【一八〇】【嘘の無邪気さ】
【嘘の中にもある無邪気さがある。それは何かをしっかりと信じていることを示す兆候なのだ。】
「『無邪気な嘘』じゃあなくて【嘘の無邪気さ】? 同じ単語しか使ってないけど、結構ニュアンスが変わって来るね。って言うか、そもそも、人を騙そうって時点で無邪気も何もない気がするけど。どれだけ他愛ないものでもさ、欺く時点で邪気塗れでしょ。イタズラって言うと可愛らしい気がするけど、漢字だと悪戯だからね? 滅茶苦茶邪悪な字面じゃない?」
「テンション高いな。何か良いことでもあったのか?」
「そうなの! 聴いてよ!」
「はいはい」
「こないだ親戚の子供に合う機会があってね、『ガムいる?』って聴かれたの」
「あ。もうオチが読めた」
「で、『いる!』って言ってチューインガムに手を伸ばしたらね、バチン! って指挟まれたの! 昭和のトラップだよ! 今時、何処で売ってるの? もう、私ね、御立腹よ!」
「しょーもな」
「感想それだけ? 酷くない?」
「ええ? じゃあっと、ふと思ったんだが、板状のガムを食べている奴って最近見ないよな。粒状が主流でさ。やっぱりボトルに詰められる利点が大きいのかな?」
「その感想、私の話と微塵も関係なくない!? 慰めてよ!」
「よちよち」
「慰め方が雑!」
「面倒臭い奴だな。じゃあ、こう言うのはどうだ?」
「どーいうの?」
「考え方によっては、千恵はそのクソガキに信頼されていたんだよ」
「はい? なんか、斜め上の慰めで今度は困惑するんだけど……」
「だってよ、考えみろ。そのガキが千恵を騙す為には、千恵を信じる必要があるだろう?」
「どーいうこと?」
「だって、千恵がチューインガムを取ってくれなきゃ無駄に終わるんだぜ?」
「はあ」
「自分は騙そうとしている癖に、相手は自分を信じてくれるって信じているわけだ」
「え? だから信頼されてるって言うの!? 『こいつは騙せる』って思われていることの何処が信頼なの!? 詐欺師がカモ見つけただけじゃん!」
「確かに、全然違うわ」
「適当かよ!」
「いや、なんとか嘘を肯定的に捉えられないかな? って思ってさ」
「わかった。私を慰める気ないよね?」
「ばれたか」
「まあ、利人って騙される方も悪いくらいに思ってそうだしね。期待した私がバカだったよ」
「そんなことはないぞ。人を騙そうとする奴の方が悪いに決まっている。ついでに千恵がバカなのも知ってるし、それを理由に軽蔑したり見捨てたりはしない。少々考えが足りない点を含めて尊敬しているから、安心しろ」
「そこは嘘吐いてもよくない? って言うか、やっぱり慰める気ないよね!?」
「で、話を戻すと、千恵が完全否定した嘘の無邪気さだけど、ニーチェはあるって言い張っているな」
「相変わらず、よくわからんこと言うよね」
「ちなみに当たり前と言えば当たり前だけど、ニーチェは嘘吐くことを良く思っていない。単純な嘘だけじゃなくて、理想を演じる『俳優』だとか、価値観を捻じ曲げる『贋金造り』だとか、『偽り』に対して強い言葉を使っているって言うイメージが俺の中にはある。だから、嘘を一部肯定するようなこのアフォリズムはちょっと意外だったな」
「って言うか、ニーチェにしてみれば世の中全て間違っていて虚構だったんじゃ」
「そんなニーチェの嘘を擁護するようなアフォリズムに使われた『無邪気』って言葉のチョイスはどう思う?」
「どうって……うーん。あんまりネガティブなイメージはないかな? 皮肉に使われることもあるかもしれないけど、基本的に邪気がないんだから、良いことだよね? あと、子供に対して使われる……って言うか、それこそ子供意外に使ったら皮肉にしかならない言葉だよね」
「ああ。無邪気って言うのは子供の専売な所がある。自分の欲求に素直で、そこ悪気はない。偽っているわけではなく、作為もない。ニーチェにとってそれは理想の一つだ。既存の常識に囚われていない状態なわけだからな」
「たしか、善も悪もないニュートラルな状態の象徴なんだっけ?」
「その通り。その無邪気さを引き出すくらいだから、この無邪気は皮肉とかじゃあなくて、ニーチェにとっても褒められる点があるって意味だと思う」
「それで? 結局、その無邪気って言うのは何の兆候なわけ?」
「うーん。俺が思うに創造性じゃあないか?」
「創造性?」
「嘘ってのは、現実に存在しない虚構だろ? 小説とか漫画のフィクションも言っちまえば嘘の一種だし、どんな小さな嘘も創作物であると思わないか? それにフィクションの語源はラテン語の『創られたもの』とする説もあるしな」
「まあ、SNSとかで明らかに嘘臭い発言を、創作と取るか虚言と取るかは難しい所があるし、創造性があると言えるのかなぁ? あと、利人は言語学者か何か!?」
「さっき、赤ん坊は善悪を持たないニュートラルな状態って千恵は言ったけど、もっと言えば、そこから更に創造をするのが子供だ。既存の価値観の影響を受けていない新たな価値観の創造。ニーチェが無邪気さに求めるのはソコなのさ」
「つまり、嘘って言うのはある種の創造である点だけは価値があるってこと?」
「まあ、正直そこまでして嘘を肯定する意味があるのか? って思わなくもないけど」
「私もそう思う」
「でも、さっきも言ったけど文学ってのは基本的に嘘だろ? ノンフィクションとかもあるけど。そう言う意味での嘘の肯定なのかなって俺は感じたわけだ」
「ふーん」
「あるいは、この世で一番多く売れた創作はキリスト教の聖書とも言われているわけだし、キリストの擁護的な意味合いがあるかもしれん」
「ん? 批判じゃあなくて?」
「キリスト教とキリストは全然違う。少なくともニーチェはそう思っていた節がある」
「コンバット越前と越前リョーマが全然違うみたいに?」
「そもそもその二つはまるで似てない」
「あ、はい」
「まあ、なんて言うか、初志貫徹をするのは難しいだろ? 預言者キリストは、その弟子達や有力者達によって救世主として扱われるようになった。聖書も時代を重ねるに連れて解釈が増え、その数だけ派閥になって、組織は巨大化していった。時代と共にキリストの教えは、手垢が付きまくったキリスト教に変化していく」
「そりゃ、二〇〇〇年も伝言ゲームやっていたら、意味は絶対に変わって来るだろうね。嘘って言って良いくらいに」
「テンションが上がりまくった時に自分のことをキリストだと言うニーチェだ、そんな聖書のことを嘘って言うのは不思議でもないと俺は思う」
「自分のことをキリストだと思い込む時点で、不思議ちゃん決定だけどね」
「そんな聖書ではあるが、僅かながらに原型が残っている。偉大なイエス・キリストが持っていた、キリスト教に毒されていない精神がな」
「キリストがキリスト教に毒されていないとか言うパワーワード」
「キリスト教的でないキリスト。ルサンチマンに穢されていない思想。奴隷の善悪以前の時代の精神。そこにあるのは、力への意志なんじゃないか?」
「結局、話は彼岸に戻って来るんだね」
「まあ、善悪の彼岸の断章の一つだからな、このアフォリズム」
「それもそっか。って言うか、さりげなく聖書をフィクション扱いしたよね。今更だけど」
「あんなもん、真面目に読む気がしれねーよ」
「でも読んだことあるんでしょ?」
「いや、なんだ、フィクションとして見ると、結構面白いんだよな。世界一のベストセラーって言うのも頷ける。人類史上に残る名作と言っても良いだろうな」
「そう言う割り切り方も無邪気って読んでも良いのかな?」
「かもな。主義思想を持たないって言うのも、世の中、割と便利だったりするぜ?」




