【一〇八】【道徳的な現象】
【道徳的な現象などと言う物は存在しない。あるのは現象の道徳的な解釈だけだ……。】
「思うに、この【道徳的】って文言は他の言葉に変えた方が説明も楽だな」
「って言うと?」
「例えば『楽観的な現象などと言う物は存在しない。あるのは現象の楽観的な解釈だけだ……』みたいにな。著書のタイトルと合わせて【道徳】としているが、そこまで難しく考える必要はないと思う」
「えーっと、どう言う事?」
「良くある話だと『コップに半分に入った水』の話があるだろう?」
「『まだ半分残ってる!』」
「って思うか『もう半分飲んじまった』って思うかはその人次第だろ?」
「楽観的に捉えるか悲観的に捉えるかによって、水の価値も変わって来るよね。ちなみに利人はどう思う?」
「いや、『ああ、半分だな』って」
「現実的な答えだね。おもしろくない」
「大抵の場合、現実って言うのは退屈な物さ。さて。このアフォリズムは要するに、このやり取りを【道徳的】に考えたヴァージョンだな」
「そう言われると、急に意味不明になるんだけど」
「結論から言うと、『コップに入った半分の水はコップに入った半分の水であってそれ以上でもそれ以下でもない』『そこに何かしらの意味を見出すのは人それぞれの遠近法でしかない』って事だな」
「いや、そんな当然のことを偉そうに言われても、困るんだけど。って言うか、久しぶりに遠近法って聴いた気がする。最初の頃は割と使ってたよね? 何で?」
「漫画とかでもあるだろ? 最初の内は使われていたけど、中盤以降はあまり使わなくなる技とか、口癖とか。アレと一緒だ。後は、キャラクターの服装がどんどん簡素になったり、髪型が単純になったり。余計な情報が多いと面倒臭いからな」
「そんな漫画家の悩みみたいな理由!?」
「キリスト教批判の方が話していてキャッチーだったから、忘れていたってのもある」
「えぇ。杜撰だよ、話の運び方が」
「復習がてらニーチェの言う“遠近法主義”を軽く説明してくれるか?」
「んー。良く覚えてないけど、簡単に言えば人それぞれの主観によって見え方は変わるって話でしょ? 私から見れば魚は食べ物だけど、牛から見れば魚は食べ物には成りえない。物事に真理なんてない、って感じの言葉だったっけ?」
「合格点をやろう」
「いえい」
「千恵の言う通り、人は何処まで突き詰めても主観的な存在であって、客観的な事実なんて物は存在しない。ニーチェは真実や事実すらも“解釈”でしかないと言うわけだ」
「…………でも、これってさ、数学とか化学はどうなの? 算数の計算とか、化学反応とかは絶対じゃないの?」
「わからんぞ? 案外俺達が教科書とかで洗脳されているだけで、実際は数字や化学反応ではなく、妖精さんによって世界が回っているだけかもしれない」
「ちょーっと無理ない?」
「まあな。でも、その可能性も捨てきれないだろう?」
「きっぱりと捨てておこうよ……絶対に邪魔だよ」
「この辺りが哲学を軽視する人が少なくない理由でもあるのかもな。そしてニーチェも自分より以前の哲学に否定的な人だった。だからこそ、哲学の常識に対して哲学を用いて批判を行ったわけだ」
「わかる様な、わからない様な理屈だね」
「それに、このアフォリズムは正に知恵が言った様な疑問を【道徳的な現象】に対して突き付けているわけだ」
「えっと? 私は何を言ったんだっけ?」
「即物的な視点と言うか、現実的な意見と言うか、だ。さっきのコップの水に対して、俺が『半分だな』って言ったのとも同質だ」
「アーナルホドナー」
「この【現象】って言葉がちょっと難しいが、まあ、そうだな。例えば俺がコンビニで募金箱に釣銭を入れたとしよう。千恵は俺の事をどう思う?」
「んー。小銭が増え過ぎたのかなーって思う」
「…………俺はアフリカだか何処だかの子供達に同情して入れたんだ。優しいだろう?」
「ん? それってどういう事?」
「何が?」
「いや、利人が見ず知らずの子供達に同情して募金するって日本語の意味が良くわからないんだよね」
「…………例が悪かったかな? ちっちゃな女の子が、コンビニの募金箱に釣銭を入れた。この時知恵はこの女の子をどう思う?」
「優しい良い子だなーって思うけど?」
「…………」
「…………利人はどう思うの?」
「…………女の子が小銭を募金箱に入れたなーって思う」
「そのまま!?」
「いや、そのままも何も、事実、女の子が小銭を募金箱に入れただけだから」
「いやいや。ちっちゃい子が募金するなんて立派だよ。利人も見習ったら?」
「何で、立派なんだ? その子はただ単に小銭同士がぶつかった時の音が好きなだけかもしれないぞ? 或いは、几帳面で募金箱の小銭の合計が丁度五〇〇〇円になる様にしたかったのかも」
「そんな女の子嫌だ! 可愛くない!」
「それはお前の主観でしかない」
「うぐ。まあ、そうだけど」
「少女の募金と言う行為は、ただの募金と言う行為だ。しかし俺達はその行為に、彼女の慈愛溢れる行動だと、そこに【道徳的】な意味を付与する」
「話の流れがわかったよ。要するに、私達が思う【道徳的】な素晴らしい行為は、私達が勝手に思い込んでいるだけって言うんでしょ? 物事に勝手な価値を付随させているんだって。後は貧乏にがなんちゃらとか、貴族への恨みがうんたらとか、そんな感じで、キリスト教を悪物にするんでしょ?」
「それも、お前が持つ色眼鏡で俺の考えを言っているだけな気がするんだけど……」
「でも、そう言う事でしょ?」
「そうなんだけど」
「ほら。じゃあ、おしまい!」
「いや、もう少しだけ語らせて貰うぜ」
「ザ☆蛇足だね」
「例えば、さっきの女の子の例だけど、別に【道徳的な現象】と言うことで良いんじゃない? って思っただろう? わざわざ【道徳的な解釈】にするよりも【現象】とした方が世界は平和な気がしないか?」
「まあ、それはするよね。『彼女は優しい女の子なんだなと思いましたまる』って言う小学生並みの感想で終わらせても誰も損しない気がするんだけど」
「それは違う。一人だけ損と言うか、酷く惨めな扱いを受けている」
「誰? って、女の子しかいないか」
「そう。『優しい良い子』と言う【現象】として募金をしただけの少女、彼女が被害者だ」
「それってどう言うこと? 消去法的に女の子だとはわかるけどさ」
「ニーチェが同情を嫌う原因の一つでもあるんだが、相手の事を想うと言うのは相手の事を無視するのと同義だ」
「え」
「女の子が募金した理由はわからない。本当に善意からだったかもしれないし、俺がふざけて言った理由かもしれない。その心は彼女しか知らない。なのに『良い子』と勝手に決め付ける。この瞬間、人は彼女の事を彼女ではなく、『良い子』と言う名の“現象”に落とし込んでしまう。これは一番やっちゃあいけないことだ。レッテル貼りも良い所だ」
「だから、あくまでも個人の“解釈”でしかないってニーチェは言うわけ?」
「ま、俺がそう読み取ったってだけで、実は違うかも知れんがな」
「でも、言われて見ればそうかもね。私も気を付けないと」
「ただ、これってあくまでも白人のニーチェの考えだからな」
「ん?」
「ほら、あっちの人って言うだろ? 『自分の意見を通す事が大切』『言いたい事をズバッと言うのが美徳』だとか『全体より個人』『日本人の本音と建前がわからない』とか」
「え、ええ。聴いたことあるかも」
「これって、コミュニケーション能力の質が日本人と外国人じゃ微妙に違うって事だと思うんだよ」
「それで?」
「白人連中がコミュニケーション障害なだけで、それは考え過ぎなだけかもしれん」
「それこそ酷いレッテル貼りだよ!」




