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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【一七三】【憎悪】

【軽蔑している人を憎むことはない。憎むのは、自分と同等の評価をしている人、あるいは自分よりも高く評価しているひとなのだ。】




「『お前の肉から皮膚を、骨から肉を引きはがしてやる。骨についてる肉片も全部こそげ落としてやる。それでもまだ十分じゃないんだ。』のフレイバーテキストでお馴染み【憎悪ぞうお】だね」

「それが馴染みな人は極々少数だと思うんだが」

「でも、それ以外に憎悪に馴染みがあったら嫌じゃない?」

「たしかにな。それでだが、憎悪って言うのは辞書によれば『憎み、嫌うこと』だそうだ。ただ嫌うんじゃあなくて、憎んでいるって言うのがポイントだな」

「『憎む』ってどう言うことなの? 心が清らかだからわかんないんだけど」

「明確な害意を持つことじゃないか? 『むかつかくなぁ』だったら『嫌い』だけど、『むかつくなぁ、ぶっ殺してやる』だったら『憎しみ』だと思う」

「『ぶっ殺してやる』か。過激なこと言うね、私はそんな恐ろしいこと口に出来ないよ」

「最初にもっと凄いこと言ってなかった!?」

「アレは手羽先の美味しい食べ方の説明だからセーフ。骨までしゃぶるほど手羽先が好きって言う表現だから」

「そう言われるとそう聴こえてくるような? でも『憎悪と言えば!』みたいな感じで説明してたよな?」

「そこは、ケースバイケースで」

「どう言うことだよ。まあ、グレヴェンの手羽先にかける熱い思いは置いておいて、このアフォリズムはニーチェが『敵とは何か』と語っている気がするな」

「敵? そんな言葉何処かにあったっけ?」

「まあ、ないけど」

「ないのかよ!」

「個人の感想だけど」

「信用ならないワードだなぁ」

「騙されたと思って、最後まで聴いてくれ」

「その言葉も信用ならないんだけど……」

「最初の文章。【軽蔑している人を憎むことはない。】」

「言わんとすることはわかるかな? 格下相手にムキになるなんて馬鹿馬鹿しいし」

「そうだな。馬鹿相手に真剣になったり怒ったりするのは時間の無駄だ。ちょっと違うかもだけど、愚者であるからこそ、王に何を言っても許される宮廷道化師ジェスターなんてのもこの理屈だな。愚者をまともに相手することで、自分も愚者と同格にまで落ちてしまうのでは? そんな危惧から、軽蔑すべき相手を憎むことは間違っていると言われることが多い」

「割と一般論的なアフォリズムっぽいアフォリズムだね」

「その後にニーチェは続ける。【憎むのは、自分と同等の評価をしている人、あるいは自分よりも高く評価しているひとなのだ。】ってな」

「自分と同等以上の相手を人間は恨む、と」

「そう言うことだ」

「こっちも、納得できる言い分なのかな? 自分よりも王位継承権が低い王子を殺そうって思う王子はいないだろうし」

「どんな例えだよ。乱世の人間か」

「でも、そう言うことでしょ? 自分よりも上の人間がいなくなれば、相対的に自分の地位が上がるわけだし、そう言う相手に害意を持つんじゃない?」

「まあ、そう言うことなんだけどさ」

「そう言うことなんじゃない。それで? 敵がどうとか言っていたけど、アレはなんだったの?」

「ああ。人は自分よりも優れた人間を憎悪する。つまり、倒すべき敵だと認識しているって言い方はできると思わないか?」

「それって、普通のことじゃない? 憎悪する相手なら、そりゃあ倒そうとするじゃない」

「創作物だとそうだな。例えば、嫁と娘を殺した相手だったり、村の皆を惨殺した相手だったり、世界中に病魔をばら撒いた相手だったりな」

「フジタイズムを感じる憎悪の対象だね」

「そう言った相手に憎悪を燃やす。熱い展開だが、ニーチェの言う【憎悪】とは違わないか?」

「うーん? あ、そいつらは全員『軽蔑すべき悪』だね」

「だな。常識的に考えても、悪役は軽蔑すべき邪悪だ。主人公達が憎悪を向け、倒すことに快感を覚える。けど、ニーチェのこのアフォリズムに当てはめると、その感情は憎悪じゃあないことになる」

「たしかにそうだね。辞書に載っている憎悪と、ニーチェの言う【憎悪】って言うのは別物ってこと?」

「俺はそう考えたわけだ」

「でも、そうするとニーチェの【憎悪】ってどんな感情なんだろう?」

「このアフォリズムから考えれば『自分よりも高く評価している人間に向ける敵意』こそがニーチェの【憎悪】だって言えるんじゃあないか?」

「んー。どう言うこと?」

「ニーチェの他の言葉を借りると、『汝の敵には軽蔑すべき敵を選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない。』ってのがあるな」

「【軽蔑】すべき敵を選ぶな?」

「ニーチェが“闘争”を肯定しているって言う話は何度もしたよな?」

「アレだよね、【力への意志】だっけ? 人間はより良くなりたいって言う意志に突き動かされているとか、昔の貴族は闘うことによって自らの幸福を得ていたから云々、みたいな?」

「うろ覚えじゃねーか!」

「でも、伝えたいことはわかるでしょ?」

「なんとなく、な。ちなみに、後半は【奴隷の道徳】の話をする時によくした話だぞ」

「うぐ」

「話を戻すと、野蛮だなんだと思われるかもしれないけど、闘いは人を成長させる。でも、それは弱い物を虐めて得る勝利の話じゃあない。より高い所に自己を運んでくれる闘争が人生には必要だ」

「ライバルと切磋琢磨して成長していく! みたいな話だよね?」

「まあ、ポジティブと言うか、受け入れやすくマイルドにするとそんな感じ。ヤスパースの限界状況じゃあないけど、人間は他者との交わりによって壁を破ることができる。その為に闘いは避けられない」

「うん。ヤスパースは知らないけど、言いたいことはわかる」

「そこに俺達が思う『憎悪』は必要ない。軽蔑すべき敵対者との戦いに得る者はない。むしろ、そんな闘いはマイナスだ」

「『怪物と闘う者は、戦いながら自分が怪物になってしまわないようにするがよい。長いあいだ深淵を覗き込んでいると、深淵もまた君を覗き込むのだ。』ってニーチェも言ってるしね」

「そうだな。だから、憎むべき……敵と見定めるべきは、自分と同等以上の人間にするべきだ。上の王子を倒せば継承順位が上がるからじゃあなく、自らの成長の為に尊敬する兄を超えることを【力への意志】は求める」

「ふむふむ。じゃあ、【憎むのは、自分と同等の評価をしている人、あるいは自分よりも高く評価しているひとなのだ。】って言うのは、『自分よりも優れた人間を妬む人の弱い心』について指摘しているんじゃあなくて、【力への意志】を持った人が闘いを求めるのは軽蔑から生まれるマイナスな感情じゃあなくて、闘争に自分の成長を見出しているからってこと?」

「そう、俺は解釈する」

「ってことは、ニーチェは憎しみによる攻撃を認めていないってこと?」

「そう取ることもできるな。実際、ニーチェは怨恨ルサンチマンを否定しているし、強敵を乗り越えるのではなく悪と呼ぶことで価値観を崩壊させたキリスト教も間違っていると考えていた」

「なんか、正面から正々堂々戦うことを旨とする騎士みたいな思想だね」

「それがニーチェの言う【貴族の道徳】なんだろうな」

「なるほど。利人の言っていた敵に関するアフォリズムって意味が言葉じゃなくて心で理解できたよ」

「ニーチェの哲学と言えば、どうしてもニヒリズム的な物を想像しちゃうけど、やっぱりこう言う愚直なまでに真っ直ぐな思想こそがその神髄だと俺は思うな」

「そだね。こっちの方がポジティブで印象良いのにどうして流行らなかったんだろ?」

「『この世は無価値』って言うのはどうしようもない真理に聞こえるからなぁ。やっぱり真理は【憎悪】すべき最大の敵ってことなんだろうな」

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