【九二】【評判の良さ】
【良い評判を得ようと、――自分を犠牲にしなかった者がいるだろうか?――】
「【九二】【評判の良さ】だけど、皮肉たっぷりな感じだな」
「もう、これ質問じゃないよね? ニーチェは確信しているよね!?」
「まず間違いなく、ニーチェは確信しているだろうな」
「最早、解説の必要がないくらいにストレート投げ込んで来ているよ」
「剛速球だな」
「無難に読み進めていくと、まずは【良い評判】を欲しがっている人が最初に出て来るね。まあ、これは誰だってそうだよね。悪く見られるくらいなら、良く見られたい。大学受験の為に先生の評判を良くしたい。面接官に良い人に見られたいからボランティアに参加する。好きなあの人の為に髪を伸ばす。自分の評判を良くしたい人なんて沢山いるだろうね」
「そして、ニーチェはそんな奴等に言い放つわけだ【自分を犠牲にしなかった者がいるだろうか?】とな。千恵が言う様に、これはもう、質問じゃあない。自分の評判の為に、自分自身を犠牲にしているって言う矛盾を嘲笑していると見て間違いないだろう。ニーチェはこう言った自己犠牲を認めてないからな」
「自己犠牲を認めていないって所だけを聴くと、凄いヒューマニズムに溢れた人に聴こえて来るね」
「他にも、禁欲に対しても否定的だったりする」
「禁欲に否定的と言われると、急に我儘で自己中な人に思えて来るね」
「まあ、ヒューマニズムも禁欲主義も、どっちも人間らしい思想には違いないからな。人間ならどっちを同時に主張していてもおかしくはないだろ? 若干話しが逸れたな。『自己犠牲の精神』をニーチェは否定する。何故なら、強い人間って言うのは決して自己を犠牲にしないからだ」
「はあ」
「ニーチェの言う強い人間。【貴族的な人間】って言うのは、自己の力を行使し、それによってより強い力を得る人のことだ。最初の王様って言うのは、民衆を率いて戦闘に立って闘い、領土を得た『切り開く』人間だ」
「まあ、それが『強い』人間って言うのはわかりやすいよね」
「そう言った奴等は絶対に自分自身を犠牲にはしないだろう。勿論、命を賭けることはあるだろうけどな。自分自身の為に闘い、それによって周囲の人間すらも幸せにする。それが本当の【良い】だとニーチェは考えている」
「その辺りが【力への意思】に繋がっているんだね」
「そんな強者への評判って言うのは、勝手に付いて来る。凄い奴は自然と噂になっていて、皆が知っているもんだ」
「確かにね。それが自然だから、皆ステマとか過剰な宣伝を嫌うんだろうし」
「だが、評判を良くしたい奴はどうだろうか?」
「『どだろうか?』って言うか、ニーチェが言ってんじゃん。【自分を犠牲】にしているって。本当なら、自然と付いて来る評判を無理矢理に集める為に、無茶をしたり、やりたくないことをしたりしている人間にニーチェは警鐘を鳴らしているんでしょ?」
「ま、まあ、そうだな。ここで問題になるのは、やっぱり自己犠牲その物だ。自分を犠牲にしている。例えばそれが『髪を伸ばして煩わしい』だとか『面倒だけどボランティアに行く』くらいなら良いけれど、それが文字通りに自己の犠牲だったら、ってことをニーチェは言っているんだと思う」
「自己の犠牲?」
「そ。彼女の為に好きでもないJPOPを聴いているとか、動物なんて対して好きじゃないけど、保健所から引き取ったとか、自分自身の思想そのものを犠牲にしている場合。これは非常に危険だと思わないか?」
「自己同一性の喪失って奴だね」
「そう。評判の為に、自分自身を失っていたら意味がないない」
「でもさ、それって哲学者の領分なの? 心理学者っぽいんだけど」
「まあ、フロイトとかもニーチェの影響を受けているみたいだから、セーフ」
「フロイトって言うと、夢を深層心理と関連して考えた人だったけ?」
「そうそう。何でも下ネタに繋げる人だな」
「間違ってはいないけど、語弊があるよ!」
「マジで、お前は中学二年生か! って感じ」
「まあ、なんとなく話しは見えたよ。自分自身を犠牲にまでして得た評判は、本当の自分なのか? 見たいな話しでしょ? 誰かの為に頑張った結果、自分と言う物が一切なかったら意味がないもんね」
「なんか、後々そう言った趣旨のアフォリズムが出て来るような気がして来たな……」
「え? アフォリズム被りなんて今更じゃない?」
「まあ、そうなんだけど。じゃあ、そっちでは使えないネタを一つ披露しておくか」
「お?」
「この世でもっとも有名な自己犠牲をした人間が誰だか知っているか?」
「なんか凄い壮大な質問だね。世界を救う為に自分の命を捧げた人でもいるわけ?」
「大分鋭いな。その通りだ。そいつは人類の為に自らを犠牲にしたと言われている」
「マジで? 結構適当に言ったんだけど……。そんな偉人がいるわけ? って言うか、そんな人がいたら私でも知っていると思うんだけど。漫画とか、ゲームの話じゃあないよね」
「勿論実在の人物だ」
「んー。降参。お茶吹いた」
「お茶吹いた?」
「あれ? 言わない? 家ではクイズの答えがわからない時とかに『お茶ふいた』って言うんだけど」
「何処の田舎者だよ。しらねーよ。お前の家オリジナルじゃね?」
「じゃ、リモコンのことを『テレビの玩具』って言う?」
「何それ、恐い」
「えぇ。私の家って何なの?」
「しらねーよ。って言うか、俺の質問の答えに戻るぞ」
「この流れで今更何を聞かされても、驚かない気がするんだけど、どうぞ」
「救世主。イエス・キリストだよ。全人類の罪を背負って彼は処刑された」
「なんか『お茶ふいた』の方が気になるな、個人的に」
「後でググってくれ」
「まあ、今は利人に付き合ってやるか。キリストねぇ。そう言われて見れば、黒い看板に黄色い字でそんなことを書かれた看板が田舎に良く立っているよね」
「詳しくは聖書を読んでくれれば良いんだが、兎に角、キリストが救世主である所以が、この究極の自己犠牲にあるわけなんだ」
「はあ」
「あのさ、度々思うんだけど、露骨に興味なさそうな溜め息を止めない?」
「はいはい。滅茶苦茶気になっているから、続けて続けて」
「……まあ、要するにキリスト教についてニーチェがまた語っているわけなんだよ。キリストは元々、皆の為に処刑されたわけじゃあない。当時の権力者に取って邪魔だったから殺された。それだけのことだ」
「ふんふん」
「だが、キリスト教はその死を利用した。原罪を背負って死んだことにして、救世主に祭り上げた。キリスト教は、自分自身の為にキリストの死を尊い犠牲へと変え、宣伝材料にしたわけだ」
「なんか今一良くわからないけど、キリスト教はその一部であるキリストさんを犠牲にすることで、キリスト教は良い評判を得ようとした、ってことだよね」
「そ。そうして同時にキリストの存在その物を歪めてしまった。ニーチェがキリスト教を嫌い、自身がキリストだと錯乱する程に気に入っているのはその辺りが重要なんじゃないかと俺は思うな」
「ふーん。なんかさ、ニーチェってやっぱり面倒な人だよね」
「そう言うこと言うなつーの。この人間臭い所が良いって言う人も多いんじゃあないか?」
「書籍が最初は良い評判がつかなかったって言うのは、納得できるけどね」




