【八〇】【自己知】
【ある事柄が解明されてしまうと、私達は関心を失うものだ。――「汝自身を知れ!」と勧めたあの神は、何を言おうとしていたのだろう。おそらく「自分にかかわるのをやめよ! 客観的になれ!」ということだったのかもしれない。――それではソクラテスは? そして「学問的な人間」は?】
「さてさて。哲学を語る上で【「汝自身を知れ」】と言うフレーズは欠かせない物と言っても過言はないだろうな」
「うーん。聞いたことはあるんだけど、結局このフレーズって何なわけ?」
「古代ギリシャにあった『デルポイ』の『アポロン神殿』の入口に刻まれた警告文だとされている。他にも、『過剰の中の無』だとか、『誓約と破滅は紙一重』とかが警告文として有名だな。まあ、【「汝自身を知れ」】と比べるとマイナーになっちまうけど。アポロンの神殿は神託の巫女から託宣を受け取る場所であったらしい」
「古代ギリシャって言うと、ギリシャ神話のアポロン?」
「ああ。最近はソーシャルゲームで引っ張りだこのギリシャ神話のアポロン神だ。所謂『太陽神』って奴で、かなりの神性を持った高位の神だ」
「例えば?」
「詩歌や芸術に始まり、羊飼いの守護神をしたり、敵の兵士に病を与え、自軍には癒しを与える戦の神でもあり、太陽の化身でもあり、そして神託を与える者でもある」
「ちょっと欲張り過ぎじゃない?」
「起源は豊饒の神と言うのが有力だ。古代において、大地の実りは最も偉大な神の御業だからな。それ故に強大な神になりやすいんだ。羊飼いの守護神と言う側面も考えると、元々は遊牧民の間の信仰だったのかもな」
「うーん。神様にも歴史があるんだね」
「因みに、この名前は前にも一度出て来ている」
「え? そうだっけ?」
「最初の最初だな。年譜に出て来ている。
【一八七二年】【二八歳】
【前の年の春にルガノに滞在していた時に執筆した『悲劇の誕生』を年初に刊行。アポロ的なものとディオニュソス的なものという二つの芸術運動の原理を提示した傑作である。】
のアポロって言うのは、アポロンのことだ」
「ふーん。それで? この文章は誰が考えたの? アポロン?」
「諸説あるから語らないが、このフレーズで有名なのはソクラテスだ」
「アフォリズム中にもあるね、その名前」
「哲学者として超有名だからな。ビックネームだし、【『汝自身を知れ』】と『無知の知』のエピソードは興味があったらググれ」
「説明はしてくれないんだ」
「んー。ニーチェから脱線し過ぎだからなぁ。簡単にさわりだけ言えば『知っている振りをしている人間が多過ぎる。私はそのことを少なくとも知っている』と言うのがソクラテスの『無知の知』だ」
「んーっと?」
「生意気な小学生の糞餓鬼が『なんで?』『なんで?』って質問をし続けられると、その内答えに困るだろ?」
「それ、利人のことでしょ」
「…………まあ、試しに誰かと試してみれば良い。最終的には答えられなくなる。俺達は自分の行動の根源を何も理解できていないんだ」
「それが『無知の知』」
「そ。そして今回のアフォリズムは【ある事柄が解明されてしまうと、私達は関心を失うものだ。】と始まる」
「これはわかるかなー。ネス湖の怪物だとか、ミステリーサークルだとか、めっきりテレビでも見なくなったもんね」
「今の小学生が知っているかもどうかも怪しいなぁ」
「いやいや! 私達も若いから! むしろ女子小学生だから!」
「アイルランド独立の英雄と妄想楽しむ女子小学生とかいねーから! 兎に角、俺達は既知のことに対して興味を持ちにくい。まあ、同じ漫画や小説を何度も読み直すこともあるし、絶対ではないけどな」
「まあ、一度読んだだけでその本を全て知れるわけもない気もするけどね」
「間違いないな。そしてアフォリズムはこう続く【――「汝自身を知れ!」と勧めたあの神は、何を言おうとしていたのだろう。】とな」
「ここで【「汝自身を知れ」】ね」
「俺達は知っていることに興味を失ってしまうと言うのに、どうして【「汝自身を知れ」】なんて神は言ったんだ? とニーチェは問うている」
「でも、それは直ぐに自答しているね。【おそらく「自分にかかわるのをやめよ! 客観的になれ!」ということだったのかもしれない。】ってさ。知ることで興味を失う人間に、【「汝自身を知れ」】と勧める理由として【「自分にかかわるのをやめよ!】って言うのは、文章の流れ的には間違ってないと思うんだけど、なんか奇妙だよね」
「間違いなく、普通に生活していたら【「自分にかかわるのをやめよ!】なんて言わねーからな」
「そうそう。【「客観的になれ!」】はまだわかるけど」
「だけど、少し考えて見れば「客観的」って言うのは難しいよな。難しいことだからこそデルポイの神殿に刻まれたんだろうけどよ」
「【「汝自身を知れ」】は客観的に自分を見ろって言う警告なの?」
「そう解釈されることが多いし、普通はそう解釈される。ニーチェだってこのアフォリズムではそう言う意味合いで利用している。ただし【「自分にかかわるのをやめよ!】って言う聞き慣れない文章と共にだ」
「ニーチェの言う【客観的】って言うのは、自分自身すら放置するわけ? って、あれ? 客観性って元々そう言うものだっけ?」
「一般的に主観が入っていたら客観じゃあないだろう。特別に変なことを言っているわけじゃあないんじゃないか?」
「でも、この言い方は何か釈然としないんだよね」
「ま、久しぶりになるが【遠近法】についてのアフォリズム何だろうな」
「えーっと、人は自分の主観で物事を見てるって奴だよね? 道徳とか、戒律とか、そう言った物の入った主観で」
「そんな所だ。世の中の頭良い奴は、大抵、自分は物事を客観的に見ることができるとおもっている。けど、ニーチェは『本当に?』と疑問を投げかけているんだ『お前は自分に無関心でいられるか?』ってな」
「自分に無関心って何? って所から話しが始まりそうだよ」
「いや、それについてはこのアフォリズムで最初に語られている」
「あ。【ある事柄が解明されてしまうと、私達は関心を失うものだ。】だね」
「そう。完全なる客観性の為には、俺達はまず自分自身を知らなくてはならない」
「【「自分にかかわる」】ことを止める為には、まず自分のことを解明しつくさないとダメってこと?」
「ああ。そして、自分自身を理解するためには、やっぱり客観的に物事を理解する目が必要だろう」
「あれ? なんか無限ループしてない?」
「だろうな。だからニーチェは続ける。【――それではソクラテスは? そして「学問的な人間」は?】と」
「ソクラテスは分かったけど、【「学問的な人間」】って言うのは?」
「この【「学問的な人間」】はまあ、今までの哲学者のことだろうな。偉そうに世界を解釈するのは良いけど、それは果たして本当に客観性のある考えなのか? とかなんとか問いただしているわけだ。あと、ニーチェの最初の論文が学会では認められなかったことも関係あるかもな」
「ま、まあ。ニーチェの個人的な恨み言は置いておいて、じゃあやっぱりこれは、今までの哲学の求めていた『真理』のような物の不完全さ指摘するアフォリズムってことで良いんだよね?」
「だな。結局、自分自身すら、人間は理解することが出来ない。だからもっと、自分のことを考えろ、って話なのさ」
「人間、自分のことよりも他人のことに必死になりがちだもんね」
「そうだな、芸能人の不倫だとか、政治家の不正だとか、他人の儲け話だとか、そんなことはどうでもいのさ、本当はな」
「まあ、娯楽としては必要だとは思うけど『他にやることないの?』とは思うよね」
「特に無職の奴が大きい声で、不正に対して正論を言ってるとクソみたいに腹が立つんだよな」
「ま、まあ、落ち着いて」
「と、悪い悪い。。今回はこの辺にしておくか」
「じゃ、また次回」