【一〇二】【愛の実り】
【愛する者は、相手が自分を愛してくれると知った時に、相手に対して興ざめした気分になるのではないだろうか。「なんだ、君を愛するというのはそれほどつまらないことなのか? それほど愚かなことなのか? それとも――、それとも――」】
「なんか、漫画のヒロインにいそうだよね、『藍野美野里』ちゃん」
「三昔前の漫画のネーミングセンスだぞ、それ。ハイスクール奇面組かよ」
「古いけどセンスがないわけじゃないんだね。なら、いいや」
「ポジティブだなぁ。そんなわけで、【一〇二】は【愛の実り】について語っていこう」
「さっきは【認識者】がどうのこうの言っていたのに、相変わらず順番に統一性が感じられないね。まあ、こっちのが素敵なタイトルだとは思うけど」
「その内容はどうだろうな?」
「うーん。一読すると、酷いことを言っているようだけど、私的には凄くわかるかな」
「って言うと?」
「まずさ、【愛する者は、相手が自分を愛してくれると知った時に、相手に対して興ざめした気分になるのではないだろうか。】って言う前半部分。これってかなり自分勝手なことを言っているように聞こえるんだよね」
「『愛されているとわかると興醒めする』って確かに『お前、何を言ってんの?』って感じだよな。何様のつもりなんだと言いたい」
「で、後半部分。【「なんだ、君を愛するというのはそれほどつまらないことなのか? それほど愚かなことなのか? それとも――、それとも――」】この文章はなんか納得する。今までで初めて『あー、わかる』って感じがするよ。最後は『モグの狂信者かよ!』って感じだけど、」
「『わかったぞ! わかったぞ! わか……』」
「なんて言うか、恋愛だけじゃなくて簡単に手に入る物って退屈でしょ? 例えば、ボーリングのストライクが簡単だったら、あのゲームは流行らなかったと思うんだよね。後は、ソーシャルゲームのガチャとか? アレも簡単に揃わないから皆熱中するわけでしょ? だから、仮に利人から『愛してるよ』とか言われても、私は鼻で笑っちゃうね」
「想像の中で勝手に告白させられたら振られたんだけど…………」
「それはさ、別に利人が完全に悪いってわけでもないんだよ? 私なんかを愛する程度の存在なのか、って言う自虐みたいなのもあるんだよね。『百円で買えるなら百円程度の価値』みたいな?」
「まあ、言いたいことは伝わって来た。俺も少し話して良いか? ゲームとか漫画で一人の少女の命か世界のどちらかを選べって話あるだろ?」
「具体例は思いつかないけど、フィクションでは定番だね。世界系って言うんだっけ? もう、言わないのかな?」
「それは知らん。が、アレを見ると何時も思うんだよ。『少女の命と世界の運命の価値が同じ世界なんて滅びちまえ』ってな。人一人の命で助かるなんて、軽過ぎるだろ世界」
「しょ、少女の命が重過ぎるんだよ」
「それも結局、意味は一緒だ」
「だよね」
「『愛されることで興醒めを覚える』一見すると理不尽にも思えるけど、よくよく考えてみると、なるほど、的を射ているよな」
「猫が簡単に懐いてくると『野生忘れてんじゃねーよ』とか思うしね。気まぐれである事が猫の条件だよ。あと『お前狩り下手そうだからな』って感じで狩った雀を枕元に持ってきているあの上から目線感も堪らないね。手に入らないからこそ、輝く物って多いよね」
「どうしても読みたいから買った本を、読まずに暫く机の上に積んどくことも結構あるしな。手に入った時点で、なんか満足しちゃっている自分が偶にいるぞ」
「わかるかも。滅茶苦茶欲しかった香水とか口紅とかも実際買ってみると、一回か二回使っただけで後は箪笥の肥しになってることが多いしね。あれ、何なんだろ?」
「あれだよな。幸せは失ってから気が付くの逆パターンだ」
「幸せは手に入れた瞬間に失われてしまう。超哲学的だね!」
「さて、じゃあ、十分語った所で補足と言うか、蛇足と言うか、余談と言うか、雑談と言うかをしていこう」
「あ、これが正解じゃないんだ」
「合否じゃあなくて、単純に俺が喋りたい事を喋っていないだけだ」
「まあ、私が思いつきで話したことだけで利人が満足しちゃあ、興醒めだもんね」
「そう言うこと。俺が真っ先に考えたのは、愛そうとした【君】とは誰か? ってことだった。ニーチェは誰かを愛そうとして、しかしそれが自分を愛しているのだと知ると、興味を失ってしまう」
「うーん。最初の年表には女の人に振られたことがわざわざ書いてあったから、彼女ではないよね?」
「うん。一々ニーチェの傷口を抉るのは止めようね」
「じゃあ、誰なの?」
「特定の誰かと言うか、ニーチェの運命その物じゃあないかと俺は思う。
「運命? なんだか大げさだね」
「例えば……ニーチェは幼少期『小さな牧師さん』と呼ばれていたって話はしたっけ?」
「確か? お父さんが牧師だか神父だかだったんだよね。何が違うの?」
「その辺はカトリックとプロテスタントの違いなんだが、今は関係ない。結果として、ニーチェは神学への進学をあきらめて、文学へと活躍の舞台を移す」
「神学へ進学。っぷ。超おもしろいよ、利人」
「…………その文学も途中で止めることになる。それは良い意味でも悪い意味でも音楽家ワーグナーの影響があった」
「ま、その音楽家とも喧嘩別れするんでしょう? なんか、劇が超退屈だったからとか、そんな理由で」
「そして、それ以降のニーチェの活動は哲学、或いは心理学的な物が中心となる。わかるか? ニーチェは自分が大切だと思った事から何度も離れては、新しい分野に手を出している」
「そうだね。この人が普通に何か一つの分野に専攻していたら、どうなってたんだろ? 単純なスペックだけで言えば、天才って呼べる人だよね」
「だな。そしてだからこそ、物事が簡単だったんじゃあないか? ニーチェにとって、神学も文学もワーグナーも、簡単に理解できてしまう物だった。それらを理解すればするほど、ニーチェはそれらに絶望することになる」
「それらが簡単だから?」
「簡単というよりは、欺瞞だったことに気が付いたんじゃないかと思う。結局がどんなことも個人的な主観の話であって、真理なんてなく、全ては許されていることに気が付いてしまったが故に、自分が探究する物が陳腐に見えて来る」
「……ニーチェは自分の人生で何度も、自分が愛した物に興醒めを繰り返していたんだね」
「このアフォリズムの最後は【「それとも――、それとも――」】って何か言いたそうに終わっている。俺はこう続くんじゃあないかと思う。『君を愛することは退屈なのか? 愚かなことなのか? それとも、愛なんないのか?』ってな」
「愛なき時代に産まれたわけでもないだろうに」
「ニーチェはそれを証明したかったんじゃないか? 愛を探そうとした果てに辿り着いたのが、難解複雑極まるな自身の哲学だ」
「じゃあ、このアフォリズムはニーチェの人生そのものを言い現わしたアフォリズムなのかもね」
「かもな。結局、ニーチェは自分の思想をまとめきれずに亡くなってしまうんだけどな」
「【愛の実り】なく?」
「【愛の実り】なくだ」
「…………話は変わるけど、利人って私の事好き?」
「…………」
「うんうん。簡単に言われちゃあ、興醒めだからね。今回はそれで許してあげるね」