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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【八九】【恐るべき体験】

【恐るべき体験というものは、そのような体験をした人間こそが恐るべき者なのではないかと、考えさせるものだ。】


「【恐るべき体験】って何かあるか? 千恵」

「霊感はからっきしだから、ホラーチックな経験は一切ないかな? オカルトに拘らなければ、この間の定期考査では四教科も欠点だったから、暫く放課後と休みの日は補習と課題漬の日々かな。利人は割と頭良いよね。いつも無難に平均点取りやがって」

「世間的に言えば、平均点は別に良い点数じゃないと思うが? 進研ゼミの漫画を読むと、七八点とかでショック受けているからな」

「まあまあ。テストの話しは良いよ。それで【恐るべき体験】がなんだって?」

「それが今回のアフォリズムの題名なわけだ。【八九】【恐るべき体験】」

「本文は、【恐るべき体験というものは、そのような体験をした人間こそが恐るべき者なのではないかと、考えさせるものだ。】か。これは確かにそうだよね。【恐るべき体験】を他の人に話せるってことは、その【恐るべき体験】を経験しているってことだもんね」

「そりゃあそうなんだが、それだと結局の所【恐るべき体験】ってのはなんだ? ってならないか?」

「まあ、そうだね。さっきの私の例だと、『四教科補習』と言う体験をした私が恐いかと言えば、そんなに恐くない気もするし」

「お前みたいな馬鹿がなあなあのまま進級して、進学して、就職して、選挙で投票したりすると考えると、末恐ろしいぞ」

「でも、実際、世の中それで成り立っているよね」

「恐っ! と、若干話しが逸れたが、俺は正にそう言った『人間』が世の中に溢れていることについてのアフォリズムなんじゃないかと考えている」

「ん? なんだか話しが少しわからなくなったんだけど? 【恐るべき体験】が何か、で話しを膨らまして行くんじゃあないの?」

「確かに、それでも良いんだけど……と言うか、それよりも少し踏み込んだ話しになる」

「んー。良くわかんないから、取り敢えず解説どうぞ」

「まずニーチェにとっての【恐るべき体験】ってのはなんだったんだろうか?」

「国語の問題っぽいね。『作者の気持ちになって考えましょう』ってね」

「そ。結構悲惨な人生を歩んでいるニーチェだが、やっぱり【永遠回帰】の思い付きこそが、一番衝撃的な経験だったんじゃあないかと俺は思う」

「【永遠回帰】。人生はループ物ってやつだっけ? 記憶は持ちこめないけど、人間は何度も同じ時間を経験しているって言うニーチェの看板商品」

「正解ではないけど、そんな認識で問題もないな。前にも言ったと思うけど、時間が直線的なものではないって言うのは、キリスト教的な世界観では有り得ないことだ」

「そうだったけ? でも、インド神話とかだと世界は創造され、維持され、破壊され、また創造されるよね? そんなにループする時間って言うのは珍しいの?」

「珍しいか否かで言えば、東洋の哲学や宗教では輪廻転生とかの人生を繰り返すと言う思想はありふれている。実際、古代ギリシャでもそう言う思想はあったはずだ。が、キリスト教の隆盛と共に消えていった。で、この苦しい人生からの解放が『天国』であるキリスト教にとって、蘇ったり転生したりって言うのは調子が悪いからな、異端として排除されるのは当然だろう」

「死に対する見解が二つもあると、『どっちが本当か』って論争になっちゃうもんね」

「そんなキリスト教の圏内で生まれ育った人間にとって、人生に終わりがないって言うのは、凄まじい衝撃だったんだ。多分、ニーチェはもっと多くの人間が驚くと思っていたんじゃあないか? この発想に」

「でも、世間様には評判悪かったんでしょう? この【永遠回帰】。まあ、二〇〇〇年以上前に東洋哲学が辿りついた境地の同類なわけだし、別に驚く程のことじゃあないんだろうけど」

「いや。西洋人は別にこのことを知っていたから驚かなかったわけじゃあない。って言うか、知らない人の方が多いんじゃあないか?」

「あ、そうなの?」

「当時は書籍だって高級品だし、インターネットなんて当然ないからな。なけなしの金を叩いて、植民地の文化を勉強しようなんて奴はいないだろう」

「ふーん。じゃあ、何を持って【永遠回帰】に吃驚しなかったわけ?」

「【神は死んだ】からじゃあないか?」

「…………」

「ニーチェと言えばこれ! って言うフレーズで、まさしくニーチェ哲学を象徴するように使われる【神は死んだ】だけど、実際にこの言葉が何処で、誰が、どんな様にして使ったかを知っている人は少ないだろう」

「まあ、そう言われれば知らないね」

「台詞のインパクトが強過ぎて、理解したつもりになっているだけの連中の多い事」

「で、結局はどう使われたわけ?」

「まず。大通りで狂人が叫ぶわけだ『神を探している』と」

「出だしから意味不明なんだけど、説明する気はあるんだよね?」

「ああ。この狂人はニーチェで、言葉通りに神様を探していた。そして周囲の人間はそれを嗤う。『神様が行方不明か? かくれんぼうか? 家出か』ってな。それを聴いて、ニーチェは言う。『私達が神を殺したのだ』ってな。そして『神は死んだ』と叫び、神のいない世界の絶望を語るが、通りの人間は誰もそれを聴いちゃあいない。そこで狂人は『早く気過ぎた』と呟く。最後は、教会が神の墓碑銘でなければなんであろうかと締められる」

「ん? ますます意味不明なんだけど? どうしてニーチェが神様を探しているわけ? キリスト教嫌いだったんじゃあないの? 神を殺したってどう言うこと? 教会が神様の墓って言うのはどう言うこと?」

「まず、『神』と一口に言っても色々いる。キリスト教の造物主もいれば、日本には八百万の神々が存在する。ニーチェの言う神って言うのは、それらとは一線を画す、善と悪の彼岸を超えた『力』だ。所謂【力への意思】であり【超人】だな」

「ふむふむ。つまりニーチェの言う神って言うのは、キリスト教の神様を指すパターンと、自身の哲学【力への意思】を言っている二パターンが存在してるってことで、今回は【超人】を探していたんだね」

「そう。が、街の人間の回答は期待はずれだった。誰も【力への意思】を覚えておらず、ニーチェの言葉に真実に気がつく様子もない。貧者の道徳であるキリスト教が街中に蔓延っていて、自由だとか平等だとかが間違って使われて、偉大な神は死んでいた。キリスト教的な文化や価値観に息の根を止められていた」

「それは、ニーチェに取って恐ろしいことなの?」

「ああ。弱い人間が集まったことによって、神と言う絶対が殺されているんだ。この圧倒的矛盾! 衝撃的な出来事だろ」

「まあ、そうなのかな?」

「だから、【力への意思】ありきの【永遠回帰】と言う思想は全く受け入れられない。神を殺すと言う【恐るべき体験】を人類は経験していながら、そこにあったのは少しの【力への意思】ではなく、【ルサンチマン】だ。真理を真理としない、摂理を摂理としない、この【畜群】達。ニーチェに取って、神を穢しながらも、平然と堕落し、生き続ける弱い人間たちこそ、真に恐るべき敵だったんじゃあないか? と、俺は考えるわけだ」

「うーん。やっぱり、私には良くわからないな。神は死んだと言われてもさ、現代人には『そもそも存在しないだろ』としか突っ込みの入れようがなくない?」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、この世は所詮原子とかの集まりでしょ? 神様の入り込む余地なく、徹頭徹尾ロジカルじゃん」

「……お前はどうしてそんなことを信じられるんだ?」

「へ? だって、教科書にも載っていたし、皆そう言っているよ」

「神様だって聖書に載っているし、皆そう言っていた。お前は考えることを止めて、他大勢の意見に従っているだけなんだよ、四教科欠点娘ちゃん」

「うぐ」

「何千年にも及ぶ人類の学習や実験と言う【恐るべき体験】をしてもいないのに、その異業を自分の物のように吹聴する自称【恐るべき体験をした人間】って言うのも、中々に恐ろしいと思わないか?」


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