【九〇】【陰鬱な人物】
【重苦しくて陰鬱な人物というものは、その憎悪と愛によって他人を重苦しくするが、まさにその憎悪と愛によって軽やかになり、ときには自分の[素顔を]表面に浮かび上がらせるのだ。】
「『鬱』って言う漢字以上に鬱っぽい感じを出せる漢字ってあるのかな? どう思う? 利人」
「凄くどうでも良い。って言うか、鬱以上に鬱っぽい感じの漢字が鬱意外にあったとしても、鬱は鬱として使われるから要らない心配だろうに」
「もう、『鬱』と『漢字』と『感じ』が私の中で崩壊しそう」
「冒頭からくっそどうでもいい話しをしてないで、本題に入るぞ」
「【陰鬱な人物】だったね。【恐るべき体験】の後だと、完全にホラー展開だね」
「その内容はどうだろうか? まずは【重苦しくて陰鬱な人物】と言う奴がどんな奴なのか、そこからこのアフォリズムは始まっている。
「【憎悪と愛によって他人を重苦しくする】人のことを、ニーチェは【重苦しく手陰鬱な人物】と言っているわけだね。憎悪って言うのは確かにドロドロとして、ベトベトとして、そして凄く燃えやすそうで、確かにあんまり好むべき感情じゃあないよね。例え、自分に対してその憎悪が向けられていなくても、誰かを憎んでいる人がいれば、それだけで場の空気は凄く悪くなるもん」
「友達と飯を食いに行って、その友達が呼んだ友達が、昔俺の写真に画鋲刺した犯人だった時の焼肉屋の個室の空気、知ってる?」
「知らないし、どうでも良いよ。まあ、想像はできるけどさ。滅茶苦茶攻撃したでしょ、利人の性格なら」
「想像力は偉大だな――大体合ってる」
「場を重くしてるの利人じゃん…………」
「なら、その時の俺は【陰鬱な人物】だったんだろうな」
「じゃあ、その時の利人は【その憎悪と愛によって軽やか】な気分になっていたわけ?」
「どうだろうな。まあ、グチグチと嫌味を言ってやったし? それなりにすっきりしたかな。飯も奢って貰えたし」
「一体あんたは何をやったんだよ……」
「それで、このアフォリズムが正しいのであれば【自分の[素顔を]表面に浮かび上がらせ】ていたんだろうな」
「滅茶苦茶良い笑顔だっただろうね」
「多分な」
「それで? 結局この話から私はどんな教訓を得ればいいわけ?」
「あの時、俺が持っていた【憎悪】は糞野郎の気分を重苦しくして、友達同士の集まりを最悪な空気にしてしまった」
「まあ、利人が全部悪いわけじゃあないけど、控えめに言って最悪だね」
「でも、俺はその半面、晴れ晴れとした気分になった」
「いや、だから何? プラスマイナスゼロだぜ! みたいなこと?」
「そうじゃあない。【憎悪】と言う一見マイナスな要素ですら、とある人に取って見ればそれは幸福に繋がることもある。つまり、物事は多面的であり、世の中の真理と言う言葉の不安定さを表しているんじゃあないかと俺は考える」
「なるなる。【憎悪】と【愛】なんてまるで逆に位置する単語を繋げて並べたのも、【愛】と言うポジティブな感情ですら、他人にとっては重く感じられる物があるし、素顔を隠してしまう要因になりえるってこと?」
「そうだな。最近はすっかりと定着してしまったし、ある意味ジャンルの一つになっているけど『ストーカー』なんて、正にそう言うことじゃあないか?」
「あは。確かに、【重苦しくて陰鬱な人物】ってストーカーっぽいかも」
「最近はヤンデレのせいで冗談っぽくなってしまっているが、実際はかなりサイコな存在だよな、ストーカーって。一般的に肯定されるべき【愛】と言う感情の裏返し。まったくの【憎悪】なくして人を追い詰めることができるって言うのが何よりも恐ろしい。相手が存在しないと成り立たない感情の筈なのに、自己だけで完結してしまっている辺りの矛盾が特に恐い」
「それがその人の本質って言うなら、尚更ね」
「まあ、ヤンデレ談義はまた別の機会とにしておいて、【憎悪】や【愛】が及ぼすその影響は、被害者と加害者では当然だが随分と違う。当たり前と言えば当たり前だが、自分と他人は別人なんだ」
「『人の気持ちになって考えましょう』って奴?」
「そうだな。ただし、ニーチェは『同情』には否定的だ。どうでも良いが、俺が最初に読んだニーチェの書籍は『神崎繁』著の『どうして同情してはいけないのか』だったな。初心者向けにはちょっと難解だったけど」
「まあ、利人の読書遍歴は永遠に語ることはないとして、同情云々の話しは前にもしたよね。その時は今一良くわからなかったけど、今回のはわかりやすいね」
「わかってなかったのかよ!」
「うん!」
「あら、良い笑顔」
「『人の気持ちになって考えましょう!』って言う考えは『人の気持ちになって考えた自分の考え』なんだよね、結局の所」
「また、面倒臭い台詞だな」
「どれだけ突き詰めて他人の気持ちを想像した所で、結局、それは自分の心で考えた答えなんだよね。私が喜ぶことをしても利人が喜ぶとは限らない」
「逆に、俺が嫌いなルートビアを、お前は美味そうに飲む」
「えー! 美味しいじゃん。ルートビア」
「まだ、ドクペの方がマシ」
「っと、まあ、そんな感じで、根本的に人と人なんて違う考え方で生きてるんだよね。だから、私が『利人は喉乾いているから、ルートビアを上げよう』って善意で考えた所で――」
「――俺にとってはありがた迷惑でしかない」
「他人の為って考えた所で、結局それは自分の為でしかない。そればかりか、相手の考えや個性を無視して、自分の価値観を押し付けているに過ぎない時もあるんだよね」
「人はその人としてしか世界を見ることが出来ない。【遠近法】だな。真理と言う客観視が不可能な世の中であれば、それは当然のことだ。まあ、だからこそ他人の気持ちを思う行為が尊くもあると言えるんだが、結局の所無為だ」
「また、極論に走ったね」
「でもよ、実際問題『相手の気持ち』を『理解できる』と言うのは完全なる勘違いだ。例え、『楽しい』と二人が思っていても、その『楽しい』って感情はそれぞれのモノだ。時間や場所を共有することができても、『個』を共有することはできないってことは忘れるべきじゃあないと思うぞ」
「これは、そんなアフォリズムなわけ?」
「ああ。【遠近法】に基づく、『個』の共有の不可能性だ。ちょっと心理学っぽい答えではあるけど」
「うーん釈然としない。人の気持ちって本当にわからないのかな?」
「俺はそう思う。誰も彼も、自己完結して自己満足してるだけさ」
「そんなの、ディスコミュニケーション過ぎない?」
「ポジティブに纏めるなら、同じ景色を見ても、同じ感情を抱く必要がないとも言える。それこそ、精神の自由だとは思わないか?」




