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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【一七八】【人権侵害】

【賢明な人は愚かなことをしないものだと人々は信じている。これは何という人権侵害であろうか!】




「人権って言葉が一九世紀にあったことに私は吃驚だよ」

「いやいや。『マグナ・カルタ』とかあるだろ。一三世紀には既に人権の考え方は存在しているぜ? 学校で習うはずだぞ?」

「『マグナ・カルタ』…………イギリスのバンドだっけ?」

「日本じゃあ誰もしらねーよ、そんなフォークバンド!」

「たしか、同じ名前を冠するバラの品種もあるよね」

「間違いなく、そのバラはバンドからじゃなくて、こっちの『マグナ・カルタ』が由来だ!」

「利人の学校だけじゃあないの?」

「そんなわけあるか! 絶対習ったって。ジョン王だとか、イノケンティウスⅢ世とか厨二心を揺らす名前に聞き覚えがあるだろ?」

「うーん。『マグナ・カルタ』って地属性の必殺技みたいじゃない?」

「日本の教育制度は大丈夫なのか!?」

「大袈裟だなぁ。『マグナ・カルタ』なんて、大半の高校生は知らないよ。兎に角、結構昔から人権って考え方はあるんだね。やるじゃん西洋文化……あれ? でも、奴隷解放とかって最近の話だよね? 人権活動家は何をしていたの?」

「奴隷に人権はないって考え方が一般的だったからな」

「同じ人間なのにね。人権ってが何なのかわかんなくなりそう」

「有名なバージニア権利章典第一条にはこうある。『人は生まれながらにして自由かつ独立であり、一定の生来の権利を有する。これらの権利は、人民が社会状態に入るにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫から奪うことのできないものである。かかる権利とは、財産を取得・所有し、幸福と安全とを追求する手段を伴って生命と自由を享受する権利である。』とな」

「あ、これは習った記憶があるかも? 自然権がどうのこうのとか?」

「そうそう。『社会契約論』『法の精神』とか覚えているか? あの辺の話しだな」

「でも、やっぱり黒人とか女性の権利の話になるのはもっと後の時代だよね?」

「まあ。自然権って言うのは理想だからな。実際は国家に認められた権利だし。生まれながらに何かしらの権利なんてあるわけないだろ?」

「そこに突っ込んじゃうんだ」

「自然権とか言うけど、自然には『自然』って言葉すらないんだぜ? 結局、力ある連中が造り出した妄想だ。立場の弱い集団が自然権を主張するにはそりゃ、時間がかかるさ。って言うか、『自然権』って言葉のチョイスはちょっとドラマチック過ぎると皆思っているんじゃあないか? 生まれながら自由って、頭お花畑だろ」

「基本的人権にまで文句つけなくても……」

「話が逸れたな。ニーチェの【人権侵害】の話しだったな。個人的には、ニーチェが人権なんて物を信じていることが驚きだったな」

「ニーチェを何だと思ってるの!? いや、まあ、なんとなくわかるかも」

「だろ?」

「そんなニーチェが人権侵害だと感じたのは……えっと、【賢明な人は愚かなことをしないものだと人々は信じている。これは何という人権侵害であろうか!】か。なんて言うか、インパクトに欠けるアフォリズムだね。言いたいことはわかるけど、ニーチェらしくないって言うか。【賢明な人は愚かなことをしない】って言うのは矛盾している気がするけど、冷静に考えてみればそんなことはないだろうしね」

「歴史上でも、優秀な人間には間抜けなエピソードが付いていたりするからな」

「例えば?」

「万有引力を発見したサー・アイザック・ニュートンは、猫が好きだったらしい」

「ほう。それで? って言うか、ニュートンって貴族だったんだ」

「全てのドアに猫用の出入り口を開ける程に猫が好きで、猫が子供を産んだ時も随分と喜んで、召使にこう命令したそうだ。『子猫が通れる穴をあけてくれ』ってな、召使が『親猫が通れるならば子猫も通れます』って返され始めてそのことに気が付いたらしい」

「えぇ……どう考えても引力より簡単にわかるでしょ。一目瞭然じゃん」

「林檎が木から落ちるのも一目瞭然だけどな」

「それはそうだけどさ、引力と猫とドアの大きさじゃあ難易度が違うくない? あと、林檎のエピソードは真実なの?」

「まあ、そう言うことだ。俺達でも考えるまでもなくわかることでも、ニュートン程の科学者が見落とすことだってある。あと、林檎のエピソードは嘘か本当かは知らん。ただ、ニュートンが社交界とかで科学的知識のない人に説明する時に例えとして使ったりしていたんじゃないか? 俺の妄想だけど」

「なるほど。確かに貴族の婦女子は万有引力の話されても退屈だろうしね。でも猫とドアのエピソードは以外だったな。ちょっと間抜けすぎない? 敵の流言飛語じゃない?」

「敵って誰だよ。千恵がそうだったように、天才は愚かなことをしないと大抵の人間は信じているって例だから、真偽は別にどうでも良いだろ? 」

「そうだね。でも、これが【人権侵害】なわけ?」

「ニーチェはそう感じたらしいな」

「って言うことは、この人権って言うのは『愚かでいる権利』ってことにならない?」

「なるな。『人間には愚かでいる権利がある』って言うのは皮肉が利いていて面白くないか?」

「多分、何時の時代の何処の国を探しても、そんなことを言った人権宣言はないだろうね。普通、無知は罪でしょ」

「だな。でも、俺が最初にこのアフォリズムを読んで感じたのは、その皮肉な宣言じゃあなくて、別のことだったな」

「って言うと?」

「ニーチェ自身のことを言っていると思ったんだ」

「【賢明な人】がニーチェってこと?」

「そのパターンが一つだな。ニーチェは小さい頃から才人だった。他の天才にも言えるだろうけど、他の分野でもある程度の活躍は出来たんじゃあないか? 多分、周囲の人間もニーチェにそれを期待していた」

「二十代前半で大学教授だもんね。そりゃ、期待もあっただろね」

「が、蓋を開けて見れば、最初の論文で学会の反感を買ってしまい、それ以降の出世の道は閉ざされた。誰もが思っただろう『馬鹿なことをしたもんだ』ってな」

「回りはショックだっただろうね。あの天才がコレかって」

「その周囲の落胆が、ニーチェには人権を侵されたように感じたんじゃあないか? 人権侵害って言うのは、より立場が上の人間によって行われる場合が多いし、大学と言う巨大なシステムに対するニーチェの不満なのかもしれない」

「なるなる。単純に賢い人も失敗をするって意味じゃあなくて、それを許容しない社会に対する主張でもあると利人は思ったんだ。確かに【人々は信じている】って言う書き方は世間とか社会を指しているように読みとれなくもないかも」

「だろ?」

「で、さっきは『パターンの一つ』って言っていたけど、他のパターンは?」

「他のパターンは信頼していたショーペンハウワーに対する言葉かな? って思った」

「そうだとしたら、ショーペンハウワー好き過ぎるでしょ、ニーチェ」

「何度も話したけど、金儲けに走って駄作を造ったショーペンハウワーにニーチェは失望していた。でも、それは自分のエゴだったとニーチェが自覚していたとしたら?」

「ああ。ショーペンハウワーに対して、人権侵害をしていたんじゃあないかと反省が表れているんだね」

「そう言うこと。ニーチェは過激な文章が目立つけど、最も人間的なことは、誰にも恥ずかしい思いをさせないことだって残す穏やかな一面もある。晩年は、介護してくれる妹に対して非常に紳士的だったともあるし、そう言う後悔があっても不思議はない気がするんだ」

「遠まわしで上から目線の謝罪だなぁ!」

「ま、このアフォリズムに関してはそんな所かな?」

「そっか、じゃあ、利人はもう少し私に優しくしてね」

「え?」

賢明な人(わたし)が愚かな行いをするのは当たり前のことなんだから」


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