【一六〇】【認識と伝達】
【わたしたちは自分の認識を他人に伝える。そしてその瞬間から、それを十分に愛さなくなるものだ。】
「また、小難しい言い方をするよね。【自分の認識を他人に伝える】なんて。要するに、気持ちとか考えを教えるってことでしょ?」
「小難しくない哲学なんて哲学じゃあないからな……なんて冗談は置いておくとして、他人に自分の意見を言うって言うのは割と有り触れたことだろうな。と、言うか、人間関係の基本だし、これを一生で一度も行ったことがない奴はまずいないだろう」
「そりゃそうだ。空条承太郎は『人の心に何かを伝えるというのはすばらしい事だ』なんて褒めているくらいだしね。【認識の伝達】はそんなに珍しいことでもないし、悪いことでもない」
「承太郎はその後に『だが時として「カス」が残る』『「恨み」というカスがな…』なんて言っているけどな」
「ジョースター家の宿敵、DIOとの因縁を語るシーンだね。私、ジョジョは六部から読んだからか、この辺りは特に印象的で、覚えてるね。まあ、どうにもニ-チェの言いたいことは、承太郎とは別みたいだけど」
「そうだな。伝える想いの善悪とかじゃあなくて、想いを伝えることその物について言及している。曰く【そしてその瞬間から、それを十分に愛さなくなるものだ。】だ、そうだ」
「うーん。『有言実行』の逆みたいな感じ?」
「誰かに目標を伝えた瞬間から、やる気がなくなるってか? まあ、そう言う奴もいるよな。偉そうなことは言うけど、実際には何もしない奴」
「政治家とか?」
「ノーコメントで」
「でも、普通は誰かに伝えたら、それを実行しなくちゃ駄目って思わない?」
「だな。このアフォリズムでは、他人に伝えるのを【認識】だと指定しているからな。目標目的は関係ない」
「そりゃそうか」
「【認識】って言うのは哲学において非常に意味のある単語だが、そう言った認識論については深く考えずに、単純に【認識】ってどう言うものだと思う?」
「うーん。それをそれだと判断すること?」
「悪くない。物事を認識するって言うのは、正にそう言うことだろう。プラス10ポインツ!」
「やった! あと七ポイントで、利人が地球にやって来るサイヤ人を撃退してくれるんだよね?」
「それは神龍の能力すら超えているから無理!」
「じゃあ、そっちは私がどうにかしとく。取り敢えず、今はこのアフォリズムに集中しようか」
「じゃ、じゃあ、俺達は物事をどうやって【認識】する?」
「どうやって、って、いや、普通にぱっと見でわかるでしょ。一〇〇メートル離れていても、臭いで私は利人だって認識できる自信があるね」
「うーん。後ろ姿とかだったらときめいかもな。って言うか、もうちょっと詳しく説明できないか? 例えば、塩と砂糖だったらどうやって認識する?」
「それこそぱっと見でもわかるけどね。お砂糖はちょっとしっとりしている感じがするし、お塩は明らかにパラパラしてない? 漫画で調味料間違えるって飯マズの基本みたいになっているけどさ、現実だったらまず間違えないよね」
「それを間違えるから飯マズなんだろ?」
「利人の手料理は普通に美味しいけどやたら時間かかるよね。ニンジンを本当に一センチ角に切っている人を私は他に知らないよ」
「料理は科学なんだよ! 愛情なんて投げ捨てろ! と、話がそれた。まあ、結局の所【認識】って言うのは経験に基くものだ。大抵の人間は生活していく内に物事を経験し、その経験から判断を行って生きている。当たり前のことだな」
「うん」
「そして、大昔の人類は複雑な言語を想像し、その経験をより正確に伝える手段を得たことで繁栄することができたとも言えるだろう」
「おお! 流石私の御先祖様」
「親族判定広ッ! 人類みな兄弟かよ!」
「ってことは、認識を伝達するのはやっぱり悪いことではないわけだよね?」
「そこは否定のしようもないと思う」
「じゃあ、どうして【十分に愛さなくなる】わけ? カスが残るから?」
「やっぱり、自分の物じゃあなくなるからじゃあないか?」
「自分の物じゃあなくなる? 認識を共有するからってこと?」
「そうだな。自分の経験から産み出された『個人の認識』は、他人に伝えることによって『皆の認識』として共有される」
「うん。でも、どうしてそれが認識を愛せない理由なわけ?」
「だって、誰だって『自分だけのもの』を愛するモノじゃないか?」
「独占欲ってこと?」
「どうだろう? 近いのかもな。そもそも、『認識』って言うの個人の『経験』から産まれるものだって言っただろ? だから本来、認識って言うのは、各々が別々の物を持っていてしかるべきものなんだよ」
「うーん。でも、結局私の御先祖様達は共有することを選んだんでしょ? 進歩の為に」
「ああ。そして気が付くんだ。『これはもう、自分だけの認識ではない』ってな」
「まあ、共有しているからね。それがどうしたの?」
「俺が苦労して発見した認識を、千恵に伝えたとしよう。これで俺とお前は認識を共有できたわけだが、ちょっとした問題が発生していることになる」
「問題? 十分に愛せなくなる程の?」
「お前、苦労してないじゃん」
「ん? あ、ああ。そうね。私はいつも通り利人からちょろっと聴いただけで、別に何もしてないね」
「そう。千恵は『経験』もなく『認識』を得ちゃったわけだな」
「うん。それの何処が問題なわけ?」
「じゃあ、俺の経験の価値ってなんだ?」
「けち臭いこと言うなよ~」
「俺は心が狭いからな、言わせてもらうけど、釈然としない所があるよな」
「まあ、逆の立場だったとしたら、私も不満に思うかもしれないけど」
「そんなわけで、認識の伝達の際には、本来必要な認識が欠如してしまう」
「『自分だけの認識じゃあない』って利人が言ってたやつだね?」
「そして他人が軽々と共有できる認識に、ちょっと冷める。自分だけが知っていると思っていたら、実はみんな知っていた……みたいな感じか? そう言う時、すっごいがっかりするだろう?」
「あ、わかるかも」
「貴重な経験から産まれた認識も、他人からすれば見聞で十分な認識でしかない。こんなに虚しいことはないだろう? 個人の認識って言うのは、極論を言えばその人の人生を形造るものだ。だって言うのに、自分が得た認識を、他人が軽々しく使うんだ。そんなの、耐えられるか?」
「確かに、それはいやかも。だから、愛さなくなるの?」
「と、言うよりは、口にするのは十把一絡げなことだけだってことだろうな。皆で共有しても惜しくない情報は惜しげもなく広めるけど、そのことを深く愛する奴はいない。気持ちって言うのは、言葉にした瞬間に陳腐になる。空気と混ざって薄くなっちまう。本当に大切な感情は軽々しく口にしない方が良い」
「なるほど。でもさ、今の世の中、そんなことなくない?」
「そうか?」
「SNSでさ、皆自分の認識をばら撒いているじゃん。料理の写真と一緒に味の感想が、景色と一緒に友達との一体感が、怨念染みた罵倒の言葉も、皆、好き勝手に伝えているよ?」
「ふーん。じゃあ、逆に言えば、そいつらは別にそのことをそれ程大切に思ってないんだって事だろうな」
「んな滅茶苦茶な」
「俺には認識を使い捨てているようにしか見えないんだよな。次から次へと話題を変えて、ただただ伝えることを目的とした過剰なSNSへの執着は、ハッキリ言って不健康だ。栄養摂取ではなく、食べることその物を目的とした肥満と同一だよ、アレは。脂肪じゃあなく、虚栄心でぶくぶくと肥えていて見苦しいことこの上ないな」
「利人、流行には取り敢えず逆張りだよね」
「だけど、自分が上げた画像を全て大切に覚えている奴もいないだろう?」
「まあ、そりゃそうかもだけど」
「俺だってそうだ。いや、誰だってそうだ。本当に自分が感がていることを全て喋る奴はいない、各々がそれぞれに、自分だけの経験と認識に誇りを持って生きていくべきなんだ」
「なるほど」
「【十分に愛さなくなる】。完全に見捨てるわけでもないし、忘れるわけでもない。でも、それはもう自分の物じゃあない。誰かに何かを伝える時は、精々用心するんだな」




