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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【一八二】【馴々しさ】

【自分よりも優れている人が馴々しい態度を示すことは癪にさわるものだ。その人に馴々しくすることが許されないからである。】




「ああ。これメッチャわかる。人間関係において、馴々しい先輩程鬱陶しい存在は中々見つからないんじゃない? 先輩なんだから少しくらい横柄な態度でいてくれた方が、距離感がわかってやりやすいんだよね」

「そう言う奴に限って、ちょっとタメ口が出ただけで根に持つんだよな」

「あるある。友達のお母さんがまるで友達みたいに声をかけて来る時に感じる窮屈さはこう言うことだったんだね。話しづらいんだよね、そう言う人って。あと、娘の友達に見られたくて必死で若造りしている『友達親子』のお母さんって痛々しくて見ていられないよね」

「言いたいことは全てわかるけど、友達親子の件は今回のアフォリズムと関係ないだろ。って言うか、俺はそんな母親見たことないぞ。マスコミの創作じゃないのか?」

「実在はするよ? 私も一人しか知らないけどさ。その子も『恥ずかしいから止めて』と実の母親には言えないみたいで、なんとも言えない空気だったなぁ……」

「ま、まあ、その場の空気は察するけど、完全にアフォリズムから脱線しているからノーコメントで進めるぞ?」

「どうぞどうぞ……って言っても、これはそう言う話じゃないの? 目上の人に馴れ馴れしくされると鬱陶しいってアフォリズムでしょ?」

「日記か! そんなこと書かれた哲学書が売れるか! いや、売れなかったんだけどさ。悲しいニーチェの出版事情はおいておくとして、このアフォリズムのポイントは【自分よりも優れている】って一文だと俺は考えるわけだ」

「うん。だからその【優れている人】に馴れ馴れしくされると、こっちだけ畏まらないといけないから鬱陶しいってことでしょ?」

「その辺りを俺はちょっと話したいの! 語りたいの!」

「えー。面倒臭くない? モンハンやろうぜ!」

「なんで此処に来て非協力的なんだよ! あと四つで終わるんだぞ!」

「え?」

「それでだが、ニーチェは【優れている人】って対象を限定いているよな」

「だね」

「地位とか目上だとかじゃなくて、実力を引き合いに出している所が如何にもニーチェらしい気がしないか? 例え無能であってもさ、教師だとか親戚のおっさんに馴れ馴れしくされるとイラっと来るだろ?」

「教師を無能って言うの止めない?」

「言葉の綾だ。大抵の教師が俺より優れている点があるとすれば、俺より長生きしていることだけとか思ってないから」

「何様なの!?」

「話を戻すと、実力の有無以外、ニーチェはどうでも良く思っていたんじゃないか?」

「大学での名誉は断たれているし、本は売れないし、結婚できないしね」

「千恵の方が辛辣じゃない!? ま、まあ、それでもニーチェは本を書き続けた。自分の能力に自信があったんだろうな」

「実際、頭は良かったんだよね?」

「そりゃ、スイス最古の大学で一瞬とは言え教鞭を振るってたんだ。天才だぞ、天才」

「ふーん。でもさ、そんなに【優れている】ならさ、馴々しい態度を取られたとしても、ニーチェは別に癪に障らないんじゃない? ニーチェを超える天才なんて早々いないわけでしょ?」

「だろうな。『なぜ私は賢明なのか』とか自作の序文に書いちゃうくらいだし、自称天才に違いないだろうな」

「出だしからそれとか、イラっと来る本だね。だから売れないんじゃない?」

「激しく同意するけど、ニーチェに言わせてみれば、その感覚の方が間違っているんだろうな」

「どうして? 絶対に性格悪い奴だって、ニーチェ」

「晩年は紳士的で優しい人だったらしいけどな。で、序文にイラっとするのが間違っている理由としては、ニーチェの方が優秀だろうからだ。この序文にイラっと来るのは、俺達とニーチェの立場が対等でないからだ。アフォリズムにもあるけど、自分と相手が同等じゃないって言うのは結構なストレスだろ?」

「正確に言うと、お互いに馴々しく出来ない対等じゃあない関係の下側に立つのがストレスだと思う」

「でも、それは下側の能力が足りないことが原因であって、決して優秀な人間の落度じゃあないと思わないか?」

「…………つまり、俺の文章にイラっと来るなら、俺以上に賢くなれよ! ってこと?」

「身も蓋もない言い方をすれば、そんな感じ」

「うーん。馬鹿代表としては納得できない理論だぁ」

「頭の良さだと曖昧だけど、例えば陸上競技ならどうだ? タイムが〇.一秒でも早ければ、そいつの順位が上になるだろ? そのことに対して『不平等だ』って言う奴がいたら、それは理不尽だと思わないか?」

「それは――確かにそうだね」

「そんなわけで、優秀な人間の方が偉い! って言うのは流石に言い過ぎかもしれないけど、ある種の実力至上主義についてニーチェは言っているんじゃあないかと俺は感じたわけ。そして、それは俺達の中に文化としてハッキリと根付いているモノでもある。目上の人に敬語を使うって言うのはモロにそれだろ?」

「日本人とか敬語だとか謙譲語だとか小煩いもんね」

「他の言語も似たような物だとおもうけどな。多分だけど、アマゾンの奥地に住む部族とかだって、縦社会になってって、上からの命令は絶対で、下の人間にそれと同等の権力があるなんてことはないと思う」

「そりゃそうだ。それはもう、組織と言うか社会として成り立たないよ。そう考えると、馴々しさって言うのは強者の特権なのかもね。案外、馴々しく接するって言うのは贅沢なことなのかも」

「だな。だからこそ、【優れている】ってニーチェは限定したのかもしれん。人の序列を決めるのはその実力であるべきだって。このアフォリズムもそうだろう? 格下が馴々しくすることをそもそも許していない。ニーチェにとって優れていることは重要な判断要素だったんだろうな」

「自称天才だからね」

「それもあるし、【力への意志】って言う考え方にも被っているんだろうな」

「なるほど」

「ただ、優秀な人間が上位に立つべきって言う思想は、ニーチェの死後に最悪な形で煮詰まることになるんだけどな」

「最悪な形?」

「徹底した差別と、一切の馴々しさを許さない迫害」

「急に重い話になったね」

「ああ。重いし暗い。人間の闇と言えるかも知れん。ことの発端は、ニーチェの妹であるエリーザベトがとある団体にニーチェの遺稿を編集して持ち込んだんだことにある。優秀な人間が劣った人間を支配するべきだって歪められたニーチェの思想は、その団体によって広められてしまった」

「遠まわしな言い方だね。その団体ってなんなの?」

「国家社会主義ドイツ労働者党」

「……ナチスドイツ」

「そう。反ユダヤ主義だったエリーザベトは、ナチの支援者だったんだ。彼女が編集した【権力への意志】と名付けられたその本は、アーリア人至上主義を助長するものだった。そして、優秀なアーリア人であれば、劣った他の人種に対して“馴々しく”しても良いと言う発想に至るまで時間はかからなかった。その結果が第二次世界大戦であり、ユダヤ人に対する差別、虐待、虐殺だ」

「哲学がなんの役に立つの? って言う人いるけど、凄まじい影響を社会に与えているじゃん」

「エリーザベトは最悪の形で上手くやったようだ。代表となったヒトラーはニーチェ文庫なんてものまで政府の金で設立しているからな」

「ニーチェにとってはいい迷惑だね」

「まったくだ。哲学なんて社会の役に立たないくらいが丁度良いのに」

「それはそれでどうかとも思うけど!?」


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