【一一〇】【弁護人の手腕】
【犯罪者を援護する者が、その犯罪の美しき悍ましさを利用して、犯罪者の行為を弁護する程の手腕をもっていることは稀である。】
「完全に、前(【一〇九】)と関連したアフォリズムだよね、コレ」
「そうだな。この二つだけが犯罪者について語っている」
「前も言っていたけど、本当? 後から見つからない? 記憶力に自信があるのは知ってるけど」
「多分、な。それよりも問題は、アフォリズムの内容だろう?」
「えっと、今回は犯罪者を弁護する側に対する指摘だね。ぶっちゃけ、弁護士って今一必要性がわからない職業だよね。スポーツで言えば、ルールはあるし裁判官が審判役でしょ? 弁護士次第で罪が変わるなんて、ルールの方に問題があると思うんだけど」
「それは俺も思っていたし、その通りだと今でも思うが、法律も完璧じゃあないって事で置いといて、今はアフォリズムの内容だろう?」
「えっと、【犯罪者を援護する者が、その犯罪の美しき悍ましさを利用して、犯罪者の行為を弁護する程の手腕をもっていることは稀である。】か。今回は一文だね」
「パッと目につくのは【美しき悍ましさ】だな」
「『悍ましい』なんてラヴクラフトの小説でしか見ない漢字だよね」
「そもそも普通に暮らしていたら『悍ましい』なんて耳にする機会すらなさそうだよな。ま、嫌悪の物凄いヴァージョンと思えば間違いはないだろう。だから、【美しき悍ましさ】って言うのは矛盾と言うか、中々に捻くれた表現だ」
「そう言う所も、クトゥルフっぽいね。つまり、これは犯罪の中に隠れる宇宙的恐怖について語られたアフォリズムって事?」
「何が『つまり』何だよ……。って言うか、ニーチェの没後だからな、クトゥルフは。だから、今回は関係ない。ただ、ラヴクラフトの作品が欧米圏で衝撃的だったのは、神(GOD)を邪悪と言うか、気まぐれと言うか、既存の物とはまるで違った姿で描いたからであり、ある意味で“神は死んだ”と同じだと言えるかもな。二〇世紀の始まりは、神の死から始まったのかも」
「脱線してる、脱線」
「おっと。で、この【美しき悍ましさ】は単純に二つの視点から見たから、二種類の反する言葉が出て来ていると考えるべきだろう」
「片面から見ると美しく、反対から見ると悍ましいって事?」
「そう。真実は何時も一つだが、解釈は無限にあるわけだ」
「片方は簡単だよね。犯罪って言うのは忌避すべき事。常識的な一面で見れば、犯罪は非難の対象だよね」
「対して、美しさ。これは【一〇九】と関連付けて考えるべきだろうな」
「お隣さんだしね」
「叛逆の意思、なんて言うと格好を付け過ぎだが、犯罪は現行の社会体制に対する明確な批判だ。世界よりも自分の正しさを主張する事であり、世界に頼らない自身の在り方を求めるが故の行動だ」
「立派に言い過ぎだよ、犯罪だよ?」
「だが、法律そのものが変われば犯罪じゃあないかもしれない。過去には決闘を行う為の法律が存在した事もあるし、バイクのヘルメットを被らなくても良いって法がある場所もある。結局、人間の些事加減一つだ」
「納得いかないなー」
「罪を作ったのは神の野郎ではなく、人間だって話さ」
「うーん。余計にわからなくなったかも。ま、それで? 犯罪には両面があるって話だけど、それがどうなるんだったっけ?」
「その事を利用して【犯罪者の行為を弁護する程の手腕】を持った弁護士は少ないってニーチェは言っている」
「要するにさ、前回の続きだよね? 成熟した犯罪者であるならば、その犯罪は犯罪じゃあなくなって、正当な手段になる。じゃあ、ニーチェの言う素晴らしい腕を持った弁護士は、未成熟な犯罪者の罪から正当性を見抜き、社会の矛盾や不平を取り除く人の事を指すんだね」
「そう。ソクラテスならば『悪法もまた法である』なんて言うんだろうがな」
「法廷でそんなこと言い始める弁護士ばかりだったら、裁判官は困っちゃうだろうね」
「そうだな、困るだろうな。司法そのものに対して疑問を呈されてしまったら、どうしようもない。誰も何が正しいなんてわからないわけだから」
「『犯罪が悪い事だ』って言う前提条件に文句つけられたら、どうしようもないもんね」
「…………前回と内容が被っているから、特にもう話すことはないな」
「って言うか、基本的に同じ話ばかりしてるよね。同じ本について語っているんだから当然だけど」
「だな。じゃあ、話を【道徳の系譜学】に少し向けて見るか。そこにはこんな一文がある【刑罰は人間を手なずけはしても、人間を「より善く」はしない】ってな。本当は【一〇四】の時に話したかったんだが」
「えっと? 何の話だったけ?」
「【人間愛の無力】だ」
「あ! 処刑がどうのこうのと話奴だ」
「犯罪者とか弁護とか言ってるし、暇潰しがてらに触れておこう」
「死刑反対派が読んだら喜びそうな文章だね」
「そうだな。一見するとそう思う。わざわざ括弧で【「より善く」はしない】と書いてあるぐらいだから、刑罰が人を善くしないとニーチェは言っている様に見える」
「引っかかる言い方だなぁ」
「これは単純に詐欺師の手口と言うか、文章の終わりが【人間を「より善く」はしない】だから、刑罰に反対している様な印象が強いけど、前半部分はどうだ?」
「前半部分では【刑罰は人間を手なずけはしても】って書いてあるね」
「そう。つまり秩序の為に刑罰は必要だと言う文章にも見える。実際、俺がいつだかに調べたカナダのデータによると、死刑には凶悪犯罪に対する抑止力が認められなくもなかった。って言うか、一切の罰がなければ、間違いなく犯罪者は増える事は目に見えている」
「そりゃそうだ」
「だから、前半部分でニーチェは刑罰に賛成しているとも取れる」
「でも、後半は『善くしない』と批判もしていると」
「これも良くわかるだろう? ルールが増えれば増えるほど、その間隙を突いて楽をしようって魂胆の連中が増える。そしてその為のルールが更に増え、一般人では理解できないまでに複雑化してしまう。これは少しも善いことじゃあない」
「弁護士が必要な理由の話?」
「いや、暇潰しさ。後は、大した罪に問われないからと理解した上での少年犯罪も、罰則が弱いが故の物だろ? 問答無用で死刑だったら、そう言う連中は減る」
「刑罰があるから、人は秩序の中で行動できるけど、それが故に人間は善くなれない……って言うか、あれか。ルールの中で収まるように行動しちゃうわけだ。だから、【より善く】ならない。何処かで、ブレイクスルーが必要だ」
「そう。ルールは必要だが、でも、それを超えた場所――善悪の彼岸にもまた、俺達に必要な物がある。俺が言う『真実などない』って言うのはそう言う意味でもあるし――」
「――『許されている』って言うのは挑戦をしろって意味なんだね」
「そう言う事」
「具体的には?」
「水泳のバタフライってあるだろ?」
「え? 急に水泳の話?」
「アレ、元々は平泳ぎなんだ」
「全然動きが違うよ!?」
「いや、うつぶせで左右の動きが一緒だろ? 確か、ドイツ人がオリンピックでそのバタフライもどきで銀メダルを取って、二十年後には平泳ぎの大会で皆バタフライを泳いでいたらしいぞ」
「ま、そりゃあバタフライの方が早いからね。反則だよ、反則」
「早いから反則って言うのも妙な話だけどな。っと、結構喋ったな」
「余談の方が長いまであったね」
「じゃ、今回はこの辺で」




