故? どうしてそんな風に当たり前に人は思う?」

「言いだしっぺが、弱者だから?」

「そう。まさしく負け犬側だったユダヤ人達は、その弱さその物を“正義”とした。そして、正義の体現者である自分達に施す事を“善”と呼んだ。“愛”と呼んだ。それがキリスト教の始まりだ」

「じゃあ、憎悪は何処から来たの?」

「同じ場所から」

「ん? 愛と憎悪が同じ場所で同時に発生したって事?」

「だってそうだろう? 負け犬だからこそ、勝ち豚共から奪いたいと思うし、蹴落としたいと思う。だからこそ、勝者が敗者に施す事を肯定した。自分達のプライドが傷つかないように、正義の元でな」

「負け犬の対義語って勝ち豚なの!?」

「『この負け犬が!』に対して、『黙れ! 勝ち豚ぁ!』とか言って逆転したら格好良くない? 痩せた犬と太った豚って言うビジュアル的な所もイイ……」

「完全にニーチェと関係ない利人の趣味の話だった! えっと、話を戻すと、社会的な弱者は、自分達に施すことを“愛”と呼ぶようにしたんだよね? でも、それは自分達でない誰かが勝者である事に対する“憎悪”があったから。だからキリスト教的な“愛”は、“憎しみ”と根っこを同じくする原理、って事で良いのかな?」

「そんな感じだな。愛憎半ばですらない、愛憎同一。ニーチェが同情を嫌う理由であり、愛すらも否定する意味だ」

「じゃあさ、真理でない“愛”って言うのは何なの?」

「そんな物があるわけないだろう?」

「そうかな? それでも愛は確かにあると思うけど?」

「なら、それもまたアリだな。愛はあるよ」

「珍しく玉虫色な答えだね? その心は?」

「【世界は不条理であり、生命は自立した倫理を持つべきである】とニーチェは言っている。だから、千恵が心の底からそう思えるのなら、なんでもアリだ」

「ああ、真理なんてなくて、全ては許されているんだったね」

「残酷だろ?」


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