【九一】【冷たさの熱】
【あまりに冷たく、まるで氷のようだから、彼に触ると指を火傷するほどだ。彼を掴む手はどれも、びっくりするのだ!――それだからこそ多くの人は、彼が燃えているのだと思うのだ。】
「【九一】【冷たさの熱】タイトルから溢れる中二感が堪らないね!」
「『冷たさの熱』とでもルビを振りたくなるな」
「安易に『アイス』とか『フレイム』とか使わない辺りに、高い中二力を感じるね」
「どーでもいいけど、こう言うのは『邪鬼眼系』って言って、『中二病』とは別にカテゴライズされていた気がするんだけど、何時の間に統合されちゃったんだろうな? 邪悪なる鬼の眼って、『イタタタタッ』って叫びたくなるくらい好きなんだけど」
「そんなのは専門家に聞いてよ」
「いねーよ……多分」
「コンビニアイスの専門家とかいる位だから、わからないよ?」
「さて、冷たいモノに話題が戻った所で、本題に戻ろう」
「戻るも何も、開始時点から脱線していたんだけど」
「【あまりに冷たく、まるで氷のようだから、彼に触ると指を火傷するほどだ】って始まるんだが、これは覚えがあるんじゃあないか? アイスを買った時に付いて来るドライアイス。あの不思議な物質で冷たいのに熱いって言う奇妙な感覚を知った悪い子は多いだろう」
「触るな、って言われると触りたくなるよな」
「カリギュラ効果って言うんだっけか? 千恵は確か、乾燥材に水をかけてオジサンに拳骨喰らってたよな」
「ああやって、子供は大人になっていくんだなーって」
「良い子も悪い子も、絶対に真似するな!」
「で? ニーチェは自分の哲学書に『低温火傷注意!』ってことを訴えたかったわけ? これを書いている時に、膝の上にノートパソコン乗せ過ぎて低温火傷になったとか?」
「勿論、違う。そんな物は哲学でも何でもないだろ」
「じゃあ、唐突に自分の豆知識を自慢したくなったとか?」
「それも、たぶん違う。って言うか、低温火傷を知らずに【善悪の彼岸】を読もうとする奴がいるとは思えないんだけど。自慢にもならねーって」
「それもそうか」
「ニーチェが言いたいことは当たり前だが、後半部分にある」
「【彼を掴む手はどれも、びっくりするのだ!】。ちょっと、可愛いよね。この訳」
「勿論、滅茶苦茶冷たいモノを触ると吃驚するってことも焦点ではない」
「【――それだからこそ多くの人は、彼が燃えているのだと思うのだ。】だね?」
「そう。火傷する程の物を触り、吃驚し、【燃えている】と思う。これは極々自然なことだろう」
「けど、実際は冷た過ぎて火傷をしていたんだよね?」
「ああ。でも、冷たいモノを熱いと思う。そんな勘違いをする人間がいるか?」
「実際、ドライアイスを触ったら『冷たい』よりも『熱い』とか『痛い』って感じるよ?」
「俺も、初めてドライアイスに触れた時にはそう思った。誰だって事前知識がなければ『冷たくても火傷する』なんて思わないだろう」
「まるで真逆だもんね。火の傷と書いて火傷なのに」
「海外圏では火傷をそう表現するか知らんけどな。兎に角、人間はこんなにも簡単に本質を取り間違えてしまうわけだ」
「ほほう。じゃあ、あれだ。このアフォリズムは人間の役に立たない感度の話しをしているんだね? 熱いと冷たいの違いすらわからない人間のクズの感性なんて信じるな! 先人の知識を信じろ! 勉強しろ! 勉強! この腐れ脳味噌が! みたいな!」
「この間の補習で何があったんだよ……」
「ま、補習は置いておいてさ、こんな感じでしょ?」
「確かに、そう言った一面もあるだろう。ある意味で、自己の感性だけで『熱い』と判断してしまう【遠近法】の説明としてはそれも悪くない。が、それだったらわざわざ【彼】にするか? 他に例えられる物はあったし、例える必要すらないだろう?」
「どうして、わざわざ人間に例えたか、ってことも合わせて考えるべきだってこと?」
「そ。一見すると熱く見える人間が、実は冷たい人間だった。このアフォリズムはそこが最も重要なポイントだ。勿論、千恵の言ったことも遠くはない。ただ、少しだけ足りないってだけの話しさ」
「過ぎたるは及ばざるが如しだけど、腹八分目でも良くない?」
「まだ、半分くらいだな」
「?」
「こっちの話し。それで、熱い人に話しを戻せば、まず二種類の熱い人が存在するのはわかるだろ?」
「本当に熱血の人と、冷血だけど熱血に見える人だね」
「無駄に美味い事を言ったな。そんな感じだ。この場合、前者はどうでもいい。単純に暑苦しいだけの人だ。問題にするべきは後者だ。自分の凍えるような人間性を隠し、明るく振舞っている人間」
「その言い方だと、『冷たい』が『悪性』を意味する比喩ってことで言いの? 『熱い』は『善性』?」
「俺はそう考える」
「結局、どっちに触っても火傷しているんだけど?」
「善も悪も、生き過ぎれば痛い目に合うもんじゃね? 宗教戦争とかは要するに究極の正義だろ?」
「なるほどねー。つまり、悪い奴の癖に、良い奴に見える人が世の中にいるってこと? 一見してわからないし、被害にあっても気付かない程の悪人が」
「ああ。シェイクスピアは『アントニーとクレオパトラ』の二幕六場それをこう表現している。『人間、だれでも顔だけは正直者だ、手が盗人であろうとな』と」
「おおう。詩的だ。流石はシェイクスピア」
「お前がシェイクスピアの何を知っているのか知らんが、今回のアフォリズムとは非常に近いことを言っているように俺は思う。つまり人間は上っ面しか見てなくて、簡単に騙されてしまう」
「ん。でも、それだけなら、さっきの私の意見と一緒じゃない?」
「じゃあ、更にもう一歩。具体的にこの火傷を起こす程に、人間を傷つける程に冷たくて、しかし世の中に熱いと思われている人物って言うのは誰だと思う?」
「えっと、今までの流れで言えば――キリスト教の牧師とか?」
「まあ、好い加減にわかって来るよな。そう。本当はどうしようもない弱者で、何の力もないのに、それを『善』だと言い張って、世界を支配する程の『権力』を手に入れた、矛盾に対する皮肉のアフォリズムだと」
「まあ『地獄への道は善意で舗装されている』とも言うし、キリスト教云々は置いておいて、本当にそれは良いことなの? って考えさせられることはあるよね」
「例えば?」
「例えばって、言われてもぱっとは思い付かないけど、世の中で『偉人』だとか『英雄』って言われる人って、よくよく調べて見ると結構酷いことをやっていたり、後の情勢から見ると『この時に死んでなかったら晩節汚しまくってただろうな』ってことも結構あるからね。『英雄=善人』って言うタイプよりも、『英雄=大悪人』なんて人の方が多いんじゃないのかな? 偉業を達した英雄は、実はただの大罪人かもしれない」
「そうだな。そう言う点から見ると、お前が最初に言った『本質』と言うモノの危うさって意見は、やっぱりこのアフォリズムの言いたいことに近いのかもしれないな」
「だよね。これで十分になった?」
「まあ、八分目と言った所だが、その辺りが丁度良いだろう」
「じゃ、今回はここまで」




