【一六七】【内密な関係】
【厳格な人間にとっては、内密な関係と言うのは恥ずべきものである。――同時に貴重なものでもある。】
「内密って『ないしょ』『秘密』とか、そう言う意味でしょ?」
「厳格は『手加減がなく厳しい』様子だな。少なくとも、俺や千恵は厳格な人間とは言えないかな。別に内密な関係ってわけでもないし」
「勉強を教えてくれる時は容赦ないけどね」
「厳しくしなければ覚えられない千恵が悪い。甘やかすと調子に乗るからな」
「はいはい。私が悪いですよ。それでだけど、厳格な人間が内密な関係を持つことってそんなに恥ずかしいことなのかな? 全員に交友関係を開示している人間の方が少なくない?」
「まあ、そりゃそうだけど」
「でしょ?」
「でも、普段は偉そうに厳しいことを言っている政治家とかがさ、こっそりと愛人と会っていたりしたらどうだ?」
「それがバレたら恥ずかしかもね。吊るし上げられて、議員生命が終わっちゃうかも」
「だろ? この場合は、クラスの友達に彼と付き合っているのがバレたら恥ずかしい! なんて中学生みたいな話じゃあないと考えるべきだろう」
「そりゃそうだ」
「法に対して、公正明大――厳格であるべき政治家が、法に背く様なことをこそこそとやっているって言う事実が恥ずべきだ! って言う話だろうな。法じゃあなくて、戒律とかでも良いんだろうけど」
「たしかに、自分で出来ていない人に言われるほど、腹が立つことはないもんね」
「脱線だが、『神父の言う通りにしろ、やる通りにするな』なんてことわざがあるみたいだな。今も昔も、口先だけ立派な人間って言うのは沢山いるみたいだぞ」
「うわぁ。利人が好きそうなことわざだね」
「話を戻すと、ニーチェは極々当然なことを言っているわけだ。厳格であるべき人間が、表に出すことができない後ろ暗い関係を持つなんてあってはならないことで、恥ずべきものであるってことだな」
「まあ、ここまでは賛同できる言葉だね。政治家に愛人とか、公共事業の談合とか、イカサマありの出来レースとか、そう言う内密な関係って言うのは許せないからね」
「犯罪だしな」
「でも、それは【――同時に貴重なものでもある。】んだよね? これは、アレかな?」
「どれだよ」
「わからないの? そう言う関係はお金になるってことだよ」
「まあ、談合とか出来レースは金が動いてそうだけどさ」
「でしょ? 貴重ってことは、高値で売れるってことじゃん? 公正明大をするのにもお金がかかるからね、多分。そう言う資金源は大切ってことでしょ。所で、談合って何? 私的には、料亭で悪人達が話し合いをすることだと思っているんだけど」
「料亭が風評被害受けてるじゃねーか。『談合』って言葉自体に本来は悪い意味はないんだけどなぁ。『時代の寵児』とかと一緒で、すっかりマイナスなイメージが定着した言葉だな」
「時代の寵児って、間違いなく逮捕された有名人のピークの時を指すよね」
「話を戻そう。たしかに、内密な関係はそう言う意味でも貴重かもしれないな」
「でしょ?」
「でも、愛人は金になるのか? 逆に金がかかりそうな気がするんだけど」
「ああ。それはマスコミに垂れ込めばお金になるでしょう?」
「まさかの密告者としての貴重性かよ! どんなアフォリズムだよ!」
「人間関係には気をつけろよってアフォリズム」
「ま、まあ、ニーチェはそう言うつもりで書いたかも知れないけど、俺の解釈は違う。って言うか、貴重なモノを金にすんな! 物事の価値を金銭でしか測れないとか、それこそ恥を知れ! 恥を! 資本主義の犬が!」
「ッチ。はーい。反省してまーす」
「舌打ち!?」
「それで? 利人はどうして貴重だと思ったわけ?」
「例えばさ、厳格な男に愛人がいたとするだろう? その愛人にとって、その男は厳格な人間だと思うか?」
「ん?」
「俺は、愛人にとって男は厳格な性格であるとは言えないと思う」
「そりゃそうだよ。不倫している最中なんだし、外では厳格かもしれないけど、浮気相手にしてみればそうじゃあないでしょ。って言うか、愛人がいる時点で厳格も何もなくない?」
「まあ、そうなんだが、人間って言うのは一面だけじゃあないだろう? 誰だって沢山の顔を持って生活している。親や兄弟、友人や教師、部下や先輩と話す時、一貫して同じ態度を取る奴がいたら、そいつは人間じゃあない。ただのキャラクターだ」
「利人でも家のパパママには敬語? 使うもんね。アレ、ちょっと受ける」
「お前だって猫を被ってるじゃねーか」
「女性が化粧をするのは当たり前でしょう?」
「あ、そ。話を戻すと、厳格と言う仮面を被っている人間にしても、その仮面は外したい時もある。例えに出したのが、不倫や談合だったからアレだが、厳格で偉そうな奴がウサギに赤ちゃん言葉で話しかけていたり、家では洒落たお菓子作りが趣味だったりしたら、それはそれで恥ずかしいだろう?」
「言葉使いや食生活に五月蠅く言いながらそれだったら、たしかにアレだね」
「そう言う人にとって、生き抜きの趣味って言うのは少し恥ずかしい」
「うん。わかって来たよ。それが自分の恥になるとわかっていても、厳格な人間にだってハメを外したい時があるんだね
「ああ」
「でも、それだと【関係】はどうなるの? これは、あくまで人との繋がりに対するアフォリズムでしょ?」
「そこで愛人の例えに戻ると、この愛人は男にとって自分の厳格でない顔を見せることのできる相手であるってことだ」
「ウサギに赤ちゃん言葉で話しかける例えだと、ウサギについて遠慮なく語れる相手だね」
「そうだな。要するに、秘密を話せる関係。違う自分を見せることができる関係」
「なるほど。そう言う関係はたしかにあるよね。家族には言えないことを利人に言うこともあれば、逆も然りだし」
「厳格であろうとすれば、そう言った関係も難しいだろうしな。普段は真面目に振る舞っているわけだから、そうじゃあない自分の顔を晒すって言うのはかなり勇気がいることだろう。もしかしたら、それが原因で幻滅されるかもしれない」
「芸能人のツイッターとか見て、イメージと違い過ぎて冷める時とかあるもんね」
「ああ。それに、自分のそんな一面を相手が吹聴しないだろう、って言う信頼も必要だ。軽々しく言い触らされたら最悪だからな」
「秘密にして欲しい一面を見せる為の内密な関係だもんね」
「そ。特に厳格な人間なんて、ちょっとでもイメージと違うことをすれば批判や嘲笑のやり玉に挙げられるだろう。そんな秘密をちゃんと黙っていてくれるって言うのは、人気ができた貴重な人間なんだろう」
「ふむ。言いたいことはわかったけど、結局、これはどう言うアフォリズムなわけ? なんか、話がとっちらかってまとまりがない感じがするんだけど」
「だな。なんか『これだ!』って一言でまとめるのが難しんだよな。取り敢えず『人間の多面性』についてのアフォリズムって感じか? 俺が面白いと思ったのは、厳格な人間と内密な関係を結んでいる人間にとって、厳格な人間は厳格な人間でありえないって言う矛盾染みた所かな。『ウサギの秘密を共有する人にとっては、厳格な人じゃなくて、ウサギ好きのおっさん』って例えたけど、この立場によって価値や評価が激変するって言うのは如何にもニーチェらしい着眼点だと思う」
「たしかに、この【――同時に】って所も、恥ずべきなのに貴重って矛盾を抱えている所が印象的だよね」
「こう言う所が、厨二病マインドを揺らすのかもな。所で、千恵は何か俺に隠している内密な関係とかあるのか?」
「あるにはあるけど、教えて欲しい?」
「そりゃ、千恵が良いなら知りたいな。信頼の証ってことだろ?」
「うーん。そうなのかな? じゃあ、言うけど、ニーチェについて語られているなんて、中々他の人に言えない関係だと思うよ? いや、別に恥ずかしいってわけでもないんだけど」
「……………………」