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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【一〇五】【教会への理解】

【自由な精神にとっては「認識に敬虔な者」にとっては、――不敬な欺瞞(インピア・フラウス)より、敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)の方が気にそまない(すなわちその人の「敬虔」さにそぐわない)のである。だから「自由な精神」に属する者であって、しかも教会には理解しようとしないのは、その人にとっては不自由なのである。】




「うわ、哲学な文章だ。これ、何度読んでも意味がわからないんだけど」

「確かに、一目で理解するのは無理だろうな。何度読んでも、二回は続けて読みたくなる文章だ」

「私は二度と読みたくないけどね。難しい事を言って、実は何も意味がない事を喋ってるわけじゃあないよね?」

「どんな哲学書だ。いや、ある意味それが哲学なのかも知れんが……」

「で? これは何? どう言う事?」

「そうだな、まずこの箴言の中心は【自由な精神】だ。ニーチェが【自由な精神】について語っている。また、【自由な精神】は【「認識に敬虔な者」】と言う意味であることもわかる」

「けーけん?」

敬虔けいけん。まあ、深く敬うことだな。『敬虔な信者』とか聞いたことないか?」

「それなら、あるかも」

「つまり、【自由な精神】は認識と言う行為を敬うことのできる精神ってことだな」

「なるほど」

「そして、【自由な精神】を持ちながら、教会を理解しようとしないのは、【不自由】なことだとニーチェは訴えている」

「うん。そこが全然わからないんだけど。って言うか、真中飛ばしちゃっているよね?」

「ああ。まずは結論からの方が早いかなと思ってな」

「確かに、答えを知っていた方が途中の数式もわかりやすいもんね」

「要するに、これはキリスト教批判。既存の社会に対してニーチェは疑問を呈している」

「まあ、そんな気はしていたよ」

「そうだな。例えば、俺達は靴を脱いで家に上がるだろう? その事に疑問を挟む事はまずない」

「そうだね。海外ドラマでもみないと、靴を脱ぐのは私達の当たり前だもんね」

「だが、ニーチェは、『お前、自分が自由だと思っているなら、靴を脱ぐ事に疑問を持てよ』と言っているわけだ。まずはその当たり前を疑ってから自由を名乗れ、ってな」

「えーっと? それはつまり『お前、自分が自由だと思っているなら、キリスト教に疑問を持てよ』って事?」

「そう言うことだな」

「なら、そう言えば良いのに」

「いや、言っているから。今のことを踏まえて、さっき飛ばした真ん中を見て見よう」

「【不敬な欺瞞(インピア・フラウス)より、敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)の方が気にそまない(すなわちその人の「敬虔」さにそぐわない)】」

「ほらな? ちゃんと記してある。じゃあ、今回のまとめに入ると……」

「ストップ! いや! いやいや! そこ普通に流さないでよ! 普通の人は『ピア・フラウス』って聞いたらエストニア出身のロックバンドしか想像できないから! 説明プリーズ」

「『ピア・フラウス』知ってるとか、結構な洋楽オタだと思うけどな。ちなみに、参考にした書籍にこうルビが振ってあるわけで、ピア・フラウスの宣伝の為にルビを振ったわけじゃないからな。後、『ピア・フラウス』の熱心なファンがいたらごめんな。別にマイナーだって言ってるわけじゃないからよ」

「いや、私が言うのもなんだけど、日本じゃマイナーでしょ」

「まあな」

「そんな事はどうでも良くて、これは一体どう言う意味なの?」

「【敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)】と【不敬な欺瞞(インピア・フラウス)】の意味か。まず、『敬虔』って単語だけど、さっきも言ったようにこれはもう、日本語で使う場合はまず間違いなく『敬虔な信者』と使われる。要するに、神仏に対して深い敬意を抱く人を表現する言葉だ」

「うん? って事は、【敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)】って言うのは、信心深い人の吐く嘘とか誤魔化しを指している言葉って理解でおっけー?」

「ああ。そして【不敬な欺瞞(インピア・フラウス)】は神を信じない者達の欺瞞だ」

「信心深い人のと、不敬な人で何が違うわけ? 結局は欺瞞なんでしょ?」

「そう言っちまえばそうなんだが、ニーチェが言うには、その二つを比べると、【自由な精神】にとって【敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)】の方が気に食わないらしい」

「何故に? どっちも私を騙そうとしているなら、許されざることだよ」

「そりゃあそうだけど、【敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)】が何を指しているかを考えれば、直ぐにニーチェの言いたい事はわかる。この世で最も神聖な嘘って何だ?」

「神聖な嘘? そうだね、愛と平和とか? 或いは自由と平等?」

「面白い。殆ど正解だ」

「やったね」

「神だ」

「おおう」

「敬虔な者が最も口にする嘘。それが神。そして天国やら楽園。散々話して来たから今更な気もするが、ニーチェはキリスト教的な神を批判し続けている。あらゆる物事に神を紐付けて考えるその思想はニーチェが一生を賭けて打ち破ろうとした物だ」

「【敬虔な欺瞞(ピア・フラウス)】=【神】って言う認識でこのアフォリズムを読み返すと、ちょっとだけわかりやすいかも。ただ不敬から騙す人よりも、神の名を騙っている人の方がニーチェは気に食わないんだね」

「その通りだ。本当に【自由な精神】であれば、神と言うフィルターを抜きにして物事を認識しなくてはならないわけだ」

「なるほどね。でさ、その『神様フィルター』って具体的に何のこと?」

「恐らく、このアフォリズムで言いたいのは、ニーチェ以前の哲学者だろうな。西洋哲学の多くは『神』がいるとかいないとか、そう言った思考ゲームで培われてきた。だから、どうしてもその考え方には神がいる。そんな哲学で真理を語るなんて、片腹痛いって感じだろ」

「ふーん」

「まあ、哲学に限らず、キリスト教の教えが化学の進歩を邪魔したって言うケースは多々あるけどな」

「ほほう」

「有名なのが、『天動説』と『地動説』だろうな」

「コルペニクス的転回だね。地球が宇宙の中心だって教会は教えていたんだよね」

「そ。それと違う宇宙モデルを提唱するのは許されなかった。他にも、進化論。全治全能の神が創った以上、全ての生物の姿形は神によってデザインされている……って言う思想と、生物が環境に合わせて姿を変えると言う理論は真っ向から今もぶつかっている」

「偶に思うんだけど、神様が創ったなら、どうしてお魚は切り身で泳いでないの?」

「まあ、大抵の面倒臭い疑問は『試練』って言えば解決しちゃうからな。魚を取ると言う試練が人間を成長させるのさ。その辺は真剣に考えても無駄だ」

「ま、そんなもんか」

「宗教にせよ、習慣にせよ、道徳にせよ、俺達はそれらに善悪の基準を委ねて生活しているけど、結局のところこの基準その物も疑わないと駄目って話だな」

「ニーチェはそうやって、教会の事を理解してしまったから、キリスト教が嫌になっちゃったのかな」

「かもな」

「自由であるが故に、全てを疑って生きないといけないなんて、何とも皮肉と言うか、窮屈だね世の中って言うのは」

「窮屈な檻で生活しながら自由と思い込むのとどちらが幸せなんだろうな?」


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