【一八四】【思い上がった善意】
【思い上がった善意と言うものは、悪意のようにみえるものだ。】
「これは『余計なお世話』の格好良い言い回しの一つってことで良いのかな? 『地獄への道は善意で舗装されている』の親戚みたいな感じでしょ?」
「嫌な縁者だなぁ」
「凄くどうでも良いけど『舗装』って概念はどれくらい昔からあったんだろ? この諺がどれくらい昔のモノか知らないけど、その頃にはもう、道路は舗装されていたんでしょ?」
「千恵は昔の人の技術力を舐め過ぎだ。一説によればピラミッドを造るための石材を運ぶ道は舗装されていたし、古代クレタ島はセメントを使って舗装した道があったらしいぞ? どっちも五〇〇〇年以上昔の話だ」
「へー」
「道路工事の歴史は人類の歴史と言っても過言はないけど、それは置いといて、【思い上がった善意】の話だ。まあ、ありがちなことだな」
「だね。良かれと思ってやったことが、逆に相手を傷つけることって多々あるよね。例えば、利人が雑学を言う度に、『私はそこまで説明してなんて頼んでない』ってよく思うし。私は解説が聴きたいんじゃあなくて、お話しがしたいんだよね」
「それ、俺が悪いの!?」
「善意で教えてくれているのはわかるけど、ちょっとイラっとするわ」
「えぇ……ちょっと理不尽過ぎない?」
「自分の善意が必ず相手に届くなんて思っちゃ駄目なんだよ、利人」
「そのありがたいお言葉にイラっと来たね!」
「私は最初から悪意で言っているからセーフ」
「アウトだ! 言葉の暴力反対!」
「ごめんごめん。でも、そもそも思い上がった人間から何を言われても腹立たしい物じゃない? 嫌いな人が言うなら、『1+1=2』でさえ鬱陶しく思えるし。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって奴?」
「まあ、そう言う味方も当然ありだけど、俺はこのアフォリズムがニーチェの思想を短いながらによく表していると感じた。ニーチェの格言と言ったら【神は死んだ】とか【長いあいだ深淵を覗き込んでいると、深淵もまた君を覗き込むのだ。】とかが有名だけど、この【思い上がった善意】はそれらよりも遥かにシンプルでわかりやすい」
「わかりやすいの? そりゃ【神は死んだ】とか未だに『で?』って感じだし、『深遠』の方も今一何が言いたいかわからないけど、この『善意』も大概だよ? あるあるネタにしか聞こえないんだけど」
「ニーチェの哲学に俺が共感するのは、その観察力だ。当たり前を当たり前と見ず、その起源が何だったのかをニーチェは考察して、現代社会の在り方に疑問を呈した。その結果が、同情の否定だったり、神の死だったりするわけだ」
「うん」
「で、今回のアフォリズムはどうだ?」
「『善意』を『善意』だと見ていないって言う点は、確かにニーチェの『当たり前を当たり前にしない』って言うスタンスだね」
「そうだな。それに『良いことは何故良いのか?』って言う考察は、ニーチェの道徳に対する根源的な疑問でもある。【思い上がった善意】って言うのが、世の中で『道徳』として語られているモノだと考えると、【善悪の彼岸】や【ツァラトストラはかく語りき】の内容にも沿う形になるな」
「つまり、毎度の宗教批判へと繋がると」
「そう言うことだな」
「この話も何度もして来たけど、どうしてそこまで宗教が嫌いなわけ?」
「これも繰り返しになるけど、別に宗教全般が嫌いなわけじゃない。作品名にもなっているし、実質ニーチェのアバターでもある『ツァラトゥストラ』はゾロアスター教の開祖の名前だ。狂乱していた時代には自分がイエスであるとか言うこともあるくらいだし、古代ギリシャの神話文献の学者であるし、神って言う存在そのものは大好きだ。ただ、その手法が気に入らないんだ」
「キリストは好きだけど、キリスト教のやり方が気に喰わないってこと?」
「そんな感じかもな」
「なるほど。ソシャゲのキャラは好きだけど、ガチャは嫌い、見たいな感じだね。わかるわかる。SSRを四凸しているか否かが、キャラに対する愛のバロメーターじゃないんだよね」
「そ、そんな感じなのか? ちょっと違う気がするんだが」
「大体一緒でしょ。ソシャゲなんて宗教みたいなモノだし」
「闇が深過ぎるだろ、スマホアプリ!」
「それで、何の話だったっけ?」
「善意の話だ」
「そうだった、そうだった」
「で、【思い上がった善意】であるキリスト教と、それ以前の神の善は何がどう違うのか。どうしてキリスト教の善に対してニーチェは否定的なのか。そこがニーチェの哲学のキモなわけだ」
「ふんふん」
「そうだな。『旧約聖書では、神が殺した人間は悪魔が殺した数よりも圧倒的に多い』って話を聞いたことはないか?」
「なんかそんな動画を見たことがあるかも? 確か、悪魔は一〇人とかで、カミサマは二〇〇万人とかだっけ?」
「それそれ。ちなみに、サタンに殺されたのはヨブって言う男の妻と子供だったはずだ。ヨブが真面目な信者だったから、サタンにその忠誠を試されたんだったか? ヨブは財産を没収され、妻子を殺され、自身も死にかけたが、信仰を貫いた」
「いや。そこは神様が助けてあげようよ!」
「それは駄目だ。何故ならヨブは『自分の利益の為』に神を信じていたわけじゃあないからだ。ここで神に助けを祈れば、信仰がただの利潤目的になってしまう。ヨブが神を信じていたように、神はヨブの信仰を理解していた」
「えぇ」
「これが、善意なわけだ」
「えぇ」
「他の神話でもそうだけど、主人公には試練が与えられるだろ? そしてそれを克服していく。ヘラクレスやヤマトタケルノミコトが様々な苦難を乗り越えたようにな。旧約聖書でも、ユダヤ人達は悲惨な目に遭い続けるし、時には天使と殴り合うこともある」
「天使って夢のお告げに現われるようなキャラじゃないの?」
「結構、物理的な手段で干渉してくるな。色々と話題な『イスラエル』ってあるだろう? アレも天使に勝利したって言う称号として神から貰ったものだから」
「旧約聖書がちょっと面白そうに思えて来たんだけど!?」
「実際、面白いぞ。世界中でベストセラーだしな。まあ、売り上げの話はおいといて、神代じゃあ人間と神の距離は近かった。神々は残酷だが、なんだかんだ努力をする人間には繁栄を与える存在だった。そうやって、人類を成長させてきた」
「つまり、それが神の善意ってこと? アレだね【力への意志】みたいな感じ?」
「だな。でも、キリスト教は違う。キリストは他の人間の罪を全て被って死んだ。人間が自分の手でどうにかすべきことを、勝手に解決しちまった。そこがニーチェにとって問題なわけだ。苦難もない人生は人を容易く腐らせる」
「そう? 苦しみや悲しみがなければ平和に暮らせると思うけど?」
「わかりやすく言うなら、旧約聖書は王道漫画だ。主人公はその力に相応しい責任をもっていて、使命や約束の為に戦い、傷付きながらも自ら幸せを掴み取る物語」
「ふむふむ。新約聖書は?」
「神からチート貰って、ただ自分の自由だとか利潤のために行動する漫画だ」
「それなら、前者の方が楽しめそうだなぁ」
「最初から最強って言う設定は、物語にしてみれば蛇足も良い所だろ? 困難は人を成長させる。だから安易な善意は成長の場を奪うことになりかねない。これはそう言うニーチェの哲学をシンプルに語ったアフォリズムだと俺は思ったわけだ」
「ニーチェにとって、キリストの死には全世界がなろう小説になるような悪夢だったわけだね」
「そ。そんな小説が受けるって言うのは、ニーチェの言う末人の時代を象徴しているのかもな。ストレスのない世界に耽溺するなんて、天国に想いを馳せるのとなんらかわりない」
「なるほどねー。ん? あれ? ちょっと待って?」
「お、おう。どうした?」
「じゃあ、ガチャで狙ったのが出ないのは、キャラからの試練ってこと?」
「知らんがな」
「回さなきゃ! この苦痛が私を成長させてくれるんだもん!」
「下らない使命感だなぁ」




