【一六三】【愛の力】
【愛は、愛する者の隠された高貴な特性に光をあてる。――その物の稀なるところ、例外的なところをあらわにするのだ。そのようにして、愛する者がいつももっているものについて、思い違いをさせるのである。】
「なんだかロマンチックなタイトルだね」
「ロマンチックねぇ。どうでも良いけどロマンって言葉はフランス語で『長編小説』を意味する単語で、そっから物語的な展開を指す日本語として定着した、って言う説があるみたいだな。俺は『嘘っぽい』程度のニュアンスで捉えることにしてる」
「ロマンの欠片もないね……」
「現実なんてそんなもんだろ。で、だ。【愛は、愛する者の隠された高貴な特性に光をあてる。】とある。不思議なもんで『なんでこいつのこと好きになれるんだろう?』みたいな奴のことを好きになる奴はいるもんだ」
「蓼食う虫も好き好きって言うしね。で、蓼って何?」
「ヤナギタデって言う水辺に育つ一年草だったか? 苦味があるが、普通に刺身のツマとして人間も食うらしいぞ」
「へー」
「まあ、蓼を食うホタルハムシが好きで蓼を食っているかは置いておくとして、愛は他の人が見つけられなかった素晴らしい利点や性質を見つけ出してくれるみたいだ」
「例えば?」
「不良が時々見せる優しさとか?」
「ベタな例えだなぁ。六十五点」
「産まれて初めてだよ、欠点を取ったの。こんな惨めな気分になるのか」
「六十五点が欠点!? 進研ゼミの漫画の主人公みたい! でも言わんとすることはわかったよ。『あの人の本当の優しさを知っているのは私だけ』って言うのは、少女漫画的に乙女ポイント高いよね」
「後は、基本的に自分の子供に対する両親の評価もコレか? 大抵の親は自分の子供が一番可愛いと少なくとも赤ん坊の頃は思っていそうだしな。他人からしたら何の直接的な生産性もない五月蠅いガキだけど、血縁者にとっては笑うだけで幸せにしてくれる」
「そう? 人の子供でも赤ちゃんは可愛いと思うけど」
「別に俺だって可愛いと思うわ! 自動人形もそう思うに決まっている。あと、個人的には、ベビーカーの枠? に足乗せて寝ている赤ん坊の姿がツボだな」
「わかる。なんで、赤ちゃんってあそこに足上げて寝ているんだろうね?」
「生命の神秘だな」
「そこまで大袈裟な話し!?」
「現実的に言えば、諸説ある。寝ている状態だと足と頭が同じ位置になるからだろ? その再現だとか、状況確認の為に動かしているんだとか、足を冷やすためだとか」
「利人は何でも知ってるね」
「何でも知ってるさ、知ってることだけな。脱線はここまでにするとして、ニーチェは愛を【例外的な所をあらわにする】モノだとここでは言っているな。さっきの不良で言えば、例外的な『優しさ』だな。愛するモノを見たり触れたりする時間は、当然他の人よりも増えるはずだ。普通の人が気付かない場所にも目が行くのも当然だな」
「でもさ、それって『卵が先か、鶏が先か』じゃない?」
「ん?」
「その例外的なモノを見たから好きになるパターンもあるでしょ?」
「なるほど。それも最もだが、今回は考慮する必要はないな」
「なんで?」
「【そのようにして、愛する者がいつももっているものについて、思い違いをさせるのである。】だ」
「なるほど。恋は盲目と」
「そ。愛は例外的な特性ばかりに注目をしてしまい、普段の振る舞いを忘れてしまう。雨の日に犬を拾おうが、その不良は普段、ムカつく奴の鼻に割り箸を突っ込んでいるような奴だぞ」
「そんな奴は犬を拾っているのを見ても好きにならないでしょ」
「確かに」
「でも、今回は普通のアフォリズムだね。言い回しは格好良いけど、言っていることは定番だもん。もしかして、あれかな? ルーだっけ? 好きだった人に振られた後に思い付いたのかな? あの時はおかしかった、って自分を慰めてるのかも」
「そんな酷いことを良く言えるな! なんでニーチェの恋愛事情にそんなに厳しいんだよ!」
「さあ? ノリ?」
「酷過ぎる……。名誉の為に、哲学らしい話をしよう」
「ほう。ここからどう、哲学に繋げるのかね?」
「神の話をしよう」
「いきなり宗教っぽくなったね」
「神の特性と言われて、何が思い付く?」
「ん? どんな神様でも良いの?」
「そうだな。神って言うイメージで思い付くのなら、何でも」
「うーん。そうだね。『創世』とか『天国』とか? 『奇蹟』とか『天使』もそうかな?」
「そんな所だろうな。そう言った人間を超えた特性を持つから、神は信奉されている。もっと言葉を簡単にすれば、愛されている。世界を創造したことや、死後の世界を約束することに対する感謝が宗教の祈りだ。勿論、そこには畏れもあるんだろうけどな」
「ふむふむ。それは紛れもなく【高貴な特性】だね」
「そして、【稀】で【例外的】な特性だ」
「え?」
「大抵の宗教では、神は二度も三度も創世を行いはしない。基本的に、創世の奇跡は一度きりだ」
「そう言われてみれば、そうかも?」
「創世と救済と言う偉業に対して人々は神々に畏敬の念を抱き、そしてそれ以外のことに言及するのはタブーだ」
「『どうして神様がいるなら、不幸が世の中からなくならないのか?』って聴いちゃ駄目みたいな話?」
「そ。色々理由をつけて神が現世に介入しないことを正当化しているが、俺から言わせて貰えば、それはただの怠慢だ。そうするだけの力があって、そうして欲しい無数の人間がいるんだ、せめて交渉の場に位はついて欲しい所だ」
「じゃあ、利人はこう考えるわけだ。『神様を愛する人は、その偉業の力を称える。でも、神は基本的に何もしない存在で、奇蹟は例外的なものだ』。雨に濡れた子犬を助けた不良は、所詮不良でしかないように、神様なんて信用ならないってね」
「そ。神は何もしない。そもそも創世をした証拠もないし、死んだ後の世界を約束するなんて、票が欲しい政治家の言う『将来』や『未来』と変わりない。そう言う、ニーチェの神と信仰に対する皮肉めいたモノを俺は感じたわけだ」
「なるほどねー。本当にニーチェっぽい結論に落ち着いたわね」
「こじつけたみたいな言い方は止めてくれないか? まあ、どんな信仰でもありがちな傾向なんだよ。特にキリスト教はキリストを神格化し過ぎている感があるからな」
「キリストを神格化って、もう頭痛が痛いみたいな感じになってるよね!?」
「同じヨーロッパ圏でも、古代ギリシャとかローマとかさ、北欧の神話の神々って割と人間臭い所があるだろう? 酔って失敗したり、不倫したり、復讐したり」
「だね」
「その辺が宗教として残ってない所を見ると、キリスト教は上手いことやったとも思うけどな。商売としては成功していると言えるんじゃないか」
「商売言っちゃ駄目」
「あと、ニーチェが自分のアバターとして選んだツァラトストラの拝火教についても少し」
「名前は格好いいよね、ゾロアスターって」
「簡単に言うと、この世界には創造と善の神『アフラ・マズダー』と破壊と悪の神『アンラ・マンユ』がいて、宇宙の始まりから終わりまでの一万二〇〇〇年間を争って過ごす。そして、最終決戦で善が勝ち、新たな世界が創られる」
「そしてまた、悪が産まれるんでしょ」
「そ。キリスト教と違って時間が直線的でなくてループしてたり、悪もまた不滅だったり、神に対する盲目的な所が感じられれない」
「だからこそ、ニーチェはツァラトストラを主人公にしたわけだね」
「そ読み物としても面白いから、暇なときにでも読んでみると良い」




