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【八七】【精神の自由】

【縛られた心、自由な精神。――自分の心を堅く縛って囚えておけば、精神の自由は大きくなる。これは既に一度、語ったことがある。人がそれをもう忘れているとすれば、人はわたしを信用していないのだ。】


「縛っておけば、自由が大きくなる。矛盾していると言うか、なんか深いことを言おうとしているというか、如何にも哲学チックなアフォリズムだね。さっきまで女について語っていた人とは思えないよ」

「だからアレは比喩で、【真理】に付いて語っていたんだって。まあ、このアフォリズムが哲学的な印象を受けるのは仕方がないかもしれないけどな。この人を煙に巻くような感じは、大抵の人が抱く哲学像にヒットするだろう」

「なんか、後半は愚痴みたいになってるけどね」

「実際、本は売れなかったからな。愚痴と言えば愚痴かもしれん。ま、兎に角、頭から読んでいこう。【縛られた心、自由な精神】と物騒なスタートでこのアフォリズムは始まる」

「さっきも言ったけど、縛られているなら、それは自由じゃあないよね?」

「その答えは後ろに続いている。【自分の心を堅く縛って囚えておけば、精神の自由は大きくなる。】とな」

「いや、全然答えになってないから。因数分解途中で諦めてるでしょ、これ」

「その例えは、割と当たっているかもな。俺達は更にこれを読みこまなければ、ニーチェが何を言いたいのかを理解することはできないんだからな。さて、心と精神、そして自由について考えるとしようか」

「うーん。スピリチュアル! って言うか、心と精神って違う物なの?」

「この文章を読む限り、心と言う物の中に精神があるように俺は感じるな」

「心が、精神を産むってこと? それとも、心の中を精神が走りまわるってイメージ」

「俺的には後者かな? 心。人としての器のようなもの。人間を構成する物の中でも、最も根本的なものだ。そこに肉体があり、その脳に精神が宿る」

「ま、利人の精神論は脇に置いといて、【心を堅く縛って捉えておけば】って言うのは、やっぱり自分自身を縛ることに他ならないよね? それなのに、精神が自由になるってどう言うこと? マゾなの?」

「マゾじゃあない。そうだな。あまり正確な例えではないが、FFⅤの最低レベルプレイをするとしよう」

「やっぱマゾじゃん」

「縛りプレイだ」

「マゾじゃん!」

「まあ、マゾでも良いけど。でも、普通にプレイするよりも楽しいと思う人間も少なくない。それに、制限下だからこそ、ゲームに対する知識が求められる。通常のプレイでは些細なことが重要なテクニックになるから、クリアする頃にはかなり詳しくなっているはずだ」

「いや、詳しいから低レベルプレイするんじゃ……」

「まあ、その辺りは卵が先か、鶏が先か、みたいな話しだな。どっちにせよ、低レベルクリアするには、より深い理解が必要なわけだ。ルールによって縛られているが、逆に知識や経験はより深くなる」

「それが、【自分の心を堅く縛って囚えておけば、精神の自由は大きくなる。】ってこと?」

「まあ、少し誤解もあるかもしれないがな。もう少し正確に、しかし難しく【力への意思】を踏まえて説明すると――」

「適当にわかりやすい説明で頼むよ」

「――包丁を握った手は不自由になるが、作れる料理は増えるだろう? 自由を縛るって言葉に拒否反応を示すのはわかるが、だからこそ得られるモノや見えて来るモノがある。それは精神にも言えるとニーチェは言っているんだと俺は思う。二つも例を上げたんだから、なんとなく伝わるだろう?」

「本当に、なんとなくね。【自分の心を堅く縛って囚えておけば】ってフレーズはそのまま拘束するってことじゃあなくて、しっかりと握りしめて自分のモノにしておけって感じで良いのかな?」

「そう。そしてさっきも言いかけたが、【心】は【力への意思】を示していると俺は考えている。多くの人間が既に手放してしまった【力への意思】を手にすることで、より自由に生きるべきだと」

「えーっと、【力への意思】を失くした人は、過去の恨みや辛み、妬みや嫉みである【ルサンチマン】によって在るべき物の姿を歪めて見ちゃうんだったよね。手の届かない場所にあるブドウは酸っぱいブドウってだけに留まらず、悪いブドウだって」

「そうそう。【ルサンチマン】は『悪いものだ』と決めつけて、それ全てを排斥しようとすることがある。例えば、『異教徒』だと言うだけで人を殺してしまう信仰心。これも根本の一つに、奴隷にされていた過去や、戦争に負けて故郷を追われた事に端を発するモノがある。辛い状況に陥った人間は『どうして自分達が』と考え、それが次第に『本当は自分達の方が優れているのに』『本当は自分達の方が幸せになるべきなのに』と【ルサンチマン】から産み出した願望を事実と思いはじめてしまう。その結果生まれたのが『天国』であり『戒律』だ」

「現在の自分を手放して、妄想の自分である『本当の自分』が輝ける場所を創って、そこで暮らす為の条件をでっち上げて、そのルールの上で生きることを自由とするのが宗教だよね?」

「ああ。良く宗教の利点で『それで幸せなら良いじゃない』とか言う奴がいるが、俺から言わせて貰えば、そんなのは噴飯物だ。『幸せ』と言う鋳方に魂をぶち込んで、無理矢理形を変えて喜んでいるだけだ」

「久々で忘れかけていたけど、要するにこのアフォリズムはキリスト教批判と、ニーチェ哲学の肝である【力への意思】の重要性を語る回だったわけだね?」

「まあな。後半の愚痴も、そう言うことだ」

「えぇ。売れない僻みかよ」

「まあ、もう少し穿って見れば、世の中は決して自由でも平等でもないことを、生きている間に俺達は学んでいる筈なのに、どうしてそれに目を向けないのか。どうして自己の経験よりも、他人の理想を信じるのか! と訴えているように思えなくない」

「なるほどね。そっちの方が格好良いからそっちを利人解釈として採用しよう」

「そうだな。格好良い方が良いしな」

「うんうん。でもさ、今の世の中って結局、平等なの? 自由なの? 不平等なの? 不自由なの? どっちだと思っているわけ?」

「究極的な話し、そんな質問に意味はないと俺は思うな」

「って言うと?」

「自由じゃあないと、自由を感じられないなんて、不自由の極みだろ?」

「なんか、トートロジーで誤魔化しているだけのような気がするんだけど?」

「そうやって疑う精神がなければ、人生はきっと凄く退屈だろうさ」

「うん。やっぱり誤魔化されているよね!?」

「じゃあ、偉人の名言で答えるとするか」

「ニーチェじゃないの? その言い方は」

「ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインと言うオーストリア出身の哲学者はこう言った」

「ほう」

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」

「おい!」

「じゃあ。また次のアフォリズムで」


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