【一七六】【虚栄心】
【他人の虚栄心が、わたしたちの趣味に合わないと感じられるのは、それが私たちの虚栄心とぶつかるときだけだ。】
「【虚栄心】、か。今までも何度か話題に上っているよね。自分を必要以上に大きく見せたいって言う心理だっけ?」
「ニーチェの哲学では頻出する単語だからな、今更感がなくもないけど、逆に真打登場って雰囲気がしなくもない」
「真打登場だと『見栄』って言うか『見得』って感じだけどね」
「真打登場は歌舞伎じゃあなくて落語の用語だけどな。後は日本刀とか」
「ま、その辺の国語の授業はどうでもいいとして、虚栄心ってついつい自然に出ちゃうよね。利人の隙あらば口から出て来る役に立たない雑学蘊蓄も虚栄心って言えば虚栄心だよね?」
「そう言うこと本人に言う?」
「いや、だってそうでしょう? 自分を少しでも博識に見せたいって虚栄心からの行動じゃん? 本当に物事を知っている人って言うのは、辞書とかウィキペディアみたいに自然と皆に頼られて、自分から聴いてもないことを語り出したりはしないもん」
「そいつら、虚栄心どころか心その物がなくない?」
「思うんだけどさ、心なんてモノが本当にあるのかな?」
「何か哲学らしいこと言い始めた!?」
「私も頭良いキャラを見せていこうと思ってね」
「それもまた虚栄心だな、多分。ところで、ちょっと聴くのが怖いんだが、千恵は俺が雑学を披露する時、どう思う?」
「ケースバイケースだけど、基本鬱陶しいよね」
「基本鬱陶しいのか……」
「うん。基本的に鬱陶しい」
「つまり、ちょっと上品に言えば【趣味に合わない】って感じているわけだ」
「まあ、そうなるのかな?」
「話は逸れるけど、『趣味に合わない』って良い表現だと思わないか? 『嫌い』だとか『邪魔』だとか『鬱陶しい』だとか『不味い』って言うよりも角が立たない。あくまで自分の問題であって、それそのものは関係ありませんよって言う配慮がある」
「そう? 『趣味じゃない』って利人は偶に言うけど、ちょっと気障ったらしく思う時があるけど」
「意見が合わねーな、本当に。いや、趣味が合わないって言うべきか?」
「それで? 話を戻すと、私が利人の蘊蓄(虚栄心)を鬱陶しいと思うのはどうしてなわけ?」
「それが今回のアフォリズムの後半部分で語られているな。千恵と俺の虚栄心がぶつかっているからだ。千恵は俺の蘊蓄を『自分を少しでも博識に見せたいって虚栄心』って言ったよな?」
「うん。何? もしかして根に持っているわけ?」
「それは当然だとして」
「根に持ってるんだ! ごめん!」
「アフォリズム通りに考えれば、千恵も『自分を少しでも博識に見せたいって虚栄心』があるってことになる」
「そうだね」
「そして、実際、大抵の人間は『自分の方が賢い』あるいは『愚かに見られたくない』って思っているはずだ。千恵もそう思っているからこそ、俺の蘊蓄が鬱陶しく感じられる」
「うーん。そうかな? だって、学力じゃあ完全に利人が上でしょ? 私、利人に勉強を教えられても全然悔しくないよ? 同じ智識の披露だけど、全然感じ方は違うと思うけど」
「それは、学業に対して千恵が虚栄心をあまり持っていないんだろうな。って言うか、成績的に張りようがないし」
「うぐ」
「そもそも、俺がテストで点を取れるっていうのは虚飾されていない事実だからな。前提条件がそもそも違う。趣味が合わないも何もないだろう」
「たしかに」
「自分で言うのもアレだけど、確かに蘊蓄や雑学を喋るのは、俺の虚栄心が故なんだろうな。だからこそ、千恵はそれが趣味に合わない。俺が無駄に智識を披露する度に、千恵は自分が『知らなかった』ことを突き付けられている。それは『記憶力』やら『読書歴』やらの差であり、自分の『無知』を思いしらされているわけだ。単純な学力じゃあなくて、『頭の良さ』みたいな曖昧な物が傷つけられているんだろうな」
「そう言われると、まあ、なんとなくわかるかも? 学校のテストは具体的な数字がでて、誤魔化しも虚勢も張りようがないから諦めがつくけど、それでも、自分のことを馬鹿とは認めたくないんだよね。うーん。別に私は自分のことを頭良いなんて思ってないんだけどなぁ」
「自分をより良く見せたいって言う虚栄心の中でも、この『賢さ』関係はとびっきり強い物だと俺は感じている。『足遅いな』よりも『頭悪いな』って言われる方が腹立つだろ?」
「そだね。頭が悪いって、なんか人間として致命的な欠点を突き付けられている気がしない? ほら、足の遅さは自動車とか飛行機とかでどうにでもなるけど、頭の回転はどうしようもなくない?」
「そうか? コンピューターの計算力の前には人間の脳味噌なんてあってないようなもんだし、インターネットを使えば有る程度の知識は簡単に獲得できる。足が遅いのとそう変わらないと思うがね、俺は」
「それは利人だからでしょ」
「ま、是非は置いておくとして、今の人類が知性に重きを置いているのは確かか」
「学歴社会だからね」
「行き過ぎた学歴信仰も虚栄心故、って感じがしないか? そりゃ、高学歴って言うのは努力の証みたいな一面もある。難関大学に入学するって言うのは凄いことだし、褒められるべきだし、誇るべきことだ。けど、それが人格や人生や将来を決定付けるものじゃあないのも確かだ。自分よりも偏差値が低い大学生を馬鹿にするって言うなら、それは虚栄心って言えるかもな」
「逆に『良い大学出るだけが人生じゃあない』って言うのも真実だけど、それだけで相手の努力を否定するのも間違っているよね。勉強して来なかった自分を肯定する為の言い訳に使ってちゃ意味がない」
「そう言うなら、もっと勉強もがんばれよ」
「それはそれ。これはこれ」
「こいつ……!」
「学歴と言えばさ、年収もそうだよね。他人よりも稼いでいれば偉い! 見たいな風潮ない?」
「資本主義だからな。話を戻すと、他人の虚栄心――もっとわかりやすい言葉にすれば、虚飾や傲慢が許せないのは、自分も同じ物を持っているからってことらしい」
「虚栄心を虚飾と傲慢に言い変えてもわかりやすくなっているとは思わないけど……」
「所謂『同族嫌悪』って奴だな。違うから許容できないんじゃあなくて、同一だから相容れない」
「『同族嫌悪』、ね。それも不思議な話だよね。だってさ、同じなら争う必要なくない?」
「同じだから争うんだろ? 野球のポジションだってピッチャーとサードがスタメンを争ったりしないだろ? 同じ守備位置同士で競い合う」
「それとこれとは違うくない?」
「まあ、微妙に違うかも?」
「微妙な違いなのかな? でも、まあ、同族嫌悪はよくわかんないけど、このアフォリズムはわかる気がする。自分にとってどうでも良いことで争う人間はいないもんね。相手がどれだけ見栄を張っていても、興味がない分野だったら『ふーん』って思うだけだし」
「そうだな。俺は別にブランド物に興味がないから、相手がどんなバッグを使っていようと気にしないけど、千恵は気になるだろ?」
「さりげなく、ブランド物を虚栄扱いしているのは無視して、確かに気になるね。『あの靴履くなら、バッグはあれじゃなきゃ』とか良く思うし。ブランドで自分を飾ることを虚栄って言うなら、確かにぶつかっているかも」
「虚飾って奴じゃないか? 必要以上に美しく見せたいって考え方は十分に傲慢だと思うけどな」
「ふーん。じゃあ、利人が許せない見栄ってどんなの? やっぱり、知ったかぶりする奴?」
「それもそうだけど、やっぱ、無駄に態度でかい奴は許せないよな。根拠なく自分が上だと思ってて、上から目線の奴」
「あーなるほど……って! そう思うなら自分を省みろよ!」




