【七八】【自己軽蔑者】
【自分を軽蔑している人でも、自己軽蔑者としての自分を尊重しているものだ。】
「なんとなく、【自虐】とタイトルが被っている感があるね、【七八】【自己軽蔑者】って」
「その言い方だと、ネタに詰まって来たように聴こえるから止めてくれ。何度か言ったと思うが、散発的に書いていたメモをニーチェが後にまとめている物だから、そう言うこともあるんだよ」
「わかってるって。でも、このアフォリズムは割とわかりやすいね。皮肉も利いているし、ニーチェのセンスが伝わって来るよ」
「ん? 千恵はそう感じたのか?」
「うん。これって、アレでしょ? 『私ブス過ぎ~』とか言ってツイッターに自取写真を上げる勘違い女のことを言ってるんでしょ?」
「凄まじい憎悪の籠った具体例をありがとう」
「『そうだね』って言ってやったら、ブロックされちゃったけど、気分爽快だったね」
「性格悪っ! そしてなんかもう、大体その説明で合ってる気がして来ちゃった」
「こう、四コマ漫画的なテンポで解説が終わっちゃったね」
「――なんて言うほど、このアフォリズムは浅くない」
「えぇー」
「そんな『かまってちゃん』が世の中にいるなんて、ニーチェじゃなくても誰でも気が付く! ニーチェの持つ繊細さと言うか観察力はもっとひねくれているに決まってるだろ!」
「そこはかとなく、ニーチェをディスってない?」
「そんなことはない。斜に構えて世界を見ている感じが、全世界の厨二病患者の心を捉えて離さないんだ」
「ある意味、褒め言葉なのかな?」
「話しを戻すと。【自己軽蔑】と言うのは、一般的な軽蔑とは意味合いが全然違う。具体的に説明するならば、【ツァラトゥストラはこう言った】がテキストとして相応しいだろう。って言うか、アレを読んでないと千恵みたいに勘違いをするだろうな。【善悪の彼岸】はアレの補足的な意味合いが強いし」
「そんな前提があると知っていれば、自信たっぷりに勘違いしなかったよ!」
「予習して来いよ。まあ、俺も【善悪の彼岸】から【ツァラトゥストラはこう言った】を読んだ口だからな。順番はそれ程重要ではないと言えば、重要ではない。ナンバリングタイトルってわけでもないんだから、好きに読めば良いとおもうけどな」
「私はきっちりとした性格だから、最初から読みたい派だなぁ」
「…………きっちりした性格? 誰が? いや、まあ、いいや。さて、ニーチェにとって『人間』や『自己』と言うのは『克服すべき物』である。これは何度も説明したと思うが――」
「【力への意思】と【超人】でしょ?」
「――その通り。ニーチェにとって現代人は超人までの道のりの一つでしかなく、脆弱で不完全で愚かな生物だ。だから俺達は【軽蔑】すべき矮小な存在なんだよ、本来は」
「ちょっと話しが大袈裟過と言うか装飾過剰な気がするんだけど、『人間って言う馬鹿だ』ってこと?」
「かなり噛み砕けばな」
「でもさ、だから【軽蔑】するって言うのが全然わからないんだけど? そんな自分を軽んじて蔑ろに扱うことが、どう【超人】の思想とどう関係するわけ?」
「この【軽蔑】って言うのは、馬鹿な女の自虐風自慢とも、千恵に対して向ける俺の視線とも違う物なんだよ、根本的に」
「根本的に、ね。具体的には何が違うわけ? って言うか、私そんな目で見られてたの!?」
「愛だよ」
「は?」
「自己愛によって、自分を軽蔑する、それが大切なんだ」
「ん? んん? それって『かまってちゃん』的な自己軽蔑と一緒じゃないの?」
「全然違う。『かまってちゃん』はそもそも、自己軽蔑をしていない。自虐的な発言ではあるが、それは自分を良く見せたいと言う虚栄心からの行動だ。実際には自分を全く不細工だと思っていないわけだからな」
「【自虐】と【自己軽蔑】は似ていても別な物のわけ?」
「この場合の『自虐』と前にやった【自虐】もまた微妙にニュアンスが違うからな」
「それってどうなのよ」
「世間の常識と、ニーチェ的な解釈は似て非なるからな、その辺はどうしようもない。ただ、その当たりのニュアンスの違いを見抜く為に知識も必要になって来るんだよなぁ。そう言った所も、哲学書が敬遠される理由かもしれんな」
「因みに、この作品ではニーチェ出典の単語の場合は【】で囲むようにしてるよ! 今更だけど!」
「何処に向かって喋ってるんだ? 兎に角、ニーチェの言う【自己軽蔑】には、【力への意思】がある。自らの欠点を認め、【軽蔑】する。それはただ単に貶しているだけじゃあない。『より高く有りたい!』と言う力強い生への肯定なんだ」
「【軽蔑】が肯定?」
「そう。より良くなる為の客観的な自己認識の末に、自分の足りない部分を【軽蔑】し、そこを変えようとする姿勢を持っているからこそ、【自己軽蔑者としての自分】を【尊重】するに値するんだよ。ただ他人に『そんなことないよ』と言われたいだけの阿呆な行為と、ニーチェの言う【軽蔑】はまったく違う物なんだよ」
「じゃあ、軽蔑なんて使わなければいいのに」
「…………そう言うこと言っちゃう?」
「へ? え? あ、駄目だった?」
「わかってないなぁ。そう言う所が格好良いんだよ」
「わからないよ、そんなロマン」
「漫画とかで感じの過剰な横文字のルビが振ってある時があるだろ? 必殺技とか。あれと似た感じだよ。『ああ。その字にそんな意味を当てちゃうのか!』みたいな」
「それで難解になっていたら元も子もないような……」
「それは、それ」
「まあ、より正確に知りたいなら、自分で原文を読んでもらうしかない感じ?」
「そうなっちまうな。仮に原文で読んだとしても、結局それを脳内で日本語に変換してしまうわけだから、それだけじゃあ足りないだろうけど」
「当時の文化とか風習とか、情勢とか知らないと十全に楽しめないって言うのは、一般小説でも結構あることだよね」
「ややこしいが、ニーチェはある種の自己批判を【軽蔑】と呼び、それを肯定していたことだけ覚えていれば十分だろう。勿論、自己克服までを含めての行為をそう呼んでいたわけだから、自分の嫌いな所を論ってネガティブになることはただの『軽蔑』に過ぎないし、それを口に出して言う様な奴は、同情されたいだけの連中だってことも忘れちゃ駄目だ」
「要するに、客観的に自分を見ようってことで良いのかな?」
「簡単に客観性って言うが、客観は哲学の大きな問題であるからな。全然要せてないぞ」
「そうなの?」
「『我思う、故に我あり』ってあるけど、じゃあ、『我思う、故に我あり』と思う『我』って誰だ? って話しになるからな」
「へ? どう言うこと?」
「っと、この辺りを掘り進むと紙面が幾らあっても足りないからな。今回はここまで!」