【一八一】【呪われた人】
【呪われている人を、そのことで祝福するのは、非人間的なことである。】
「お! ニーチェにしてはわかりやすいことを言っているね」
「やっぱり、反復練習は効果があるみたいだな。千恵もニーチェのアフォリズムを読めるようになったか。人々を理想に縛りつけ、現在の自分を軽視する傾向に対して警鐘を鳴らす、如何にもニーチェらしいアフォリズムだよな」
「え?」
「え?」
「これって、そんなアフォリズムなの? 『理想』とかどっから出て来たわけ?」
「いやいや。じゃあ、千恵はどんなアフォリズムだと思ったんだよ」
「そりゃ、障害者とかに対して『生活保護貰えて良いよな!』とか、震災被害者に『税金で生活できて羨ましい』とか、夫が死んだ人に『保険金幾ら入った?』とか、そう言うこと訊く人はクズだ! みたいな話じゃあないの?」
「千恵」
「はい」
「まず、障害者は【呪われた人】じゃあない」
「めっちゃ正論! 障害者の皆さん、ごめんなさい!」
「あと、金、金、金! 恥ずかしくないのか?」
「御尤もで!」
「まあ、本人が傷付いていることに対して、意図的だろうと無意識的だろうと、無神経なことを言う奴はいるよな。そう言う奴等に対してのアフォリズムだと思ったんだろ?」
「そうそう。例えるなら、アレだよ! 進研ゼミの促進漫画で、テストの点数が七五点でショック受けてる主人公! 私なら満足の点数だよ。アレで傷付くとか、私の方が傷付くんだけど?」
「言いたいことはなんとなくわかるけど、例えがわかり難い! って言うか、アレ男子と女子で中身が違うって本当か?」
「知らないよ」
「あー。近所のガキ達に持って来てもらおうかな」
「なんか、利人って子供に好かれているよね。一度、不審者として通報されていたけど。って言うか、アフォリズムの方。『理想』がどうとかってどう言うこと?」
「理想って言うのは、ニーチェにとって呪いなんだ」
「なんか、未来から呼び出された弓を使わない弓兵が言いそうな台詞。『理想を抱いて溺死しろ』って。一々台詞がポエミーだよね。私も咄嗟にそう言うことが言える人間になりたい」
「ああ。そう。頑張って。世の中じゃ、理想を持つことは素晴らしいことだとされている」
「いや。だったらもう少し愛を籠めて『頑張って』って言ってくれない?」
「が、ニーチェはそんな理想を『嘘』だと罵り、『これまで現実の世界にかけられた呪いである』とまで言っている。完全否定だ。ニーチェは理想を目指すべき物として微塵も語る気がない」
「ほんと、どんな奴だよ! 人生に何があったんだよ! 生きるの辛そう!」
「聴け。理想って言うのは完全だろ? 完成だろ? 今の自分の発展形であり、目指すべきモノだ」
「うん。そこまではわかる」
「だが、そんな自分は存在しない。現在の自分はまだまだ不完全だし、未完成だし、発展途上で、歩き始めたばかりだ」
「うん。そりゃそうだ」
「だとしたら、理想を持ち続ける限り、人は現在を肯定することができない」
「う、うーん?」
「理想と現在を比較すると、必ず現在の方が劣っている。劣っているモノを認めることはできないだろ?」
「それで現在を認めちゃったら、そもそも理想を目指す意味がないからね」
「だろ? 理想を肯定することは現在を否定することになるわけだ」
「なるほど。それがどうして『呪い』なの?」
「そりゃ、現実を認めないからだ。現実は否定できない。現実を否定するのはニヒリズムだろ? ニーチェはニヒリズムを許さないからな」
「んん? ニヒリズムって『この世界にどんな価値があるんだ!』って言うのじゃないの?」
「そうだな。それもニヒリズムだ」
「ニヒリズムにも種類があるってこと?」
「そう。千恵の言った現実に負けて『一切の価値を否定するニヒリズム』と『現実に負けて創造した価値を信仰するニヒリズム』の二種だ。ニーチェは前者を『弱いニヒリズム』後者を『強いニヒリズム』と呼んだ」
「強い方の『創造した価値を信仰する』って言うのは?」
「『理想』だよ。『理想の自分』って言うのは、理想の中にしか存在しないだろ? ニーチェが理想を嘘と呼ぶのもそこだ。理想は現実にはない。無価値な虚像だ。それを信じて活動するのは、現実逃避に過ぎないとニーチェは言うわけだ」
「なる……ほど? でもさ、理想の自分に向かって努力する人はどうなの? それで理想を達成する人も世の中にはいるでしょ?」
「俺個人としては、素晴らしいことだと思うよ。でも、それがニーチェの言う現実逃避なのに変わりはなくないか?」
「たしかに」
「話が長くなったが、つまり【呪われている人】って言うのは『理想を抱く人』或いは『理想に向かって努力する人』を指すわけだ」
「結論が現代の常識を超越しているよ。え? じゃあ、この【祝福】って言うのは? 努力している人に『凄い!』って褒めるのがダメってこと?」
「ダメって言うか【非人間的なこと】だな」
「この【非人間的】ってさ、現代日本語に適切な言葉はないけど、相当酷い言葉だよね?」
「そうだな。ニーチェからしてみれば『あいつを褒めるなんて人間じゃねー』ってことだからな。相当邪悪な行為って認識だろう」
「そんなに理想っておぞましいことなの?」
「ほぼ確実にそうだと思うんだけど、天国のことを言っていると思うぜ」
「天国? ってことは、キリスト教へのバッシング運動の一環?」
「そう。キリスト教にとっての最高のエンディングって言うのは、神の国に行くことだ。なんとなく知っていると思うけど、キリスト教徒は最後の審判の日に天国へ連れて行って貰うことを目的に設定している」
「まあ、宗教なんてそんなもんだよね。『善行を積めば天国に行けますよー』『悪いことしたら地獄ですよー』って言って、社会に道徳や秩序を与える役割が宗教の基本でしょ?」
「そう。多くの人は宗教的な天国を目指して生活をしていた。それが模範的な生き方で、天国と言う理想に辿り着くための方法で――呪いだ。天国も地獄もないんだからな。ただ単に、死んだ後の極楽と言う妄想の為に、この瞬間の生を捧げているんだから、そんな馬鹿馬鹿しいことはない。それを心の安らぎとか言う奴もいるけど、それは現実に絶望した者のニヒリズムだと俺は思うね」
「つまり、そう言う『敬虔な信者』が『呪われた人』で、その『徳の高さ』みたいなのを褒めるのは、今を生きるニーチェにしてみれば信じられない罪悪で『非人間的』なことだってわけだね」
「そう言うわけ。これは現代の教育とかにも言えるんじゃないか?」
「お。学歴社会批判?」
「そう言うわけじゃないけど、『良い学校に行って、良い会社に入れば、生涯安泰』みたいな風潮あるだろ?」
「あるね」
「人生の二〇年を、残りの八〇年の為に捧げるって言うのは確かに合理的な気がするし、損得計算すればそれは正しいだろう。でも、それは今を生きているって言うのか? 中学受験の為に勉強して、高校受験の為に勉強して、大学受験の為に勉強して、就職の為に就職活動して、老後の為に貯金して、死なないために延命治療して――って考えると、少々馬鹿馬鹿しくもある」
「それはわかる! やっぱり、今が大切だよね」
「一説によれば、人生最初の二〇年間は、体感時間として人生の半分程度を占めるらしいしな。若い内に遊べって言うのは正しいっちゃ正しい」
「うんうん。人間なんていつ死ぬかわからないし、今を大切にしなくちゃね!」
「まあ、その理屈は『死んだらどうせ何も残らないから無意味だ』って言うニヒリズムだと俺は思うけどな。それはそれで、呪われている」
「えぇ!? 結局どう生きるのが正解なの!?」




