【一一三】【当惑の力】
【「君は彼に気に入れられたいのか。それでは彼の前で当惑してみせるがよい――」】
「ニーチェってこう言う女の子が好きだったのかな? そんな【一一三】【当惑の力】」
「え? これニーチェのタイプの女の子を紹介してるの?」
「勿論、そんなわけない」
「だよね」
「だけど、まあ、でも、その、なんて言うか、すっげー良くわかる」
「珍しく曖昧な物言いだね。当惑している系女子が好きなの?」
「何だよ、当惑している系女子って。どんな女子だ。俺が当惑するわ」
「あ、当惑がゲシュタルト崩壊してきたかも」
「このくらいの量じゃあしねーよ! で、だ。話を進める前に少し話させてくれ。いや、こんな事を言うと女性差別だとか蔑視だとか言われるかもしれないけど、アホな女の子は可愛いんだよ。多分、何処の世界でもこれは変わらないって思う。なんでこんな事を急に言ったかと言えば、当惑って“どうして良いかわからずに戸惑っている様子”だろ? それがアホっぽければ尚良いってことさ。ATMの使い方がわからずにずっと格闘してるとか、地図が逆さなのに気付かずに迷い続けているとか、自分の作った料理のまずさに驚いているとか、そう言うのを見ると保護欲が掻き立てられると言うか、俺がどうにかしなくちゃと思う。ちなみに“カマトトぶる”って言う日本語は“カマボコが魚だなんてしない振りをする”って言う遊女を指す言葉で、昔から日本の男はアホな女の子が好きで、女性はそれを利用して何時も逞しく生きて来たみたいだ!」
「…………未だかつてなく、早口で喋ってびっくりだよ! 相槌を挟む間もない! クーガーの兄貴かと思った!」
「まあ、冗談は脇に除けておくとして、この断章では【当惑】について語っているわけだ」
「もう十分語ってくれたよ。お疲れ。今日は解散して、明日の午後一時に再集合ね」
「じゃあ、話しながら帰ればいいな。大丈夫、次からは真面目にやるから」
「いや、結構今の話、面白かったからいいよ。カマトトぶるってそう言う意味だったんだ」
「日本語も深いよな。さて、このアフォリズムは個人的に色々な解釈ができる物だと思っているんだが、例えばこの【君】を女だとしよう」
「【彼の前で】とか言っているし、普通に考えて女性に向けたアフォリズムだよね。いや、そんな風に言うと、今はLBGTが煩いかも」
「“LGBT”な。順番途中で入れ替わってるじゃねーか」
「そうだっけ? でも、Lesbian、Gay、Bisexual|Transgenderでしょ? 順番が大切なの?」
「大切かどうかは知らんが、この順番で認知されているの!」
「でもさ、女性を最初に持ってきている辺り、女性差別に気を使って、逆に差別みたいになってない? まあ、それを言う事自体が女性差別的な気がしないでもないけど」
「その通りだけどさ、その話は今必要!?」
「後、ニーチェの話には全然関係ないんだけど――」
「じゃあ、今じゃなくて良くない!?」
「――“ハラスメント”が増え過ぎて、“ハラスメントハラスメント”が社会問題になりそうじゃない? なんかもう、言った者勝ちじゃない? 差別にせよ、ハラスメントにせよ」
「そんな風刺の利いた話はどうでもいいだろ!」
「確かに」
「他人事みたいな冷静な相槌をありがとう。なんで【君】が男か女かでこんなに疲れるんだよ。で、だ。この【君】が女だった場合、この断章はどうなる?」
「どうなるって、別に変らないんじゃあない? 【困惑】することで女は男の興味を強く惹くことが出来るって意味でしょ?」
「勿論。だが、半分だ。女は“真理”のメタファーでもある」
「前も言っていたね、そんなこと」
「女性が強い男を好むように、真理は強い男に寄り添う。それがニーチェの考える真理の在り方のようだ」
「なんて言うか、よく分からない表現だよね」
「って、言うと?」
「いや。“真理”なんて大仰な物をさ、女の人に例えるってことは、女性を強さの象徴と扱っている様に思えるでしょ? でも、強い男に寄り添う物だって表現はさ、一昔前の女性を家の中にいれば良い、みたいな男性優位な思想にも聴こえるし。で、今回は真理に向かって【当惑】しろ。真理って、困ったりするの?」
「うーん。あくまで真理について言うなら、ニーチェはハッキリと軽視しているだろうな。“真理などなく、全ては許されている”とは何度も何度も繰り返して来たように、根本的にニーチェは真理を否定している。軽視しているし軽蔑視している」
「軽んじて、蔑んでいる……」
「こっちは散々ってほどじゃあないが、【遠近法】って奴だな。結局、真実は一つでも解釈なんて無数にあるし、確かなものなんて存在しない」
「色即是空だね」
「そ。東洋哲学はニーチェよりも二〇〇〇年は早く辿り着いているんだけどな」
「遅れてるぅ~」
「キリスト教の思想とまったくそりが合わないからな。まあ、西洋と東洋、どっちが正しいなんてのもないと思うけど。兎に角、ニーチェにとって真理とはそんなものだ。『お前がそう思うなら、そうなんだろうな。お前の中で』が、真理だ」
「解釈が雑過ぎる!」
「で、世の中で真理と言われている物に目を向ければ気が付く」
「何に?」
「偉い奴が言っているから真理なのだと」
「?」
「例えば“人を殺してはいけない”こんなもん、言われなくても殺さねーよ! 勝手に決めんな! と俺なんかは思うんだけど」
「アナーキーだなぁ」
「結局の所、国が言っているから従っているだけで、小学生でも反論できるガバガバな意見に過ぎない。神様がいるってのも、教会って言う権威がそう言っているからであって、実際に神様と肩を組んだ写真をブログに上げた奴もいない」
「握手して写真撮った人もいないと思うけど?」
「明らかに無茶苦茶な出鱈目が、真理だと思われているのは、真理だと主張する奴が強いからに他ならないわけだ。町内のお爺ちゃんが神様を見たと言っても、誰も信じないだろう?」
「お迎えが近いとしか言えないよ」
「だから、真理は強い奴の傍に在る。だから、ニーチェは真理を軽視する」
「ってなると、真理に【当惑】して見ろって言うのは?」
「物事を真理にしたいのであれば、強者の影響が必要不可欠だ。が、強者は真理に基本的に興味がない。その男にしてみれば、真理であるかないかなんて、自分の匙加減一つだからな」
「それで【当惑】をすれば興味は引けると」
「ああ。誰の庇護かになく困惑する意見は多少の目を引くだろう。少なくとも、完全な物だと主張する他人の真理よりも、手つかずの真理は可愛げがある」
「まあ、手垢のついたお話しよりは、欠点がっても斬新な物が見たい時もあるかな?」
「そんな意見を、力や才能のある人間が興味を持って拾い上げてくれたら、そいつは新しい真理になれるのかもしれない。さて、じゃあ、真理って何だ?」
「…………物事を決めるのは善悪でなく、力を持った人と言う事?」
「私見だけどな。不完全な物でも完全に見せる事は出来る。案外、人間ってのは完璧を選ばない。欠点こそ愛する。そして前にも言ったが、人間はついつい【信仰】してしまう。大して考えないから簡単に信じて騙されて、それが自分の意見になっちまう。そう言う、警告を俺は感じた。真理に見える物は、実際は大した事がないって」
「真理にこそ、気を付けないといけないってのも、何か皮肉な話だね」
「綺麗なバラには棘があるとも言うしな。それに、美人が話しかけてきたら裏があると思うだろう?」
「利人ったら私と話す時、そんな事考えていたの? 馬鹿だなぁ」
「え?」
「え?」
「んん?」
「んん?」




