【一六九】【自己を隠蔽するには】
【自分について多くを語るのは、自分を隠す手段でもある。】
「えーっと『いんぺい』で読み方はあっているんだよね?」
「正解。隠れるの『隠』を『いん』って読む機会も中々ないし、『蔽』に至ってはまずお目にかからない珍しい漢字だな。『蔽』そのものも『隠す』って意味を持っているし、似たような単語を重ねて意味を更に深めているタイプの単語だな。用途は凄く限られている気がする」
「隠蔽工作くらいしか使い方が思い浮ばないかな。後は、遮蔽物とか?」
「だな。今回のアフォリズムは、そんな隠蔽工作の仕方について語っている」
「企業が業績の為にやって問題になる奴だね。…………哲学者のニーチェが何故にそんな方法を教えるわけ?」
「隠蔽は別に企業だけの専売特許じゃあないからな。個人だって自分を覆い隠すことがある。勿論、姿を物理的に隠すとか言う話じゃあないぞ」
「【自分について多くを語るのは】ってあるから、内面的な話でしょ? それはわかるわ」
「それは失礼。じゃ、その続きは?」
「【自分を隠す手段でもある。】だね。ってことは、自分語りをすると、逆に隠蔽が成功するってこと?」
「この皮肉っぽい言葉回し、ニーチェっぽいよな」
「これは単純に嘘を吐いているってことじゃあないよね」
「だろうな。嘘を言えば、自分を偽れるってなるんじゃあ当たり前過ぎる」
「その含みのある言い方はもっと違う意味があるっぽいね」
「つまり、自分の真実を語ることで、自分の中身を掴ませない人が世の中にはいるんだね」
「そうだな。例えば、真実を言ってみよう。例えば『俺の名前は自由ヶ丘利人です。趣味は読書で、最近はリチャード・ドーキンス等のダーウィン主義を中心にした書籍をよく読んでいます。毎日の電車通学の際に良く読んでいます』と、言ったとしたとしよう。これは全部真実だが、千恵はどう思う?」
「爽やかな口調で笑いを堪えるのが大変でした」
「……真面目な好青年だったと」
「ポジティブに解釈したね」
「この自己紹介をされれば、大抵の人間は『理知的で勤勉で勉強のできる高校生』だと思うだろう」
「自分を持ち上げて行くね。まあ、間違ってないけど」
「そう。間違ってない。が、全てではない」
「鬱陶しい蘊蓄が好きな所も説明すれば完璧だったね」
「俺の隠された要素それだけ? もっとあるよね? 言っても良いんだぜ?」
「でも、なるほど。趣味が読書って言われると、その時点で勝手にその人の性格とかまで想像しちゃうよね。大人しい人とか、静かな所が好きとか、そう言うレッテル? って言うの? 勝手に決め付けちゃうよね。でも、実際は大人しくもまじめでもない。どっちかって言うと、割と平気で人を下に見ている節があるし」
「うーん。千恵の評価に傷付きそう」
「めんご」
「……。まあ、俺の言いたいことはわかっただろう?」
「真実の一部を放すことで、相手に勘違いをさせるのが隠蔽に最適ってことだね! 詐欺師見たい!」
「一流の詐欺師は嘘を吐かないって言うしな。だが、非常に有効な手段だろうな。明らかに正しいことを、人は一々確認したりはしない。高校生の趣味が読書で、通学中に電車で本を読むのも別に不自然なことではない」
「最近、電車で本を読む人って減ったよね。皆、スマホだよ」
「その話は興味深いけど、今は関係ないよな?」
「さーせん。って言うか、これ、哲学なの? 心理学っぽくない?」
「かもな。まあ、似たようなもんだから問題ないだろう。哲学だったにせよ、心理学だったにせよ、ニーチェの観察力によってかかれたアフォリズムに違いはないだろ?」
「それもそうか」
「さて。話を戻そう。自分について多くを語る人間は、『自分はこんな人間なんだ』と説明してくれているわけだ。さっきの自己紹介で、俺は大人しい人間を騙って、千恵が言うには人を見下す性質を隠していたらしい」
「ごめんって。でもさ、世の中には結構な人数、自分語りが好きな人っているでしょ? 男女を問わずさ、頼んでもないのに『自分はこんなに凄い!』って教えてくれる人。あの人達がそこまで考えているとは思えないんだけど」
「別に、手段の一つであって、自分語りする人が全員そうだって話でもないからな」
「あ、そうか」
「ただ、無自覚に自分語りが好きな人間も、もしかしたら無意識に自分を隠したいのかもな」
「ん? どう言うこと? 無意識とか心理学っぽいこといっちゃって、話を難しくしないでよね」
「さーせん。ちょっとさっきの詐欺の手口とは話が変わっちゃうけど、自分語りをする人間は承認欲求が強いと言われている」
「人に認められたいって言う欲求だよね?」
「多かれ少なかれ、誰もがもっている欲求なんだけど、自分語りはその表れとして顕著なモノの一つらしい。まあ、諸説あるけどな」
「ふーん」
「で、人に認められる一番の方法は結果を出すことだ。世の中を見ればわかるだろう? 自分に自信がある連中は公の舞台に出て来て評価されようと必死にアピールをしている。スポーツもそうだし、勉強もそうだし、芸術文化もそうだな。色々なコンテストがあって、そこで皆がしのぎを削っている」
「うん。そう言う一流のプレイヤーは誰もが認める所だろうね」
「しかし、実力がない人間の承認欲求はどうなる?」
「……満たされない?」
「そうだな。一位よりも二位が認められるなんてことはまずない。ボクシングでも有名なのはチャンピオンだけで、表彰台に登れる三位ですらマニアじゃあないと興味も持たない可能性が高い。勿論、結果が散々でも褒めてくれる人がいれば満たされるかもしれないけど」
「それがどうしたの? 自分語りと関係ある?」
「あるさ。そうやって誰にも認められない人間の行く末が自分語りだ。誰かに認められたくて、大抵の自分語りは自慢だ。過去の栄光だったり、些細な幸せだったり、その内容は人によってマチマチだけどな」
「そう言う自分語りはうざいよね」
「何故、うざいのか。それは多分、虚栄心に満ちた言葉だからだ。実力もなければ、舞台に立つことすらしていないのに、認められようとする。その虚栄に満ちた高度が癪に障るんだよ」
「ひでー言い方」
「彼等は自分について語ることで、無能な自分を隠そうとしている。隠蔽って言葉がよく似合うだろう? 虚栄に塗れた自慢話が大好きな奴は、ちっぽけな自尊心を保つ為に必死なのさ」
「まあ、言いたいことはわかるかも。私も大好きなアーティストや漫画家さんのインタビューは好きだけど、素人作家の創作論とかは鼻につくだけだしね。頭でっかちになって、今の自分の姿を見ないように必死な感じがするんだもん」
「それも隠蔽だろうな。口先だけは達者な奴って言うのはいつの時代もいるもんだ」
「今はインターネット上に沢山いるもんね。ちょっと違うかも知れないけど、インスタグラムとかで生活を犠牲にしてまで写真をアップすることに必死な人とかもいるみたいだしね」
「素晴らしい写真を撮ることで、その素晴らしい写真を撮った自分も素晴らしいと思い込みたいんだろうな。ブランド物の時計とか、高級車とか、華美な指輪とか、他より優れた物を誇示したいって言うのも、ある意味で『多弁』と言えるかもしれないな」
「ああ。そう言うのも、身の丈にあっていないと格好悪いよね」
「だろ?」
「じゃあさ、利人はどうなんだろう?」
「俺?」
「うん。果たして自由ヶ丘利人は口にする知識や蘊蓄に隠しきれないような立派な人間性を持っているのかなって?」
「中々に厳しい事を言ってくれるなぁ。精進するよ」