【八二】【同情】
【「すべての人に同情する」ということは、――わが隣人よ! それは君自身を過酷に扱い、虐待することではないだろうか。】
「ニーチェは極めて【同情】に否定的だ。そしてニーチェが【同情】を否定する時、その根底にあるのは、このアフォリズムにも【隣人】の言葉があることからもわかると思うが、キリスト教の聖書にある『汝、隣人を愛せよ』って言葉に対するアンチテーゼであることに疑いようはないだろうな」
「おお。何時になく真面目な切り出し! どしたの?」
「特に意味はない。なんとなく格好を付けてみたかっただけだ。男の子だからな」
「男の子なら仕方がない。それで、今回のテーマは【同情】。普通と言うか、常識的に考えて、同情するって言うのは悪いことじゃあないよね?」
「となると、その常識と言う物は何処から始まったのか、ってところがポイントになる」
「どうせ、キリスト教でしょ?」
「どうせ、とか言うな。しかし、鋭いな。その通りだ」
「いや、利人が自分の口から冒頭で説明していたから。国語のテストよりも簡単にわかったよ」
「なるほど。一理あるな」
「一理も何も、それが全てだよ。いつも以上にぐだぐだじゃん? もう、格好良い路線は諦めたら?」
「……そうすると、冒頭は『【八二】ってハニーに読めるよな』って言う本当にどうでも良い入り方にするつもりだった。別に、某金髪アイドルのファンってわけじゃないけど」
「そんな裏話は良いからさ、話しを進めようよ?」
「ああ。【同情】だったな。反キリスト教のニーチェは通常『良い』と考えられる【同情】を『悪い』物として考えている。それは何故か? ここでニーチェはハッキリとそれがどう言う物かを記している。【それは君自身を過酷に扱い、虐待することではないだろうか。】と」
「ここが良くわからないんだよね。どうして他人に【同情】することが、自分自身を過酷に虐待することになるわけ? 少なくとも、相手の為にならないから止めろ、みたいなことじゃあないのは伝わってくるけど」
「ニーチェ的な歴史や社会の見方をしなければ、見えてこないよな。結局の所【同情】がどう言った起源を持ち、どのような意味を含ませられていたか、そこがポイントになる」
「えっと、キリスト教は弱者が強者を羨む気持ちの裏返し、弱いままに強い力を持った文化なんだっけ? 『手の届かない位置にあるブドウは酸っぱいブドウだ。だから、悪いブドウだって』感じに、当時の権力者達を悪にした」
「だな。ニーチェの【力への意思】はその真逆に位置するもので、自分自身を高くする物、強くする物こそが良い物だった」
「対立する価値観だけど、結局の所はキリスト教的な思想が勝ったんだよね? 弱いことこそが強いって言う逆転の価値観が。ってことは、『隣人を愛せ』にも逆転の意味あるわけ?」
「その通り。『隣人を愛する』ことのメリットは何だと思う?」
「…………愛をメリットデメリットで考えるから、モテないんだよ?」
「ほっとけ! 余計な御世話だ!」
「はいはい。まあ、そうだね、争いを失くす効果があるんじゃない? これって、そう言う格言なんだよね? 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』だっけ? 自分自身を好き好んで傷付ける人はいないからね。まあ、中には変わった人もいるかもだけど」
「そう言う連中は、自分自身を傷つけることで愛しているんだけどな。そんな変態の話しは放り投げるとして、その通りだ。『隣人を愛せ』って言うのは、要するに社会の安寧の為に必要な処置であり、平和を維持する為の物だ」
「普通に良い事じゃん」
「その『平和』が実際に正しい物であるならば」
「え?」
「ニーチェは別の本で、人類の歴史上、沢山の『群れ』が存在し、『支配者』と『服従者』がいたと記している。更に、服従に幸福を覚えるように人間は慣らされてきたと続く」
「…………まあ、私達とかもろに搾取される側の人間だよね。でもって、大抵の人は『仕方ない』とか『社会とはそう言う物』って言って我慢してる」
「俺が何時も思うのは、『選挙に行け!』って言っても『立候補しろ!』とは言わないだろう? 政治家になる権利だって全員にあるのに、何故か選挙権だけを取り上げる。これは俺達が飼いならされている証拠じゃないか?」
「でも、私みたいな奴が政治家になっても意味なくない?」
「なんで?」
「だって、応援してくれる人もいないし、そもそも選挙するお金もないし」
「そ。誰だって立候補できるが、政治家になれるとも限らない。結局の所、支配力のある連中が人を支配しているだけだ」
「随分、政治的なこと言うんだね? 揉めるよ?」
「誰も見てないから読んでないだろ、こんな所まで。最初の変でブラバだよ、ブラバ。アクセス数みるとわかっから」
「自虐的だなぁ」
「まあ、兎に角、俺達の言う社会なんて物は、【力への意思】由来の自由な物ではなく、むしろ『畜群』を育てる飼育小屋みたいな物だ。こんな生活を維持しようとしている場合じゃあないだろ?」
「なるほどね。つまり【君自身を過酷に扱い、虐待することではないだろうか。】って文は、肉体的な自虐行為のことじゃあなくて、この社会で生きることそのものが【力への意思】で生きなくてはいけない人類にとって、過酷な虐待だってことなんだね」
「そう言うこったな」
「相変わらず、アナーキー過ぎない? サバンナじゃあないんだよ? 精々『同情するなら金をくれ』程度の話しだと思っていたのに」
「まあ、最初はそっち方向でお茶を濁そうとも思ったんだよな。でも、見たこともないドラマの台詞で話を膨らませるのは無理があった。ネットでちょっと調べただけの付け焼刃で話すのも気が引けるし」
「なんでそう言った配慮ができるのに、政治とか宗教に対しては行け行けGOGO! なの? なんなのなの?」
「でもまあ、実際『同情するなら金をくれ』ってその通りだよな。同情された所で、現状が変わるわけでもないし。気持ちよりも行動が大切なことって多いよな。行動しない罪悪感を消す為に、せめて同情してるだけなんだろうな」
「折り鶴よりも、金くれって被災地の人は皆言ってるから」
「皆って誰!? ボランティアになんて行ったこともないのに、どうして代表者面してそんなこと言えるの!? お前も大概にすげーよ!」
「そう言えば、ボランティアって言うのはどうなんだろうね? ニーチェ的には」
「うーん。やっぱり、他人の為に時間を使うなら、自分の為に使えって言うんじゃあないか? それが自分の為になるのであれば、するべきだろう。ハリウッドスターとかみたいに、人気取りや『良いことした気分』になる為にやるんなら、最低だって言うんじゃあないか? ってか、俺がそう思うね」
「手厳しいなぁ。目的がなんだろうと、結果的に沢山の人を救ってるんだよ? 善行じゃん。何もしない利人よりは数倍立派だよ」
「手緩いな、千恵。『結果が良ければ全て良し』として良い、なんて考え方が罷り通ること自体が恐ろしいと思わないのか? だから俺達はずっと支配されているんじゃあないか? 『自分には関係ない』って言う結果しかださない政治家達によ」




