【一〇一】【認識者】
【今日では認識者は、自らを獣になった神と考えがちある。】
「さて。【認識者】とはまた、ストレートに哲学的なタイトルだな」
「【獣になった神】ってのはダークファンタジーっぽいけどね」
「Bloodborneに出てきそうだな。まあ、まずは【獣になった神】が何かを言っちまうか。これは日本語で言えば『怪神』、つまり『スフィンクス』を示す単語だと俺は解釈している」
「スフィンクスって言うと、あのエジプトのピラミッドの傍にいる奴?」
「うーん。半分正解って所か? 今回はギリシャ神話のスフィンクスを指しているから別物なんだよな、細かいことを言うと」
「どう言う事? 正解なの? 間違っているの?」
「スフィンクスにも種類があるんだ。エジプトのスフィンクスは王家の守り神だ。こっちは男も女もいるし、どちらかと言えば善き物として扱われる。今回ニーチェの言うギリシャ神話のスフィンクスは、とある神の娘と言うことになっている。人を喰う怪物で、性別は女の子だな。ちなみに、千恵の想像したギザのスフィンクスは今、ケンタッキーを見つめているらしい」
「何故にケンタ!?」
「悠久の時を経て、偶々スフィンクスの視線の先に建てられたのがケンタだったんだよ。もう随分前の雑学だから、現在は違う店舗になっているかも知れんが。興味を持ったらグーグルアースで調べて俺に教えてくれ」
「嫌だよ。面倒臭い。で? どうしてスフィンクスだと思ったわけ?」
「【善悪の彼岸】の第一章でスフィンクスが出て来るからだな。それに、ニーチェはギリシャ神話で論文を書く程に精通している」
「ありゃ。まるで適当言っているわけじゃんないんだ」
「…………言っとくけど、今までも適当言っているわけじゃあないからな?」
「わかってるって。それで、その時はどう言う話をニーチェはしていたわけ?」
「簡単に言えば『真理を探すなら、どうして不真理を探さないのか?』『真理の持つ言葉の意味を考えろ』とニーチェは主張している」
「要するに、今まで何度も出て来た真理の不確定性についての話だね。でも、スフィンクスはどう関わって来るの?」
「疑問を投げかける者の比喩として、スフィンクスの名前が上げられている。と、同時にスフィンクスを殺したオイディプス王の名前も語られているな。『真理を探すなら、どうして不真理を探さないのか?』と言う疑問を呟くスフィンクスは誰で、その答えを持つ英雄オイディプスは誰かと、ニーチェらしいセンスでこの問題の喚起をしているわけだ」
「いや、話の腰を折って悪いけど、オイディプスって誰?」
「ギリシャ神話の英雄。知っているだろ? 『朝は四本足。昼は二本足。夜は三本足。これって何だ?』って言う謎々」
「答えは『人間』でしょ? スフィンクスのその謎々は滅茶苦茶有名じゃん。私だって知っているわよ」
「その滅茶苦茶有名な謎かけに答えたのが、かのオイディプス王だ。一説によるとスフィンクスとは兄妹だとか」
「あ、そーなの?」
「そーなの。スフィンクスのついでに名前だけでも覚えてやってくれ。ついでに捕捉をしておくと、このオイディプスは父親を殺して母親と結婚していることでも有名だ」
「は? 変態じゃん」
「まあ、オイディプスはそれを知らなかったんだけどな。だから『エディプスコンプレックス』の語源扱いされるのは少し可哀想と思わなくもない」
「あの、エディプスコンプレックスって何?」
「子供が異性の親に対して見せる執着って説明で良いのか? フロイトのおっさんが提案者だから、まあ、当然下ネタだ。詳しくは自分でググってくれ」
「フロイトさんを下ネタ好きなおっさんみたいに扱うの止めようよ。ってか、利人と話していると、使い道のない知識だけが増えて行くよ」
「俺の知識は悪くない。活躍の場を作れない千恵が悪い」
「はいはい。申し訳ございません。っと、何の話をしていたっけ?」
「【認識者】は自分のことをスフィンクスだと考えがちって所までだ」
「【獣になった神】をスフィンクスにするだけで、大分わかりやすくなったね。これがもしスフィンクスじゃなくて、シシガミ様とかと勘違いしていたら全然違うアフォリズムになっちゃうもん」
「ニーチェの時代にもののけ姫は放映してないけどな。でも、スフィンクスとわかっただけでわかりやすくなると言うの確かだ。さっきも言ったけど、スフィンクスは疑問を投げかける者の比喩だ。つまり、認識者は自分を問う側の人間だと勘違いしていると言うわけだ」
「認識者は質問者ね。でも、別に質問すること自体は悪いことじゃあないでしょ?」
「別に善悪を問うているわけではないけどな。それでも、質問は悪じゃあないだろう。人に何も訊ねずに生きていける人間なんているわけがないしな」
「ふむ。でも、ニーチェがこう言うってことは、何かしら警告的な意味があるわけだよね」
「だな。ヒントは質問の種類だ」
「種類? 質問の? どういうこと?」
「質問には大きく分けて二つの種類がある。『答えを知らない』か『答えを知っているか』の二種類だ」
「なるほど。そう言われると、そうだね。えーっと、スフィンクスは後に言った方だよね? 謎々を出して問いかける化物だから」
「その通り。もう少し踏み込んで言えば、スフィンクスは質問をすることで相手を試している」
「自分は答えを知っていて質問してくる人って、偶にムカってするよね。偉そうって言うか、こっちを見下しているっていうか。そう、利人の態度そのものだよ!」
「それって俺がムカつくって言っているのと一緒だからな!」
「まあ、利人の態度は渋々我慢しているけど」
「どうも!」
「つまり、スフィンクスは人を上から目線で試す嫌な神様ってことだね」
「うん、まあ、そうね。実際、スフィンクスはかなり狡猾な悪魔だった。全知気取りでオイディプスを見下し、問いかけ、そして破れた」
「つまり、【認識者】も同じってこと?」
「そうだな。そもそも【認識者】なんて字面が気取ってやがるだろ?」
「それは知らないよ……」
「物事を俯瞰して、『趣味は人間観察です』って言う様な『インテリ』共は、自分が世界の説明書を持っているとでも勘違いしているんじゃないか? 客観的に物事を見て、世界をわかったように思いこんでいる。それが【認識者】じゃあないのか? と、ニーチェは言っているわけだ」
「なるほど。じゃあ、この【認識者】って言うのは、そう言う知った風な顔をした連中を指す言葉なんだね」
「ああ。多分、過去の哲学者や聖職者達に向けているんじゃあないかな? 真理なんて何処にもないのに、それを探して、わかった気になって、偉そうに物事を言う連中にさ」
「結局、そこに行きつくんだね。『真理』と呼ばれる物は何処にもなくて、それを背景にして自分を肯定する人達への批判に」
「そう言うことだな。ニーチェはきっと自分自身がオイディプスになるつもりだったんだろうな。色々とその為の武器は用意した。が、スフィンクスは手強かった。世界はニーチェが思う以上に歪んでいた。そして結局、病気が原因で断念することになって、世界は何も変わらない」
「まあ、そりゃあそうだよね。今更『キリスト教は邪教です』なんて叫ばれても、どうしようもないよね。煙草吸っている人に『それは健康に悪いですよ』って言っても意味がないのと一緒だと思うよ」
「俺の親戚の爺ちゃんは肺癌で死んだんだが、最後まで煙草のせいだとは認めなかったな。多分、墓の下でも同じことを思っているに違いない」
「まあ、でもニーチェだって完全に無力だったわけではないよね」
「そりゃあな。今じゃ現代哲学を語る上では外せないビッグネームだ」
「あと、自由ヶ丘利人と言う人間の精製に成功している。それが正しいのか悪いのかは知らないけど」




