【一〇六】【音楽の力】
【音楽の力を借りて、情熱はみずからを享受する。】
「音楽に何かしらの力がある、と言う言葉を否定する人間はそうそういないだろう。ニーチェも音楽に何かしらの力を感じていた人間の一人だった」
「この箴言はわかりやすいね。『Power in da Music』『No Music Nolife』って事でしょ?」
「まあ、そうだな。ニーチェは優れた古典文献学者であると同時に、ワーグナーの大ファンでもあった時期がある。『ワーグナー』って動画サイトで検索すればその著作には簡単に見つかるだろう。作詞家であり、指揮者でもあり、劇作家でもあり、劇場のオーナーでもあった。“楽劇王”なんて呼ばれていたりもするな」
「クラッシックなんて聞かない私でも、何曲かは聞いたことがある曲があるくらいだもんね」
「ま、当時はそこまでメジャーってわけじゃなかったみたいなんだけどな」
「そうなの?」
「ほら、日本でも『ギターやると不良になる』とか言われていただろ?」
「いや、そんな時代知らないよ。利人、もしかして歳サバ読んでる?」
「俺だって直接はしらねーよ! そう言う時代があったの! 新しいモノに拒否から入る姿勢! わかるだろ?」
「まあね。私も最近瘡蓋は剥がした方が実は良いって保険の先生に言われて『嘘だ』って否定から入っちゃったからね」
「そんな感じで、当時最先端だったワーグナーの作品は、若者を中心として人気を得たが、年嵩の層には今一だった」
「で、才能溢れる若者ニーチェはド嵌りしたんだよね」
「そうそう。で、自分の論文にも名前を出して褒めちぎって、そして教授達から不況を買って古典文献学者としての道を閉ざされたわけだ」
「うーん。偉人にありがちそうなエピソード」
「と、この様にニーチェの約束されていた大学教授の地位をブチ壊す程に、音楽には力があるわけだ」
「って言うか、この箴言ってこれ以上話すことある? ニーチェの半生を語るのも良いけど、どうしてもこの箴言が隠れちゃうし」
「いや、まだ何も語ってないから。これから解説だから」
「あ、他にも意味があるんだ、この箴言」
「あるさ。【音楽の力を借りて、情熱はみずからを享受する。】この【享受】って言うのは、『受け取って受け入れる』って意味だ」
「うん。じゃあ『情熱は音楽によって、自分自身を受け入れる』って事なんだよね? 真面目に考えるなら『自分の想いとか気持ちを正直に受け入れるには、音楽が必要だ』ってこと?」
「中々詩的な事も言うじゃないか、千恵」
「茶化さないでよ。もう。言葉にしないと伝わらない事ってあるけど、それって自分に対してもそうでしょ? 頭の中でグダグダ考えていても、まとまんないじゃん。そういう時って、私はヴァイオリンを我武者羅に弾くんだけど、そうするとなんとなくすっきりして、ちょっと違った視点が見えて来るんだよね」
「……どうして千恵のヴァイオリンの腕と歌唱力は比例しないんだろうな」
「……利人の能力と人格が比例しないのと一緒じゃない?」
「…………こいつぅー」
「…………あははぁー」
「でも、確かにそう言う事ってあるよな。ただ絶叫するだけでも割と心は落ち着く」
「人類最初の唄って言うのは、案外そう言う叫びから始まったのかもね、言葉よりも早く」
「かもな。つまり音楽と言うのは自分の中の底に在るモノを呼び起すツールであるとも言えるわけだ」
「正しく自己表現って奴だね」
「ならば、他人の音楽を聴く事で、俺達にはどんな変化が起きるだろうか?」
「そりゃあ、感動的な歌を聴けば涙するし、陽気な音楽なら笑うんじゃない?」
「じゃあ、その涙は歌によって流れ出たのか、それとも自分の中から発露する感動のあらわれか、どっちだと思う?」
「分ける意味あんの? 歌によって感動して、涙するんでしょ?」
「そうなんだけど、人によって感動したり感動しなかったりもするだろう? 例えば動画投稿サイトで爆発的な人気を誇るギャグを見ても、笑う奴も笑わない奴もいる」
「それは個人差って奴じゃないの? 全員が全員、同じリアクションを取ってちゃあ、人類に進歩はないだろうし」
「それもその通りだ。同じ原因からでも、違う結果が出ることがある。これは千恵の言うように個人の違いが原因だろう。泣く事が出来る人間と、出来ない人間が世の中にいて当然だし、自然だし、それが必要だ」
「って事は、『音楽に感動して泣く』じゃあなくて『音楽に感動して泣ける人間が音楽に感動して泣く』って利人は言いたいわけ?」
「その通りだ。ニーチェは人間って言う存在は最初から全てを持って産まれて来ると考えていた節がある。俺達が『得た』と思っている感情は、実は『内から溢れ出した』結果に過ぎないとな」
「ん? どう言う事?」
「話は【永遠回帰】に繋がるんだが、例えば、自由ヶ丘利人は既に何万回も過去も未来も体験して此処に生きている。何故なら時間と言う概念は直線的ではなく繋がっていて、循環しているからだ」
「うんうん」
「つまり、俺がこれから体験“する”事は、既に体験“した”ことであるわけだ」
「うん……うん?」
「これはプッチ神父に言う『天国』で通じれば説明は簡単なんだが」
「うん。完全に理解できた」
「そ、そうか」
「私達は既に一度経験した人生を、もう一度まったく同じに繰り返しているわけだね。だから、私が体験“する”事は、既に体験“した”ことになる」
「うん! それ俺が説明した言葉とそんなに変わらないよね?! 『プッチ神父の天国』だけでこんなに話がスムーズに進むとは思わなかった!」
「これを読めばもっと利人の話がわかる、『ジョジョの奇妙な冒険 第六部 ストーンオーシャン』絶賛発売中!」
「何故か宣伝もした所で話を続けよう。俺達は既に自己の人生経験の全てを内に秘めている。そして当然ながら自分の中にある物で人生を過ごすしかない。だから、俺達が音楽を聴いて感動する時、それは自分の中の自分が感動しているってわけだ」
「逆に言えば、自分の中に震えるモノがなければ、他の人が感動する音楽でも感動できないってことだよね? 利人の空っぽな財布からはもうケーキ代が捻出できないように」
「うん。でも、後ろの例えは余計だな」
「そう? まあ、利人の財布は置いておいて、【情熱はみずからを享受する。】ってのも、そうなるとただ単に『音楽はサイコー』って意味じゃあないよね?」
「ああ。【音楽の力】によって、自分の中にあった確かなモノの存在を改めて確認しているってことだな。少々蛇足が多かったが、このアフォリズムは自分が何者であるのか? と言う原始的にして最大な哲学の謎に対するニーチェなりの模索の一つだと俺は考えるわけだ」
「なるほどね」
「まあ、ニーチェはそんな大好きだったワーグナーと決別するんだけど」
「あ、そうじゃん。それっておかしくない? ワーグナーの音楽で、自分の中にあるモノを取り出して感動したんでしょ? 何で感動しなくなるわけ?」
「そりゃあ、生きていれば色々と引き出した物も多くなる。そうすると、机の上は大混雑だ。取捨選択しなくちゃならない。もしかしたら、二つを合わせると大爆発が起きるかもだしな」
「あ、なるほど。自分の中にあるからって、それが全て良いモノだとは限らないもんね」
「ま、ワーグナーがやった初めての劇がくっそ詰まらなかったのが一番の原因だと思うけど」
「音楽に魅力がなかったのかよ……」




