表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

112/137

【一六五】【司牧者】

【あらゆる党派に向けて。――羊飼いもまた、一匹の先導する羊を必要とする。――そうでなければ、羊飼いもときおり羊になる必要がある。】




「はい! 利人先生!」

「なんだい? 千恵君」

「【司牧者】って何ですかっ!?」

「良い質問ですね。カトリックの司祭が、教会と信徒を管理することを『司牧』と言います」

「ふーん。カトリックって? 司祭って?」

「そこから!? カトリックとプロテスタントくらいは聴いたことがあるだろ? カトリックは教会、プロテスタントは聖書にそれぞれ重きを置いているとざっくり言っておこう。ローマ教皇がカトリックのトップとして有名だな。司祭はまあ、教会の管理人だと思っておけば良い」

「なるほど。アンデルセン神父は?」

「カトリックの神父だ。神父って言うのは、司祭の敬称らしいな」

「なるほど。アンデルセンはカトリックの司祭なわけね。完璧に理解したわ」

「その理解は絶対に間違っているからな!」

「何で唐突に羊の話を始めたるのかと思ったけど、アレね。『迷える子羊達よ』って奴ね!」

「あ、ああ。それは合っているけど、カトリックについては誤解しているからな?」

「でも、何で羊なんだろ? 豚とか牛じゃあ駄目だったわけ? ジンギスカンなの?」

「あの時代、家畜と言えば羊だったんだよ。少なくとも、紀元前五〇〇〇年よりも前には人類は羊を家畜化し、羊飼いが存在したようだ。旧約聖書で某兄弟の弟の方が神様に捧げたのでも有名か? それこそ、千恵が『迷える子羊』なんて台詞を知っているくらいには、聖書に羊が出て来る」

「私の知識はドラクエの神父さんだけどね。あれ、最近の作品は教会のシンボルマーク変わったよね、大人の都合で」

「みたいだな。それで、どうして例えに羊が使われたのか? だが、それは羊が群れて行動する所とか、臆病で貧弱な生き物と言う点で人間と被る所があったからだろうな。それと、人が羊を導くのと、神が人を導くことを重ねているわけだ」

「なるほど」

「ちなみに、羊達の群れは一斉に怯えるらしい。それは羊の姿をした神『パン』が原因だと考えられ『パニック』の語源となったそうだ。インフルエンザの季節に耳にする『パンデミック』も語源は同じだな」

「言語学者みたいな蘊蓄はいらないから」

「そんな羊ちゃんの群れを導くのが羊飼いと呼ばれる職業だ。かの有名な預言者や、イスラエルの王の前職でもあったりするから侮れないな。ファンタジー色が強い職業だけど、現代でも少数活動しているらしい。仕事にはしたくないけど、一生に一度くらいは高原を羊と一緒に歩いてみたくないか?」

「わかる」

「まあ。俺の羊飼いの知識はベイブ程度しかないから無理だろうけど」

「それは何も知らないと同じ意味だよね?」

「羊の放牧する人。それだけわかっていればアフォリズムを進めるには大丈夫だろ」

「そりゃ、あくまで例えだもんね」

「そう。羊飼いは司祭のことで、羊は教徒のことだと考えればいい」

「【あらゆる党派に向けて】って最初にあるのは、指導者ポジションの人に向けてってことになるのかな?」

「ああ。そして【――羊飼いもまた、一匹の先導する羊を必要とする。】と続く。羊の行動を上手く制御する羊飼いだけど、それには先導する羊が必要らしい。昔軽く調べた所によると、一応羊の群れにもリーダーがいて、牧羊犬(偶に豚)はそれを理解して群れを纏めるらしい」

「群れているくらいだし、そりゃあ中心羊物がいても不思議じゃあないのかな?」

「これを人間ヴァージョンにすると『指導者も一人の先導する人間を必要とする』となるわけだ」

「スポーツに監督がいて、選手側にキャプテンがいるのと一緒だね」

「お。中々的確な例えかもな。幾ら指導者側にやる気があったとしても、絶対に下にいる人間が付いてくるとは限らない。『温度差』なんて言われることもあるが、やっぱり下と上では意識に差が産まれちまうみたいだな。小学校の頃、マラソン大会で教員共が『みんな辛いのは一緒!』って言って、足の遅い苦しそうな子を励ましていたけど、教師はストップウォッチ持って立っているだけから全然共感できない応援だったな」

「あるある」

「それでも足の遅い子が最後まで走るのは、他の誰かが最後まで走っているからだと思わないか? 例えば、一番足の速い子が途中で歩いていたら、他の子も足を止めて休憩するだろう」

「かもね」

「信仰も同じだ。『善良に過ごしていれば、死後に救済される』なんてお伽噺をどれだけ熱弁したって、信じさせるのは難しい。窮屈で奴隷染みた生活を正しいと言うよりも、誰かから奪ってでも富を得る方が直感的でどれだけわかりやすいだろうか?」

「現代でも、アフリカの人は学校とか井戸とか分解してお金にしちゃうんだっけ? そっちの方が短期的にでも儲かるから。呪術とかも信じられているんだっけ?」

「らしいな。俺達からすれば馬鹿馬鹿しい話に聞こえるかもしれないが、司牧者――呪術師がちゃんと周囲の人間を導いて来た証拠なんだろうな」

「って言うと?」

「アフリカの村社会については良く知らんが、多分、呪術師と直接交渉が出来るのは特権階級だけだったんじゃないか?」

「村長とか、酋長とか、そう言う人ってこと?」

「そう。村をまとめる人を上手く先導することで、村全体に自分の力を信じ込ませるわけだ。村社会で生きていくためには、長の言うことは絶対だ。村人達は村長が言うならと、呪術師を信じる。そして子供たちにもそう教える。子供達は大人になった時、やっぱり呪術師を信じ、自分の子供にも呪術を信じるように言うだろう」

「なるほど。それは他の宗教でも一緒だね」

「『あらゆる信仰』で一緒だろう。水素水みたいな似非科学や、マルチ商法を代表とする胡散臭い商売、話題の音楽や服装、誰も彼も本当の効果や意味や価値なんて知りはしない。多くの人間は『他人がそうだから』が行動原理だ」

「そう言われると、服とかは何年も前からブームが計算して作られているみたいだね。流行らせたい層を予め決めといてさ」

「へえ」

「これも先導者が目立つ羊を選んでいるってことだよね?」

「だろうな」

「でも、じゃあ、最後の【――そうでなければ、羊飼いもときおり羊になる必要がある。】って言うのは?」

「うーん。個人的に解釈は二つ」

「一つは、『自分が民衆の中に入って自ら導かないといけない』ってことでしょう? 自分自身が生徒と一緒になって走らなければ、生徒は走ってくれない。王が進まねば兵は付いてこない! みたいな利人好みの答え」

「ああ。ポジティブな解釈がそれだな」

「ってことは、ネガティブな考えがもう一つあると」

「ネガティブと言うか、憐れな仔羊ヴァージョンだな。先導しようとして群れの中に飛び込んだ羊飼いも一緒に迷子になっちまうのさ。群れの先頭に立って、必死に呼びかけるんだが、誰も応えてくれない。滑稽な道化として、同じ群れの仲間にすら白い目で見られる。こんなに惨めなリーダーもいないだろう」

「三由事件的な?」

「三島由紀夫か」

「詳しく知らないけど『クーデターしようぜ!』って自衛隊に呼び掛けて失敗、その後に自殺しちゃったんでしょ?」

「千恵の説明はあまりにも軽すぎるが、まあ、確かに彼は先導者になれなかったし、群れを導く羊にもなれなかったのかもな。その後の影響とかも含めると何とも言えんけど」

「結局、自衛隊は中途半端に自衛隊のまんまだし、アメリカの影響は強いままじゃん?」

「まあ、そうなんだけど」

「彼ほどの(良く知らないけど)人でも、群れを動かすのは難しいんだね」

「それでも、人ごみに紛れて安心するような人間にはなりたくないな。『鶏口となるも牛後となるなかれ』ってな。自分で考えて、自分の足で歩くべきさ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ