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【一〇七】【強い性格】

【最善の反証にも耳を塞ごうと決意することは、強い性格を示すものである。ときにはそれは愚鈍への意志ともなりうるのだが。】




「突然なんだけどね、私のお爺ちゃんがこないだ『ネットの宝籤に当たった』って言いだしたの」

「本当に突然だな。それで? なんか俺に奢って来るのか?」

「私に分け前が来たら奢ってあげてもいいけどさ、望み薄だよ?」

「何だ? 二〇〇〇円とかだったのか?」

「ううん。五〇〇万円だって」

「それはまた随分な大金じゃねーか。千恵の爺様は千恵に甘かったし、結構な額を融通してくれるんじゃあないあ」

「私もそう思うよ。それが本物ならね」

「あ、そう言う落ち」

「そう言う落ちなの。買った覚えもない宝籤でね、現金化するのにはお金を振り込め云々って奴」

「なるほど。良くある詐欺だ。ちゃんと止めたのか?」

「勿論。でも、『もしかしたら』とか言い始めて、中々諦めてくれなかったのよね」

「へえ。確か、高名な脳外科医だったろ? お前の爺様。そんな人でも詐欺に引っ掛かりそうになるもんなんだな」

「そうなの。それが本当にもう、頑固。私が止めなきゃ振り込んでいたね。間違いない。ニーチェだったら【最善の反証にも耳を塞ごうと決意することは、強い性格を示すものである。ときにはそれは愚鈍への遺志ともなりうるのだが。】って言ってたんじゃない?」

「…………いや、紹介までの小芝居がなげーよ! わざわざカンペまで作って茶番やらせること!?」

「偶には違うパターンもやらないと、飽きられちゃうから」

「と、言うわけで断章【一〇七】は【強い性格】だ」

「切り替え早っ! そう言う所も嫌いじゃあないけど!」

「俺も自分の性格が大好きだ」

「そう言う所は引く」

「まあ、雑談はこの辺にしておこう。別に年寄りに限ったことじゃあなく、我の強い奴っているよな? 頑固者とか、頭が固いとか、柔軟性がないとか、なんとなく『かたい』ってイメージが付き纏うよな」

「私のお爺ちゃんは別に特別頭が固いわけじゃあないとは思うんだけどね」

「歳を重ねると、素直にアドバイスに耳を貸せなくなるものみたいだな。まあ、俺だって小学生に間違いを指摘されたら素直に『ありがとう。助かったよ』とは言えない気がするし」

「確かに。自分の半分も生きていない人間から助言をされても素直には受け取れないよね」

「そう、それが【最善の反証】であったとしてもな」

「要するにこのアフォリズムは『頑固者だと損をする』って事でファイナルアンサー?」

「『ファイナルアンサー』は古い。本当に同じ歳なのか?」

「理解できてるじゃん、利人もさ」

「それもそうか。そして、頑固者が損をする程度のことをわざわざニーチェは言わない。それこそ、お爺ちゃんが教えてくれそうな話じゃねーか」

「正に私は冒頭の件でそれを学んだんだけど、違うの?」

「このアフォリズムを語る上で考えなくてはいけないのは、【最善】や【強い】と言う言葉の意味だろうな」

「ん? 【最善】や【強い】にそれ以外の意味があるの?」

「ああ。例えば、苦しんで困っている人がいたら助けて上げるのが道徳的な『善』だろう?」

「あ、そう言う事ね。でも、その『善』はキリスト教的な弱者の価値観から産まれた『善』なんだよね。ニーチェは、その同情を『善』とは呼ばないんだ」

「そう。この世に蔓延る弱者の【最善】なんてニーチェにしてみれば不純なモノだ」

「んん? じゃあ、このアフォリズムの【最善の反証にも耳を塞ごうと決意することは】って言うのは、『周囲のアドバイスを聞かない奴』って意味じゃあなくて、『世の中の固定概念に捕らわれない人間』って考えれば良いの?」

「少なくとも俺はそう考えた。【強い性格】って言うのは、『頑固』を示すんじゃあなくて、善と悪も関係ない彼岸へと足を進める意志を示している。暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事が出来る人間を称えているわけだ」

「ふむふむ。じゃあ、前半部分は『自由に物事を考えるには、周囲の声を無視する強い意志が必要だ』ってわけだ。まあ、確かに言われてみれば、世の中正しいと思っていた事が実は間違っているとか結構あるかもね。教会の教える天動説は実は間違いだった……みたいなこともあるしね」

「そうだな。後は胡散臭い宗教に嵌った奴が、教祖の言う通りにして家庭を滅茶苦茶にして借金をこさえちゃう、なんて話も珍しくない。誰かの最善が、自分にとっての最善になるとは限らないこともある」

「自分にとっての最善を探して、その意思を貫く事が時として必要になるんだね。なんか、『頑固者は損をする』って言う最初のイメージと全然違う結果に落ち着いちゃったね」

「……いや、実がそうでもないんだよな」

「って、言うと?」

「いや、冒頭のお前の爺様の件も、真実だ。間違いなく、爺様が自分の意思を貫いていたら、一週間後位に新聞にこっそり取り上げられていた案件だろ」

「まあ、そうだろうね。私は新聞なんて読まないけど」

「【ときにはそれは愚鈍への意志ともなりうるのだが。】は正にそう言うことだ。自分の意思を貫いた所で、それが必ずしも【最善】の結果を産むとは限らない。むしろ、愚か者にしてしまうだろう」

「あれ? 話が結局戻って来てない? 【最善の反証】にもしっかりと耳を傾けないと駄目って事でしょ?」

「まあ、ケースバイケースな所はあるな」

「えぇ。なんてハッキリしないアフォリズム」

「キリスト教は嫌いでも、キリスト自体は好きだったりするって話は何度もしただろ?」

「それも納得いかない話なんだけど……」

「漫画は好きでも、その漫画のファンは嫌いだったりするだろ? 最近では『信者』って言うべきか?」

「な、なるほど」

「ただ、ニーチェのスタンスとしては、やっぱりあまり世間の常識や助言は気にし過ぎるな、って言うのがメインだろうな。【世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし自分で耳に栓をしているのである】と言っているくらいだからな」

「おおう。完全に世論反対じゃん」

「あくまでも『考える』と言う行為は、自分の内側で行うべきだと言うニーチェの熱い思想が伝わって来る箴言だろ?」

「でも、今回は【愚者への意思】とも言っているし、完全にそう思っていたわけじゃあないんじゃない?」

「うーん。それこそ解釈によるな」

「解釈?」

「ああ。【強い性格】が【愚者への意思】となる。千恵が言うように『頑固も困りもの』って意味としても別に問題はないと俺も思う。そっちの方が一般的に意味も通じる。けど、【最善】や【強い性格】がそうだったように、【愚者】もまた、ニーチェ流の解釈をするべきって考えもある」

「【愚者】も?」

「例えばだぜ? 『世間で正しいと思われながら実際は間違っている事』を『間違っている』と言って【愚者】呼ばわりされるのは恥か? 誰一人として賛同してくれなかったとしても、自分が正しいと思えることを主張することは正義じゃあないのか?」

「『それでも地球は回っている』って?」

「そう言う事だ。そう言う状況を耐える事ができるなら、本当に【強い性格】だって言えるだろうな」

「なるほどねー。愚かな正義であるか、正しい悪物であるかって感じだね」

「何が正しいのかは、結局自分で決めるしかないんだよな」


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