【九五】【不道徳の恥】
【自分の不道徳を恥じるということ、それは自分の道徳を恥じるにいたる段階の一段を歩み始めたということだ。】
「【道徳】【不道徳】と言っていることからもわかるが、最早恒例となりつつある『現在の道徳の正当性』について問うアフォリズムだと思っていいぞ、千恵」
「『思っていいぞ』とか言われても、いまいち文章からじゃあ何を言っているか伝わってこないんだけど? 【自分の不道徳を恥じる】と言うことが、どうして【自分の道徳を恥じる】の一歩目になるわけ? あと、私、毎回同じような質問してない?」
「それは、ニーチェの箴言が毎回似たり寄ったりなのと、お前が馬鹿だからだよ」
「教えてくれなくても知ってるから、次からは口に出さなくて良いよ」
「それは重畳。さて、実の所、これはそれほど難しい話ではない」
「えー。そうなると相対的に、私の馬鹿さ加減が際立つんだけど」
「それは、まあ、あれだ。今更だろう?」
「まあね……っておい!」
「さて、最初に【不道徳を恥じる】と言う点については特に語ることはないだろう」
「突っ込みは無視!? はあ。うん。そりゃあ、【不道徳を恥じる】のは一般的な良心の持ち主だったら当然じゃない?」
「そうだな。俺達は正しく育てられている。人の物を盗んでまで幸福になりたいとは思わないし、人を傷つけてまで快楽を味わいたいとは思わないし、人を踏みにじってまで高い場所の景色を見たいとは思わない」
「だから私達は、そう言うことをしたら罪悪感を覚えるよね。ゴミのポイ捨てをしただけでも、私の良心は張り裂けそうになるね」
「お前って、案外真面目だよな」
「案外は余計だよ。でも、例えばだけど、ゴミのポイ捨てと言う不道徳を犯してしまって、それを恥だと思うじゃん?」
「ああ。恥ずかしいことをしたな」
「うん。そう思うよ、私も。で、それがどう【自分の道徳を恥じるにいたる】ことになるわけ? 不道徳を恥じることが、どうして道徳を恥じることになるわけ?」
「ま、確かにこの文章だけじゃあ、千恵の『どうして』には答えることはできないな。相変わらず、ニーチェは肝心なことを何も書いていない」
「だよね!」
「が、安易な自己啓発本じゃあないんだ。それらしい答えを書いて、人生を豊か(笑)にする為にニーチェは本を書いてはいない」
「自己啓発本なんて利人が読むの?」
「いや。読んだことないけど」
「それなのに(笑)とか言っちゃダメでしょ……。で? ニーチェは何の為にアフォリズムを大量に残していたわけ?」
「もっと強く、もっと悪く、もっと深くって感じか?」
「はあ」
「まあ、ニーチェが究極的に何を考えていたかは、その内に多分語るとして……」
「それ、忘れるパターンだよね」
「……このアフォリズムで言いたいことは一つだ。『何故、不道徳を恥じるのか?』と言う言ってんだ」
「ん?」
「何故、『ゴミのポイ捨て』を恥じなくちゃならないんだ?」
「そりゃあ、地球環境の為?とか、町の外観を守る為とか、病気の温床になるかもしれないからとかじゃないの?」
「じゃあ、どうして地球環境を配慮する必要がある?」
「そりゃあ、私達が住む場所だからでしょ? 環境汚染で住めなくなったら困るじゃん」
「なんで?」
「は?」
「なんで住めないと困るんだ?」
「いや、生きてくためでしょ?」
「なんで生きないといけないんだ? どうせ死ぬのに」
「だー! うざ!」
「うお! キレた!」
「『なんで』『なんで』って利人は生意気な小学生か!」
「悪かったって。でもよ、ソクラテスが如く、『なんで』と繰り返されると、答えに窮するだろ? これは誰だってそうだ。俺達は物事を知っているつもりでいるが、それは表層だけのことであって、その深みまでは知らない」
「そりゃあ、『なんで』を続ければ、究極的に『なんで宇宙ができたの?』みたいな問いにたどり着くからね。何も答えられないよ」
「そ。それもある意味でニーチェの言う【真実などない】だ。根本的に、或いは根源的に、俺達は何もわかっていない。不道徳だと恥じても、なんでそれが不道徳であるかは真に理解できない」
「じゃあ人が【不道徳を恥じる】時、人は自分が何に恥じているかも理解していないってこと?」
「その通り。そして【不道徳】を理解できていないと気がつけば――」
「――自分が【道徳】も理解できていないことに気がついてしまう」
「ああ。【道徳】があるからこそ【不道徳】があるのに、【道徳】自体がわからないのなら、【不道徳】が何かわかるわけもない。俺達の信じるものは、本当にただ信じているだけなんだ。ニーチェは【善悪の彼岸】でこうも言っている。【道徳もまた情念の一記号法にすぎない。】とな」
「なるほどね。だから、【不道徳を恥じる】ことが【一段を歩み始めた】ってことになるんだね。まずは【不道徳】を疑って一歩目として、そしてそれが【道徳】その物を疑う道になる」
「そう。ニーチェは兎に角、道徳だとか神だとかを嫌った。結局それは、真実を覆い隠し、都合の良い妄想を垂れ流しているからに過ぎないからだ」
「でも『真実は無い』なんて事実を受け止めて人は生きていけるわけ?」
「ん?」
「だってさ、私達が生きていることにも意味がないんでしょ?」
「まあな。俺達の人生に意味は無い。それは絶対だ。疑いようがない」
「それって、怖くない? どれだけ頑張って生きても、死んじゃうんだよ?」
「そうだな。人類はその内に滅びるだろうし、地球だって消滅する。太陽もそうだし、もしかしたら宇宙空間も消えてなくなるかもな」
「だったら、人は何の為に生きているわけ?」
「その原始的な質問の答えは、基本的に『宗教』が担って来たな。『天国』とか『涅槃』とかな」
「今、まさに利人って言うか、ニーチェがそれをも否定したんだけど……」
「ちなみに、現代人は宗教ではなく『政治』による『未来』に生きる希望を見出していると俺は思っている。俺から見れば、政治も宗教も似たり寄ったりだ」
「絶対に選挙権を得ても選挙に行かなさそうな発言をありがとう。話を戻すけどさ、『生きている意味がない』なら、私達は何で生きているわけ? 何の意味があるの? どうして人間は頑張るの?」
「…………その思想の果てに全てを否定することを【虚無主義】とニーチェは名付けた。そのせいか、ニーチェを【虚無主義】だと勘違いしている人間もたまにいるが、実際は違う。ニーチェはその『無意味さ』すら嘲笑する。そんな思想は愚かで脆弱だと、否定する。全てを否定する思想すら否定する。そして無意味な人生で自己を高める意思を【力への意思】と呼んで素晴らしい者として、その体現者を【超人】と呼んだ」
「ってことは、ニーチェの思想で言えば『意味がないことを知りながらも、ただ自分の為に生きる』って言うのが、無意味な人生の答え?」
「だな。ただ、あたりまえだけど、この思想を誰かに押しつけてしまえば、ニーチェはただの宗教家になってしまう。だからこそ、ニーチェは哲学として自分の思想をまとめ切れなかったんだと思う」
「宗教なんてダメって言う宗教になっちゃうんじゃあ、確かにわけわかんないね」
「だからかな。あくまでニーチェが言いたいのは『自分で考えろ』ってことなんじゃあないかと感じる時がある。思想なんて大それたものじゃなくて、小さな助言だ」
「自分で、考える」
「宗教の言い成りにならず、道徳の奴隷にならず、善悪に左右されず、ただ自分の人生を真剣に考えて生きなさい。それがニーチェの言いたかったことなんじゃないか? と、たまに思うんだ」