【一五七】【自殺の効用】
【自殺を考えることは、極めて優れた慰めの手段である。多くの悪しき夜を、これでやりすごすことができるのである。】
「利人は自殺を考えたことある?」
「個人的には、自分の死を考えたことがない人間がいるとは思えないんだけど」
「自分の死を考えるのと、自殺を考えるのは全然違うくない?」
「そうか? 死について考えている時、そいつは死んでいるも同然だと思うぜ? 死について考えることは、プチ自殺だと俺は思うね」
「人の命が軽いなー。それで? 何回くらい利人は自殺未遂しているわけ?」
「数えるのも面倒臭い程度には、考えたことがあるぜ?」
「え!?」
「そうだな、最近は『自殺幇助罪』が引っかかるんだよな」
「自殺を考えるってそう言うこと!? で、まあ、自殺を手助けするのが犯罪って法律だったけ? よく知らないけど」
「ああ。これってさ、おかしくないか?」
「いや、おかしくないでしょ。人が死ぬのを手伝ったら人殺しと変わらないよ」
「そりゃあ、強盗の手伝いをしたら、それは犯罪だ。強盗は罪だからな。放火でも、殺人でも、詐欺でも、横領でも、手助けしたら駄目って言うのはわかる。けどよ、自殺は罪なのか?」
「え?」
「自殺した人間が、自殺した罪によって裁かれたことはあるのか?」
「そんな人はいないんじゃあないかな?」
「だろ? 罪でない物を手助けしたことで罰せられるっておかしくないか?」
「騙されるな、私! 詭弁だぞ! 屁理屈だぞ!」
「そもそもの話し、死ぬことは悪いことなのか?」
「そりゃ、悪いことでしょ?」
「じゃあ、俺達の人生はどれだけ頑張ろうとも最後は死って言う『最悪』で終わるのか? 人の一生は最終的に悪になる為に存在するのか?」
「うぅ。そう言われると、『死=悪』ってわけじゃないかも?」
「だろ? それに、ちょっと昔まで遡れば、俺達日本人は名誉のために自分の腹を切り裂く変人だったんだぜ?」
「侍の切腹だね。神風特攻って言うのもあったね」
「それらの場合、死は誇り高い物だった。生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がましってやつだ。『死ぬことによって生き様を示す』って言うのは、矛盾して破綻しているようでいて、しかし紛れもない事実でもあった。死は終わりであって、善悪じゃあない」
「まあ、そうかもね。その通りかも」
「だろ?」
「でも。死が不可逆な終わりである以上、やっぱり簡単に死ぬべきではないよね?」
「まあな」
「だから、自殺を助けることは罪になるんだよ。って言うか、どう考えてもただの殺人だよね!?」
「ああ。そうだな」
「『そうだな』って…………」
「俺だって目の前で自殺しよとしている人間がいたら止めるさ。自殺幇助について考えたのは、自殺について考えていた時の枝葉だしな。そこまで真剣に考えていたわけじゃあない。これで千恵が『そうだね』とか言い始めた逆にこっちが引くぞ」
「私は利人なら言いかねないから不安で仕方がなかったよ。でも、利人にも人間の優しい心があったんだね。自殺を止めるだなんて」
「あんまり褒めるなよ、照れる」
「でも、どうやって自殺を止める気?」
「そりゃ『君が死んでも何の変化も起こらない』と事実を告げるさ」
「うん。止める気ないよね?」
「いいや? 世間体に従って止めるさ。ただ実際の所、死にたい奴は死んでも良いとか思ってる。だから、俺は俺の言葉で自殺を引き止めるわけだ」
「それでどうやって引きとめるわけ?」
「だってさ、そんなに生きるのが辛いなら死んだ方が良いだろ。そりゃ、幸福になる権利はあるだろうし、その可能性もあるだろうけど、大抵の人間は不幸のまま不幸に死んでくじゃん? 現実の残酷さと、未来の希望を天秤にかけて、人生の最後に不幸の方が多いと思うなら、死んだ方が良い時もないか?」
「いや、納得できないんだけど。生きている方が絶対に私は良いと思うな。理屈じゃなくてさ」
「『理屈じゃない』って点には賛成できるな」
「ん?」
「俺達の思考は根本的に『命が大事』って言う前提が存在している。そして『死』は恐れるべき恐怖だってな。これはもう、理屈じゃあない。そもそも、死ってなんだよ! って気もするしな」
「いや『死』は『死』でしょ?」
「そうなんだけど、実際に体験した奴はいないだろう? 俺達が死について語る時、それは全て憶測だ。『死んだら意味がない』って言うけど、実際は死んだ後に意味があるかもしれない。『あの世に金は持っていけない』って言うけど、本当は貯金の残高で死後の生活が変わるシステムかもしれない。俺達の思う死って言うのは、生きた人間の想像だ。本のタイトルだけ見て、中身を皆で言い合っているみたいなもんさ」
「それはそうかもね? でも、それがどうしたの? だからと言って、死人が動きださない現実に変わりはないでしょ?」
「そりゃそうだ。でも、それだけだろ? この素晴らしい蛋白質の塊が動かなくなるだけの話だ。宇宙の総和重量が変化するわけでもない。個人の死は世界に何の影響も与えない。自殺をしてもしなくても、どちらでも同じことだ」
「…………」
「でも、世の中にはそう考えない人間もいる。死体よりも生きた人間の方が便利だと、多くの人間は考える。特に国家なんてそうだな。昔はそれが顕著で、人数がそのまま国力に繋がる。労働が辛いから死なれたり、失恋のショックで死なれたり、村八分にされて死なれたりしても困る。どんな使えない奴でも、大抵は生きていた方が役に立つからな」
「それで?」
「だから、国家は殺人を禁じるし、宗教は自殺を禁じる。自分達の都合の良いように死んで貰えるように色々とあの手この手を講じて来たわけだ。国家の為に死ねる兵士の教育も、殺人の罰として首を落とすのも、それだけのことだ。命って言う単位の価値は国家や宗教によって決定されているようなもんだ」
「利人が総理大臣になったら、少子高齢化対策で人間の寿命に制限付けそうだよね。人は六〇歳までしか生きられませんって」
「そう言う趣旨のSF小説は既に存在しているから、俺じゃなくてもそう言う奴はいるさ」
「人の命を何だと思っているんだか」
「ん? 違うだろ? 命を個人の価値ある物だと考えるかららこそ、俺は『君が死んでも何の変化も起こらない』って告げるんだぜ?」
「はい? いや、自殺を推奨してるじゃん」
「かもな。でも、それはつまり、自分の意志や価値観によって、自身の命の価値を決めたってことじゃあないか? 国家でも宗教でも家族でも世間体でもなく、ただ自分の価値のためだけに死ぬ。その決断には凄い勇気がいるだろう」
「いや、だったらその勇気で生きて欲しいんだけど?」
「それも『君が死んでも何の変化も起こらない』って言う価値に対する一つの答えだろうな。個人的にもそれを推奨するし」
「ん? え? 何? 結局生きることを推奨するの?」
「いや、だって、突き詰めると『じゃあ今すぐ死ねよ』って話になるしな」
「そりゃそうだろうけど、じゃあ、今まで話していたのはなんだったの?」
「今は夜じゃあないし、慰めが必要なほど傷付いてもいないけど、暇潰しにはなっただろう?」
「そりゃ、話のネタにはなってたけど」
「死について考えるのは良い。どれだけ時間を費やしても答えなんて出ないからな」
「もう、今回、ニーチェまったく関係なかったよね? ただ利人の死についての考え垂れ流しだったじゃん」
「いや、今回のアフォリズムは簡単だからな。言葉を重ねると無粋な気がするし」
「その心は?」
「【自殺を考えることは、極めて優れた慰めの手段である。多くの悪しき夜を、これでやりすごすことができるのである。】一言も自殺を実行しろなんて言ってないだろう? つまりこのアフォリズムは――」
「アフォリズムは?」
「――死ぬなってことに決まってる。そんな当たり前なことを言わせんな」




