【一〇三】【幸福の危険】
【幸福であることの危険。――「さて今ではすべてがうまくいった。これからわたしはどんな運命でも愛するだろう。」「――しかし誰か、私の運命になりたい人はいないか?」】
「【一〇三】は【幸福の危険】と銘打って始まるわけだが、中々にパンチのあるタイトルだな。幸福と危険はハッキリ言って対極にある様な概念じゃあないだろうか? 少なくとも危険がある場所に幸福があるとは思えないし、幸福の傍に危険があるのなら気が付かない奴は間抜けだと俺は思う」
「案外、そんな間抜けばっかりなのが人の世な気もするけどね」
「さて、じゃあ、ニーチェはそもそもどんな状況を想定して【幸福】としているのだろうか?」
「【「さて今ではすべてがうまくいった。これからわたしはどんな運命でも愛するだろう。」】がそうだよね? 万事が順調な人生。自分の残りの人生に何があっても良いと思える人生。それが今回の【幸福】の象徴と言うか、比喩だよね」
「そうだな。順風満帆な反省を歩んで来て、この台詞の発言者は自分の事を幸福な人間だと思っている」
「でも、こうも訊ねるわけだよね?【「――しかし誰か、私の運命になりたい人はいないか?」】って。利人だったら、どうする?」
「運命の交換か。それは遠慮したいな」
「どうして? 全てが上手く行っているんだよ? 【どんな運命でも愛せる】未来が待ってるんだよ?」
「わかってって訊いているだろ」
「まあね。私だって変わりたいと思わない。だって、何の保証もないんだもん」
「そうだな。今までは確かに上手く行っていたかもしれない。が、それは所詮、今までだ。千恵の言う通りに、これからの未来を保証する物ではないな」
「今までの調子が良かったから、むしろ今後は嫌な事が起きそうな気もするしね」
「そう言う幸福と不幸のバランス感覚って、俺はオカルトだと思うけどな」
「そう? でも、赤が三連続で出たら、次は黒が出る確率が高くなると思わない?」
「それは赤が四連続で出る確率と、赤と黒の二択で黒が出る確率を比べているから、黒が出る確率が高く感じるだけだ。そして大抵の場合、確率は役に立たない」
「自分が使う『かみなり』と相手の使う『かみなり』って絶対に確率違うよね」
「だよな……って! 確率の話はどうでもいいんだよ。過去の成功が未来の成功を約束するとは限らないって話をしていたはずだ。
「そうだね。むしろ、逆だよね。幸福であるからこそ、自分の足場をしっかりと確認して進まないと。『沙羅双樹の花の色、盛者必衰の断りをあらわす』だっけ? 国語の授業で無意味な暗記をさせられたから、良く覚えているね、このフレーズ」
「無意味とか言うなや。少なくとも何で売れているかわからんヒットソングよりも良い事が書いてあるだろ。ロックじゃん涅槃経」
「まあ、その辺の議論は後にするとして、要するに『勝って兜の緒を締めよ』って事じゃないの? このアフォリズム。って言うか、絶対にロックンロールではないよね」
「確かに、『勝って兜の緒を締めよ』って言うのは言い得て妙かもな。人生なんて何があるかわかったもんじゃあない。そう言った無情さや理不尽さを知っているからこそ、ニーチェはそんな忠告をしたんだろうな」
「そもそも、ニーチェ自身、大学の準教授だかなんだかになるまでは割と順風満帆だったわけでしょ? お母さんとちょっと関係があれだったみたいだけど」
「そうだな。と、アフォリズムに対して一通り話した所で、ここからは雑談タイムだ」
「ん?」
「今まで何度も話して来た【永遠回帰】。これを象徴するニーチェの台詞に【これが私なのか? これが私の人生か? 何という人生だろう? よし、ならばもう一度! この同じ人生を!】と言う物がある」
「全く同じ人生を繰り返すって奴だよね」
「そう。今回のアフォリズムには恐らく直接的な関係はないが、俺はなんとなく【永遠回帰】との繋がりを感じたんだよな」
「って言うと?」
「このアフォリズムでは『他人の運命を望む人物』を探しているだろう?」
「……【永遠回帰】から言って、それは不可能な事、だよね? 同じ人生を繰り返すしかないんだから」
「その通り。【永遠回帰】の思想を打ち出したニーチェその人が、『他人の運命を望む人』が出て来るアフォリズムを書いている。何か違和感があると言うか、意図があるんじゃあないかと勘ぐっちまうな」
「実際はどうなの?」
「実際は知らんよ。ニーチェ自身が解説しているわけでもないから、全部俺の独断と偏見で話しているだけだし」
「そーだったね」
「俺の個人的な感覚で言わせてもらえば、【永遠回帰】が生の肯定の極みだとするなら、『他人の人生になりたい』って言う感情は愚の骨頂であるとは思う。人生を成り替わると言う行為自体が、俺には物凄く危険な物に感じるんだ」
「【幸福】じゃあなくて、人生を替わりたいって言う思想その物がってこと」
「そう言う事。偶には古典的な哲学的な話をしようか」
「私の中では、哲学なんて全部古典だけどね」
「言っとくけど、生きている哲学者なんてごまんといるからな?」
「わ、わかってるって」
「『テセウスの船』聴いたことあるか?」
「あるかも。あれでしょ? 古い船を修理する時に、九九%を別の船の部品で作った時、それは元の船と言えるのか? って奴」
「っち」
「私に説明するチャンスが減ったからって舌打ちしないでよ」
「これを人間に当てはめよう。千恵が重大な事故にあって死にかけたとする。献身的な俺は身体の殆どのパーツをお前に臓器提供する。脳味噌以外、俺の身体の千恵が出来上がったとしよう、さあ、それは誰だ?」
「まず、過程が凄まじ過ぎて頭に入って来ないよ。献身的って言うか、狂信だよ! 愛が苦しい!」
「じゃあ、こうしよう。千恵が死んで、俺は興味半分に牛の頭にお前の脳味噌を突っ込んで蘇生させる。それは千恵か否か」
「マッド過ぎるよ! 絶対に私じゃない!」
「でも、お前の知識を持っているし、経験も持っている。しかも、憧れの超巨乳だ」
「人の脳味噌をホルスタインにブチ込んだの!? 搾乳されないと、乳房破裂するんだよ!?」
「まあ、冗談はさておき。大抵の人間は『九十九%自分ではない自分を自分だ』と思う事は難しいだろう」
「当たり前だよ」
「所謂『自己同一性って奴だ。自分の思う自分と、実際の自分の際が大きくなり過ぎると、人間は精神に支障を来たす。これは多分、他人の運命を乗っ取ったとしても変わらないんじゃあないか?』
「ま、確かに朝起きて私がビル・ゲイツになっていたとしたら、それは不幸だよ」
「勿論『誰かみたいになりたい』って言う憧れは人生の原動力になりうるけどな」
「そりゃあ、そうだけど」
「ちょっと話がブレブレになっちまったが、誰か他の人間の人生を歩む、って言うのはあんまり魅力的な話には思えないなって話がしたかったわけさ」
「だから【永遠回帰】を肯定するわけ?」
「まあ、一生よりも長い永遠を自分で有り続けるって言うのも、中々に地獄みたいに思うけど。嫌な事も逃げ出したい事も忘れたい事も、全てを自分の人生だと認めなくてはいけない。これもまた難しい」
「どっちなのさ……」
「ただ、『お前なんか、俺じゃあない!』と自分の人生を否定するようなことだけはしたくないけどな」
「あ、そうか。誰かの人生になりたいって言うのは、今までの自分を否定することにもなるんだ」
「そう言う事さ。じゃあ、今回の話を〆ると……」
「あ。最後の一言は私にやらせてよ」
「別に良いけど。じゃ、どうぞ」
「『He saysit‘s terrible to go through life wishing you were something else』」
「日本語に訳すと、『アイツが言ってたぜ? 他人になりたいと願って人生を流すなんて耐えがたいってな』って所か? 確かに、今回のにぴったりだな。どんな偉人の言葉だ?」
「スヌーピーのチャーリー・ブラウンだよ。利人、訳し方が乱暴過ぎ」