年譜
「この作品は俺、『自由ヶ丘利人』と――」
「私『二階堂千恵』が!」
「フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ著『善悪の彼岸』の『第四篇』を語り合う物となっている。何故、善悪の彼岸なのか、どうして四篇なのか、そう言った疑問もあるかもしれないが、後々解説していくつもりだ。他に何か質問はあるか?」
「はい!」
「はい。千恵ちゃん」
「ニーチェって誰?」
「お、良い質問だな。と、言うわけで、彼の一生を簡単に見て見ようか」
「おお! 流れるような展開。無知が訳に立つこともあるんだね」
「そうだな。世界は馬鹿が動かしているからな。愚かであることは幸福だ」
【一八四四年】【〇歳】
【プロセインのライプチヒ近郊の町レッケンで、牧師の家に生まれる。両親もプロテスタントの牧師の家の出身だった】
「今から一〇〇年以上も昔、現在のドイツでニーチェは産まれた。比較としては、一八六八年に『明治』が始まるぞ。日本は幕末と言われる時代よりも少しだけ前だな」
「日本で言えば、新撰組の斎藤一が産まれた歳だね。陸奥宗光とかも」
「千恵は幕末好きなようだ」
「まあね。それでニーチェさんはキリスト教徒ってことで良いのかな? プロテスタントってのが何か今一わからないけど」
「そうだな。まあ、欧米ではキリスト教徒と言うのは珍しくないことだがな。因みに、プロテスタントは新教と訳されることもあるな。カトリックとプロテスタントの違いは本編に関係ないので説明しない。が、中世の技術躍進と共に、起こるべくして起こった分離だと言えるだろうな」
「はあ。ではでは、ニーチェさんは偉い牧師さんってことなのかな? キング牧師的な」
「そうだな。子供の頃は『小さな牧師さん』と言われていて、几帳面で真面目な少年だったようだな。成人後も、紳士的な人であったらしい。あとは、幼くして父親と弟を亡くしていることも説明しておこう」
「え? それって普通もっと大きく取り上げるべき事じゃないの?」
「だな。ギムナジウム――小学校のような物に通っている当時、父が生きていた時の幸せや、弟を失った悲しみを綴っている。他にも持病や家族の死等、困難は多く、しかしそれは神のお導きのおかげで乗り越えることが出来たといっていたそうだ」
「おお! 牧師っぽいエピソードだ」
「んじゃあ、次は飛んで二十歳の頃」
【一八六四年】【二十歳】
【ボン大学神学部に入学。古典の魅力につかれて、翌年には神学をやめると宣言し、文学部に編入する】
「って! おい! 神学辞めちゃってるじゃん!」
「神学が何かわかるのか?」
「いや……それはわからないけど、牧師になる気がないのは十分に伝わって来るよ!」
「音楽と国語の才能に愛されていたらしく、名門校の特待生になるくらいだ。その時に、全寮制の生活をしていたから、田舎の迷信深いキリスト教信仰から離れることになったんだ。まあ、世界が広がったんだろうな。因みに、母親とは喧嘩になった」
「当然だよ……。まあ、牧師よりもミュージシャンとか詩人の方が格好良いからその気持ちもわからなくないけど」
「ニーチェがそんな俗な理由で神学をやめたかどうかは知らんぞ……。あと、牧師を悪く言うな」
「おう。ごめんなさい。話しを戻すけど、ってことは、ニーチェさんは作曲家?」
「さあな。じゃあ、その翌年」
【一八六五年】【二一歳】
【ボン大学で文献学を学んだリッチュル教授がライプチヒ大学に移ったため、ニーチェもライプチヒ大学に移る。リッチュルの勧めで文献学研究会を組織。ニーチェがもっとも文献学者らしかった時期である。この年ショーペンハウアーの『意思と表象としての世界』を読んで感銘を受ける】
「残念。ニーチェは古典の文献学者になるようだ」
「いや『文献学者らしかった』って、完全に後で辞めてるじゃん! 信仰を棄ててまで選び取った道じゃあないの?」
「まあ、それはおいおいと……ってことで」
「中途半端な。それで、このショーペンハウアーって?」
「哲学者だ。近代哲学を語る上では外せない哲人。初期のニーチェはかなり濃くその影響を受けているらしい」
「ふーん。なんだか、タイトルからして意味不明な作品書いているんだけど、どう言う人なわけ?」
「一言で説明するのは難しい。が、極端に言えば『生きるのは苦しい』『それでも人の根底には生きようとする意志がある』と言うことを主張した哲学者なのか?」
「そんなこと、言われなくても知ってるんですけど」
「それを体系化したわけだな。兎に角、ニーチェはこれに嵌った。元々、苦労をして来た青年だったのもあるんだろうな。そして、キリスト教はこの世の不幸を試練と呼ぶが、真っ直ぐにこの世の苦しみを認めているショーペンハウアーの著作に衝撃も受けたとも考えられるだろう」
「キリスト教に思う所があったんだね。まあ、わからなくないけどね。宗教なんて胡散臭いし」
「胡散臭いかどうかは知らんが、少なくとも現代日本人からしてみれば、宗教と言うのは時代遅れ感はあるな。が、当時のヨーロッパではそんなことを言う奴はまずいない。流石に魔女狩りのようなことはなかっただろうが、キリスト教信仰は根強く、恐らく今を生きる人たちよりも信心深かっただろう。じっさい、ニーチェママは息子が神学を諦めることに相当の衝撃を受けたわけだしな」
「なるほどねー。じゃあ、次!」
【一八六七年】【二三歳】
【ライプチヒ大学の懸賞に応募した論文「ディオゲネス・ラエルティオスの典拠について」が受賞。一〇月にナウムブルク野砲兵牙連隊に入隊し、訓練を受ける】
【一八六八年】【二四歳】
【軍務中に落馬して胸を強打し、療養。一〇月に除隊になり、ライプチヒ大学に復学する。『トリスタンとイゾルデ』を聴いて、ヴァーグナーに心酔する。リッチェル夫人の紹介でヴァーグナーを初めて訪問】
「二三歳の時、古典文献学者として賞を取っているな、その後、入隊。因みに衛生兵だ」
「兵隊さんになったの? 以外だな」
「日本ではとっくの昔になくなったが、徴兵制度が残る国は今もあるし、お国の為に兵士を経験すると言うのは別段珍しいことでもないようだが、詳しくは知らん」
「『文化がちがーう』ってことだね」
「まあ、だが、直ぐに除隊する。落馬。そしてジフテリアにも感染したそうだ。元々病弱だったこともあり、直ぐに復学する。ただ、この時の病魔は今後もニーチェを苦しめることになる」
「うーん。若いのに前途多難だね。あ、このヴァーグナーは知ってるよ結婚式の曲の人でしょ?」
「正解。ニーチェが音楽の才能があるとは先に行ったが、当然、彼は音楽が好きだった。特にヴァーグナーには心酔していたようだ。ヴァーグナー自身も、若き天才文献学者であるニーチェを認め、交友を繰り返すことになる」
「なんて言うか、エリート! って感じだね」
「実際、ニーチェは天才と呼ぶにふさわしい人間だろうな。持病や、不幸な家庭環境にも負けず才能を磨き、学会や成功した音楽家に認められたわけだし。順風満帆とは言ないが、それでも十分に素晴らしい人生を歩んでいる」
「その、露骨にここが人生のピークだったみたいな引きやめて!」
【一八六九年】【二五歳】
【文献学の研究者として学会から嘱望され、リッチェル教授の推薦で、バーゼル大学から古典文献学担当の院外教授として招聘される。まだ二五歳の若さであり、しかも博士論文も教授資格の取得も免除されることになった。翌年には正教授に昇格している。ニーチェが後に身体を壊してリゾート地をさすらうあいだも、バーゼル大学は年金を払い続け、その生活を支えたのだった】
「と、言うわけで二五才なんだけど、前半と後半の落差が凄いよ! 利人!」
「二五歳で特別に教授となった。しかも、その辺の私立ではないぞ? 一四六〇年に設立された、スイス最古の大学だ。千恵に言った所で誰一人知らないだろうが、数々の有名偉人を排出している、超! 名門大学だ。しかも、当時は馬鹿でも大学に遊びに行く時代じゃあないからな。本当にこれは快挙と言えるだろうな」
「いや、それよりも後半が凄い不吉なんだけど」
「安心しろ、その予感は当たる」
【一八七二年】【二八歳】
【前の年の春にルガノに滞在していた時に執筆した『悲劇の誕生』を年初に刊行。アポロ的なものとディオニュソス的なものという二つの芸術運動の原理を提示した傑作である。
ギリシア悲劇の根底には、ディオニソス的な芸術衝動が働いていたと主張し、その根源を「合唱」という音楽に求めた。初版のタイトルを『音楽の精神からの悲劇の誕生』としたのもそのためであり、ニーチェはヴァーグナーの楽劇において、古代のギリシアの悲劇が再生すると考えたのである。このヴァーグナーへの思い入れの為に、ヴァーグナー夫妻からは激賞されるが、文献学の専門官たちの評価は極めて低かった。リッチュル教授にまで「才気に走った酔っ払い」と評されるくらいだったのである。この時代の論考『ギリシア人の悲劇時代における哲学』は今なお鋭い考察を秘めている】
「な、長い……」
「この年に語るべきことは一つ。ニーチェの文学者としての人生はここで終わる」
「二八で出世の道が閉ざされちゃった!」
「何が起こったか、極端に言えば『論文でヴァーグナーをヨイショした』のが原因だ」
「あの、意味がわからないんですけど」
「そのままだ。学会で、最近流行りの音楽家の素晴らしさを語ったんだ。極端に言えばだぞ?」
「私でも、それがどんな結果を招くかわかっちゃうんだけど」
「だろうな。もっとも、かなり極端な説明だ。秩序を象徴するギリシアの神『アポロン』と、混沌を象徴するギリシアの神『ディオニソス』を用いてギリシアの古典文芸を読み解き、当時の文化を考察すると言う試みは現代では高く評価されている。ただ、『ヴァーグナーは古代ギリシア的文化の継承者なんだ!』と最後に付け足してしまったのが駄目だった」
「ま、まあ、それくらいヴァーグナーを好きだったってことだよね? ヴァーグナーは喜んでいるっぽいし。出世よりも友情を取ったと思えば良い話かも」
「そうだな。本当に当時のニーチェはヴァーグナーに心酔していた」
【一八七三年】【二九歳】
【『反時代的考察』第一篇を出版。第二偏と第三篇は翌七四年刊行。当時のドイツ文化の俗物性にたいする激しい批判で、ショーペンハウアーヴァーグナーのうちに救いを見出している】
「お! それでも本を出すって凄いメンタル強いね、ニーチェさん」
「ヴァーグナーに対する思いも持続しているな」
【一八七六年】【三二歳】:
【病気のために大学の授業を休講にする。『反時代的考察』第四篇、『バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー』を刊行。第一回バイロイト祝祭劇で『ニーベルンゲンの指輪』の練習を聞きにでかけるが失望して逃げ出す。イタリア旅行】
「が、この年に、ニーチェはヴァーグナーに失望してしまう」
「ええ! 論文に書いちゃうレベルで好きだったじゃん!」
「まあ、信仰を捨てちゃう程だから多少はね?」
「多少? 多少じゃあないでしょ! って言うか、その信仰を捨てて得た文献学教授の地位も失っているんですけど!」
「大丈夫だ。この時、ニーチェの講義には人が殆ど入っていなかった。それに、病気が原因だから、解雇されたわけじゃあない。治れば復職できる」
「何も安心できない! さっき身体を壊して療養の為にリゾート地をさすらうって教えてもらったばっかなんだけど!」
「で、だ」
「あう。強引に流された」
「ニーチェがどうしてヴァーグナーに見切りを付けたかと言えば、簡単に言えば俗化したからだ。ディオニソス的な芸術を売りにしていた作品が、見事に大衆向け、つまりキリスト教に受けるような作品になってしまっていた」
「好きなインディーズバンドがメジャーになると無難な歌ばかり歌い出した感じ?」
「多分。だが、事情もあった。ヴァーグナーは劇場とか作っていたし、金が必要だったんだよ。今で言うと、音楽プロデューサーみたいな感じかな」
「ヴァーグナーPねえ。それでも、確かにファンとしては、方向性を変えられるのは寂しいよね」
「ちなみに、ニーチェが失望したこのオペラだが、あんまりおもしろくなくて、当時の新聞も散々に評価している。ヴァーグナーはノイローゼになった」
「誰も救われねぇ!」
【一八七八年】【三四歳】
【『人間的な、あまりに人間的な』を刊行し、ヴァーグナーとの仲が決裂する。人々の称賛を博していたヴァーグナーが、楽劇によって古代ギリシアの悲劇の精神を復活させてほしいという願いを裏切るものに思えたのである。ヴァーグナーは激しいニーチェ批判の文章を公表する】
「で、二年後。ニーチェは『人間的な、あまりに人間的な』で、ヴァーグナーやショーペンハウワーとの決別を表現する。当然、ヴァーグナーにもそれを送り付け、二人は凄まじい喧嘩別れをした」
「なんでこの人はやること成すこと極端なの?」
「知らんがな。まあ、天才だからと言えば、一番納得がいくかな? 持病による頭痛に悩まされ、精神的に不安定だったと言う説もある」
「まあ、現状病気で療養中なわけだし、不安になるのは仕方ない面もあるかも」
【一八八一年】【三七歳】
【六月末に、『曙光』刊行。前年にヴェネチア、バーゼル、マリエンバード、ジェノヴァなどのリゾート地を訪問しながら、書き溜めたものである。この時代から、ニーチェはホテルにトランク一つで滞在し、歩きながら考えたアフォリズムをまとめて書物にするようになる。これがニーチェの思考を紡ぐ方法になったのだった。
八月にジルス・マリアに滞在。「永遠回帰」の思想に襲われたのは、この地を滞在している時のことだった】
「そして、ニーチェさすらいの療養旅が始まる」
「なんて言うか、結構良い生活だよね。リゾート地巡りじゃん」
「一応、療養だし、定住地を持たないと言うのは辛いことだと思うけどな」
「この『アフォリズム』って言うのは何?」
「日本語で言えば『箴言』。格言みたいな物と思えばいいかな? 病気のせいで長い時間集中できなかったニーチェは、短い言葉で自分の思想をまとめていたようだ。だから、ニーチェの作品の殆どは、論文ではなくアフォリズム集になっている。詩的な所はあるが、短い文章の物が多いから、他の哲学者と比べると、ニーチェの作品は割と読みやすいと思うぞ」
「なるほど。じゃあ、『永遠回帰』って言うのは? 必殺魔法っぽいけど」
「『永劫回帰』とも呼ばれるな。こっちの方が禁断魔法っぽい。が、ニーチェの代名詞とも言える『永遠回帰』は魔法じゃあない」
「そりゃあ、わかるけども」
「要するに『時間は直線的な物ではない』と言う思想だ。そもそも、時間が直線的だと言う考え方はキリスト教に由来する所が大きいからな。キリスト教に反旗を翻したニーチェならば思い付いて当然の思想だと言えるだろう」
「ごめん。全然わからない」
「っと、悪い。良くSFとかアニメであるだろ? 『ループ物』」
「あの、同じ時間を主人公が繰り返すってやつ?」
「そう、それ。ニーチェはこの世界がそうだと考えたんだ。人間は同じ時間を無限に繰り返しているんじゃあないか? この不幸は既に経験した不幸じゃあないか? もしそうだったら、過去も未来もないじゃあないか。人生には何の意味もないじゃあないか。そんな風に考えた」
「やっぱり、良くわからないんですけど……」
「その根本には『死んだら天国で幸せ!』と言うキリスト教に対する批判もあったんだろうが、まあ、俺だって完全に説明できるわけじゃあない。そしてガチに説明しようと思うとページが足りなくなる。次、いこう」
【一八八二年】【三八歳】
【ルー・ザロメと出会う。直ぐに結婚を申し込んで、拒絶されるが、友人のレーと三人で共同生活をする計画を立てる。『悦ばしき知識』刊行。晩期にさしかかる前の中期のニーチェの極めて豊饒な思考を集めたものである】
「何か、インパクトにかける年だね」
「まあな。因みに、結構な数本を出しているが、まったく売れていない。それでもニーチェは本を書き続けた」
「って言うかさ、わざわざ振られた情報いるの? これ」
「ルーは所謂才女で――」
「私みたいに?
「――ニーチェは彼女の才能にほれ込んでいたみたいだ。結局、その恋は報われなかった。あと、ニーチェは生涯独身で素人童貞だったようだ」
「そんな情報が後世に残るなんて悲惨過ぎる!」
【一八八三年】【三九歳】
【六月に『ツァラトストラかく語りき』の第一部を刊行。九月には第二部を刊行する。巧みな比喩と疑った文体で、ニーチェの思想を〈詩〉として表現した書物であり、文学作品としても名を残す傑作である。なお第三部は一八八四年、第四部は一八八五年に刊行される】
「ニーチェの書籍と言えば大抵の人が『ツァラトストラかく語りき』を想像するんじゃあないかな? 所謂代表作だ」
「噛みそうなタイトルだね。これが代表作なら、どうしてこれを題材にしなかったわけ?」
「痛いところを突くな。まず、難解であることが一つ。代表作だが、事前情報なしでこれを読むなんて自殺行為に等しい。多分、ニーチェが嫌いになる」
「『善悪の彼岸』はまだ簡単なの?」
「まあ、割と? 特に四篇は完全なるアフォリズム集であり、一章が短い。注目するべき場所がわかりやすい。話しが四散せずに済むんじゃあないかと考えている」
「なるほど」
「ただ、『ツァラトストラかく語りき』以降の作品は『ツァラトストラかく語りき』と『永遠回帰』の解説本的な所もあるから、一度読んでみることを勧めておく。その内、ちょっとは説明するかもしれん。が、基本的には未定だ」
【一八八五年】【四一歳】
【ジルス・マリアに滞在しながら、『善悪の彼岸』の草稿を書き上げる。ニーチェの晩年の思想は『力への意思』としてまとめられるはずだったが、結局は完成されなかったために、ニーチェの哲学的な著書において主著となるのは『善悪の彼岸』と『道徳の系譜楽』の二冊である】
【一八八六年】【四二歳】
【『善悪の彼岸』刊行。自費出版で、一年かけても一〇〇部ほどしか売れなかった。ニーチェのアフォリズムがもっとも巧みな店舗によって、思想的な鋭さをきらめかせながら展開された書物である。
『悲劇の誕生』に「自己批判の試」と題した文章を付けて、かつてヴァーグナーに心酔していたころの文章を「自己批判」する。また『人間的な、あまりに人間的な』の第一部と第二部に、新しい序文をつけて刊行し直す】
「丁度話題に上がった『善悪の彼岸』の刊行だ。ニーチェが知ることはなかったが、実はこの頃から、ニーチェの哲学は徐々に認められ始めていた」
「あれ? 一〇〇部くらいしか売れなかったってあるよ?」
「すまん。説明が下手だったな。『人間的な、あまりに人間的な』を刊行し直した頃からって意味だ。ニーチェの思想を説明する大体の書籍が揃ったわけだからな。全部を読んで、ようやくニーチェの言いたいことを理解することが可能になりはじめたんだ」
「おお! なんだか先が見えて来たね。未来は明るそうだ」
【一八八七】【四三歳】
【改定の試みがつづけられ、一八八一年の『曙光』に序文をつけた新版を刊行し、一八八二年の『悦ばしき智慧』に、新たに執筆した第五部と「プリンツ・フォーゲルフライの歌」をつけた増補版を刊行する。
『善悪の彼岸』を補足する論文として『道徳の系譜学』を刊行した。この書物ではキリスト教の司牧者の倫理が、いかに西洋の道徳の背後にあって、哲学や化学の思考そのものまで規定しているかを浮き彫りにする】
「この年も、改稿&刊行だ」
「あれ? 『道徳の系譜学』は論文なんだ。論文はないんじゃあないの?」
「ないわけじゃあない。例外とでも言っておこうか。この頃には相当病気が来るしかったはずだが、ニーチェは書き上げた」
「凄い数の本を出してるよね。一冊も結構文字数あるんでしょ?」
「ああ。それに、今のようにパソコンもワープロもない。命を削るように書いたんだろう」
「それなのに売れない、認められないって可哀想だね」
「そう言う同情を、ニーチェは嫌うけどな」
「それで? 結局ニーチェは何を書いているの?」
「それこそ、語りきれないんだけど『既存の価値観の全否定』をしたのは間違いない」
「否定?」
「そう。即ち、キリスト教社会の否定だ。キリスト教の言う『神』は絶対的な存在で、それを否定する為にニーチェは生涯を費やしたと言っても過言ではない。詳しくはここでは語らないし、語りきれないが、ニーチェの著書は近代哲学に多大な影響を与えたと言っても過言ではない」
「なんか、哲学と言うよりは戦記物のノリだね。生涯をかけて帝国とたたかった孤高の男みたいな」
「あながち、間違ってはないかもな」
【一八八八年】【四四歳】
【ニーチェの晩年の様々な構想が立てられる。『力への意思』の構想の一部は、『偶像の黄昏』としてまとめられ(刊行は八九年)、キリスト教批判の部分は、価値転換の書『アンチクリスト』としてまとめられることになる。さらにヴァーグナー批判の書物として『ヴァーグナーの場合』が執筆され、自伝的な書物『この人を見よ』も書き始められる】
「利人、ちょっと待って」
「ん?」
「またヴァーグナー批判かよ! って突っ込みもあるし、自伝の『この人を見よ』ってタイトルにも思う所もあるよ? でもさ、晩年ってなに? まだ四四歳なんだけど」
「…………それは、こう言うことだ」
【一八八九年】【四五歳】
【一月三日、イタリアのトリノで昏倒。七日までのあいだに「ディオニュソス」「十字架にかけられし者」と署名した多数の「狂気の手紙」を友人たちに送っている。なかでもヴァーグナー夫人のコジマには数通の手紙を送っているが、その一つには「アリアドネ、我は御身を愛す。ディオニュソスより」と書かれていた。友人に伴われてバーゼルに戻るが、治療不可能と診断される】
「ニーチェは最後に発狂する」
「はい?」
「原因は色々と言われているが、兎に角、ニーチェは正気を失う。自分自身をキリストになぞらえたり、神と名乗ったり、精神不安定と言う言葉で片付けるに重い症状に苦しむことになる。そして――」
【一八九三年】【四九歳】
【妹のエリザベートが、ニーチェの原稿を集めて『力への意思』として編集を開始する。現在でもニーチェの著書のように扱われるが、ニーチェにはこのような形で出版する意思はなかったようである。この頃からは症状は悪化し、ほとんど外出もできなくなる】
【一九〇〇】【五五歳】
【八月二日、死去。故郷のレッケンに葬られた】
「そして、二〇世紀目前。五五歳と言う若さで、この狂気の天才はこの世を去った」
「ええぇ。なんか、こう言っちゃあなんだけど、あんまり良いことがない人生だね」
「まあね。ただ、何の慰めにもならないが、二〇世紀初頭の哲学を語る上では欠かせない人物なのは間違いない。他の学問的な哲学と違って、アフォリズム形式で日常の訳に立つと言うか、納得できる文言も多く、非常に魅力的な作品を多く手掛けている。最近ではそれらをまとめた本も発売されたし、今、もっとも評価されている哲学者と言ってもいいだろう」
「なるほど」
「と、言うわけで、駆け足気味だけどニーチェの一生はこんな感じだ。別にテストとかしないから、なんとなく覚えていてくれれば問題ない」
「まあ、忘れようにも忘れられない人生だったような気もするけどね」
「ならば重畳。次からは宣言通りに、『善悪の彼岸』『第四編』編のスタートだ」
「あまり期待せずに待て!」