【一七四】【功利主義者】
【功利主義の諸君、諸君が功利的なものをすべて愛するのは、それが自分の好みを運ぶ運搬装置だからなのだ。――だが諸君もこの装置の車輪の騒音にはがまんがならないのではないか?】
「『功利主義』? なんか、漢字から読み取る限り、力のある人が、利益を得るべし! みたいな感じだけど、結局はどう言う意味なの?」
「一言で説明すると語弊があるかもだが、自分にとって『得なこと』が善であるって言う思想が根底にあるのが『功利主義』と呼ばれる思想だな。人々の利益になることを行い、不利益なことは行わない。そう言った印象が強過ぎて、利己的な人間の思想とか思われることもままある」
「へー。でも、それって社会の在り方として当たり前じゃあない?」
「たしかにな。功利主義を説明する時『最大員数の最大限の幸福』と言う文句は良く効く。より大勢の人間が幸福になる為に社会は有るべきだと言う思想は、確かに真っ当だ」
「だよね?」
「ちなみに、これはそのまま善悪についての説明にもなるだろう?」
「利益になることが『正義』で、不利益になることは『悪』ってこと? まあ、そう言う考え方もあるよね」
「ちなみに宗教になれば、これが逆転する」
「え?」
「自分自身が不幸になってでも、相手のことを思って行動することが人道的には『善』だろ? 逆に、自分の利益だけを追求することを『悪』と呼ぶ。な? 見事に逆だろう?」
「そうだね。でも、それも正しいんじゃあない? 誰も彼もが自分の利益だけを追求していたら、それはそれで社会は滅茶苦茶になっちゃうし…………って、あれ? 今、私、まるで逆の思想二つとも『わかる』みたいなこと言ってない?」
「言っているな。この八方美人が」
「そう褒めないでよ」
「朗報だ。八方美人は褒め言葉じゃあない」
「え?」
「千恵の言いたいこともわからなくはない。これは別に矛盾しているわけじゃあなくて、自己利益の追求も大切だし、相手を慮るのも重要だって話だと思うけどな」
「でも、ニーチェ的にはアレでしょう? 功利主義的な思想が正義でしょ?」
「どうしてそう思う?」
「だって、自分の幸福を追い求めることで、より自分を高めるのが【貴族の道徳】で、ニーチェの望む所でしょ?」
「その通り。ニーチェは功利を求めていた――と言いたい所なんだけど、このアフォリズムを最後まで読んでどう思った?」
「【功利主義の諸君、諸君が功利的なものをすべて愛するのは、それが自分の好みを運ぶ運搬装置だからなのだ。――だが諸君もこの装置の車輪の騒音にはがまんがならないのではないか?】だよね? うーん? あれ? なんか、肯定しているようには聴こえないような? 何処となく棘があるって言うか、馬鹿にしている感じがするかも?」
「俺もそう思う。このアフォリズムは明らかに功利主義を批判している物だろう」
「それって、おかしくない? 功利主義は確かいニーチェの思想に相応し主義だと思うけど」
「そうなんだよな。【貴族の道徳】は明らかに功利的でありながら、ニーチェは功利主義を何処か批判的に見ている気がする。ところで、千恵はどの辺りで馬鹿にしていると感じたんだ?」
「えっと、【運搬装置】って所? 何でって言われると困っちゃうけど、なんとなく、ニュアンスで?」
「そう。そこだ。【運搬装置】――つまり、座っていても利益を得ることができるシステムって言うのは、ニーチェの言う【貴族の道徳】と相反している。自分自身の手で掴み取ることを旨とする【貴族の道徳】と、社会全体が利益を生み出すように作られた『功利主義』は結果が同じでもその過程が全然違う」
「ああ。なるほど……ん? でも、結果が良ければ良いんじゃあないの?」
「それこそ功利的な考え方だな。結果が全てって考え方は好きじゃあない、全てが結果なんだよ」
「はあ。つまり?」
「現在の社会――『自由』『平等』『平和』って言う、幸福を運ぶ社会システムを俺達は愛している。だけど、それらは別に俺達が自力で得た物じゃあない。もっと言えば、望んですらいない。その高潔な意思に心から賛同しているんじゃあなくて、ただ単にそう言う物で、不利益がないから利用しているに過ぎない」
「それが悪いの?」
「善悪は問題じゃあない。『自由』『平等』『平和』そう言った概念を真に求めた人々が過去にはいたんだ。その為に争い、闘い、殺し、最終的に勝利し、それらを得た。俺達の功利と、彼等の功利はまるで違う。俺達の安寧を求める気持ちって言うのは、ただ単に変化を拒む停滞で、過去の英雄達が欲していたのは進歩だ」
「なるなる。私がこのアフォリズムで感じたニーチェの嘲笑みたいな物は、消極的な功利に対する姿勢に対するものだったんだね。多分」
「そう言うことだ。多分。ニーチェが功利主義に否定的なのは、現代の功利主義に【ニヒリズム】を感じたんだろうな。ただ単に自分の利益だけを考え、結果、それがどう言う物であったかすら考えずに機械的に利用するだけの人間達。ニーチェはそんな社会に【末人】を見たんだろう」
「じゃあ、その続きの【――だが諸君もこの装置の車輪の騒音にはがまんがならないのではないか?】って言うのはどう言う意味? いや、功利主義って言う思想で甘い汁を吸いながらも、何処かが気に食わないってことなんだろうけどさ」
「そうだな。ニーチェは功利主義者に、功利主義に不満があるんだろう? って唆しているように見える。本当は満足なんてしていないんだろう? って言う啓蒙を呼び掛けている」
「その不満とは?」
「まあ、さっきも説明にあった【末人】じゃあないか? 社会は成熟して、人々は自由を得た。誰もが利益を求め、それが幸福になる過程で、そこまで努力しなくてもそこそこ幸福に預かれる人間が生まれる。誰にも服従せず、そして誰も服従させない、ただ安寧に浸るだけの人間。【力への意志】に欠けた【末人】が蔓延り、社会の一部となる。ニーチェはそれに我慢がならなかったし」
「うーん。わかるような、わからないような?」
「そうだな。ニートって問題になってるだろ?」
「自由ヶ丘家にもいるね」
「引き籠りだけど、金は家に入れているみたいだぞ」
「ふーん」
「まあ、引き籠りも似たようなもんか。社会が裕福になった結果、働かなくても生きていける人間が出て来た。彼等は多分、未来に危機感を抱きながらも、現状に甘んじている。これも末人の一種だろう」
「そいつ等が鬱陶しいってこと?」
「ニートは極端な例だけどな。便利になった反面、社会は煩雑さを増し、過剰な数の人口を維持し続けている。あんまりな言い方かもしれないけど『役割のない人間』を増やしてしまった。【末人】って言うのは、極悪人じゃあない。安寧を求め、軋轢を嫌い、自由を愛し、平等を尊び、自分を中流だと思っている人間のことなのさ」
「『役割のない人間』が功利主義の車輪って、矛盾してない?」
「うーん。でも『不要な人間』って言い方は流石の俺も酷いかなって思ったんだよな」
「大差なくない!? その気の使い方がわからないんだけど!?」
「兎に角、功利主義者は、【貴族の哲学】に近い惜しい思想だと俺は思う。ただ、幸福の運搬装置と化した現状、それは数多の【末人】を産み出すことになってしまったわけなんだよ」
「で、ニーチェはその【末人】達が蔓延っているのが許せなかったっと」
「許せないって言うよりは、怖かったんじゃあないか? 俺も偶に思うぜ?」
「知りたくないけど、何を思うわけ?」
「『どうしてこんな無能で生きていけるんだろう』『恐ろしくないのか』って」
「利人は何様なんだよ……」




