【一五六】【時代の狂気】
【個人の狂気はかなり稀なものである。――しかし集団、党派、民族、時代となると、狂っているのがつねなのだ。】
「事実として“狂った人間”って言うのを見たことある奴は稀だろうな」
「まあね。そう言う病院に行けば別なんだろうけど。小学校の頃、近くの精神病院には近寄っちゃ駄目って言われたなー。どんな人がいるんだろう?」
「さあ? 俺も入ったことないな。ただ、所謂“精神病院”ってのも今は見直されつつあるらしいぞ。医療の進歩なのか、人権意識の改革なのか知らんけど」
「ふーん。じゃあ、利人も狂人に出会ったことはないの?」
「いや。親父の親戚に一人いたな。なんか『俺はタヌキなんだ』とか言って、一年の殆どを山で過ごしているおじさんなんだけど」
「そこだけ聴くと自然大好きな人に聴こえなくもないけど?」
「ナメクジを見て『これは茶色から苦くて食べにくい』だとか、『地上一五センチ以上で起きることに関心を持つべきではない』だとか、『あそこにあるの、俺の糞』だとか、『猟犬に追われて二時間逃げ切った』だとか、色々なことを俺に教えてくれたよ」
「うーん。ヤバそう」
「見た目は普通の人なんだよな。小汚いけど」
「あ、全裸とかそう言うわけじゃないんだ」
「タヌキは皮下脂肪と毛皮があるからな、衣類を来て初めてタヌキと人は対等なんだと」
「ガチ勢かな? 普段は何やってるの?」
「バブルの頃に土地転がしていたとかなんとか。タヌキになる為に、わざわざ山を買ったついでらしいけど。今は、細々と株の配当金だけで暮らしているとか。あの人はタヌキになる為だけに全ての才能と財産を使っているみたいだな」
「うん、わかった。その人は頭おかしい」
「小さな頃は『言うこと聞かないとおじさんの所に連れて行くよ』がお袋の脅し文句だったな」
「妖怪扱い!?」
「ま、狂人強度で言えば相当な人だよ。俺なんか足元にも及ばない程のな」
「足の裏レベルにも到達できないと思うよ……」
「そう言う狂人は、しかし稀だ。少なくとも、俺はタヌキになるために人生を文字通りに捨てている人間を一人知らない。千恵はいるか? 知り合いにそう言う人」
「いないです」
「狂人はそんなにいない。【個人の狂気はかなり稀なものである】の一文からも、ニーチェだって同じ意見であることに間違いはない」
「でも、こう続いているね。【――しかし集団、党派、民族、時代となると、狂っているのがつねなのだ。】って。個人個人は狂っていないのに、集団や党派が狂っちゃうって言うのは不思議だね。しかも、それが通常だって言うんだから、いっそ矛盾しているようにも考えられるけど?」
「確かにな。でも、そもそもの所、狂っている、狂っていないって誰が決めるんだ?」
「え?」
「例えばタヌキおじさんはどうして狂人だ?」
「どうしてって…………だって、ねえ?」
「まあ、千恵の気持ちはわかる。凄いわかる。自分で言ってなんだが、“タヌキおじさん”なんて呼び方は語弊を呼ぶ。生温い。狂気が伝わらない。が、タヌキからしてみれば、俺達よりもタヌキおじさんの方がまともだとは思わないか?」
「思わない」
「即答&断言をありがとう。だけど、もうちょっと寛大な心で考えてくれないか? 時速百キロで走り続ける鉄の塊を自在に操り、地球の裏側にいる人間と殆どタイムラグなく交信できて、いつでも冷たく冷えたコーラを飲める俺達は、タヌキからしてみたらチートも良い所の化物集団じゃあないか?」
「それは、まあ」
「その点、タヌキおじさんはタヌキにしてみれば理解できる。姿形は違うが、行動自体は似通っているからな」
「うーん。まあ、言いたいことはわかったかな?」
「だけど、観測者を人間に変更するとタヌキおじさんは途端に変人になる」
「ああ。なるほど。つまり、集団を外から観測する人の匙加減によって、狂気か否かは変わっちゃうってこと? ねえ、例えが悪過ぎない? もうちょっと馴染み易い例えはないの?」
「んー。じゃあ、宗教だな。俺達日本人からしてみれば、“神のために死ぬ”なんて有り得ないだろう?」
「そりゃそうだ」
「だけど、世の中にはそう言う集団もいる。昔々に誰かが考えた創作人物の為に命を投げ出せる集団。その信仰心を日本人は理解できない。はっきり言って、頭が狂っているとしか思えない」
「うん」
「だけど、神の為に死ねる人達は、自分が狂っているなんて絶対に思わない。彼等にとって神は確かに存在している。そもそも議論の余地がない事実として認識しているのかもな。そんな彼等からしてみれば、神を信じない俺達は狂っている。おぞましく、そして傲慢極まりない人間に見えるだろう」
「なるほど。タヌキおじさんの例えよりも随分わかりやすくなったかも。って言うか、ニーチェっぽいし、最初からこっちで良かったんじゃ?」
「いや、俺の愉快なおじさんも紹介したかったし」
「不要だ!」
「話を進めると、集団が持つ狂気って言うのは、外から観測して初めて気が付くものだ。例えばタヌキおじさんが大儲けしたバブルの時代も狂気の一つだ。誰もが無限に土地の価値が値上がりすると信じていた時代。振り返ってみれば、そんなわけがない愚かな熱狂に過ぎなかった」
「タヌキおじさんを話に絡めて来た、だと……?」
「一〇〇年前まで人権なんて考え方は存在しなかったし、過剰なまでに体重を気にする連中を俺は理解できないし、今時になって核開発で喜ぶ国家はどう考えても狂っている。世の中、狂っている」
「『世の中、狂っている』ってだけ聴くと、負け犬の遠吠えに聞こえるけどね」
「わかんねーぜ? 狂気の社会に真実なる個人の意志が負けただけかもしれない。よくあるだろう? 周囲の反対を押し切って、突飛なことをした人間が成功を収める物語。ナイチンゲールは当時の社会から見れば狂人だったが、現代からみればあの時代が狂っていたとしか言いようがない」
「ま、歴史なんて間違いなく狂気塗れだけど」
「だろ? 世の中は狂っている。でも、それは社会が悪いわけじゃあない。誰もが自分の正しさを持っていないからだ。自分の頭で考えることを諦めた個人は、集団の色に簡単に染まって疑問も持たずに一部となって生きていく。ニーチェは同じ意味のことを別の言葉でも語っている。【世界は不条理であり、生命は自立した倫理を持つべきだ】とな」
「この【世界】ってのは、【集団、党派、民族、時代】のことだよね? 【不条理】は【狂気】のマイナーチェンジって所?」
「だな。常々、思うんだよ」
「何を?」
「なんで俺が生まれる前から存在する、誰かが決めたことに従わないと駄目なんだって」
「世の中に叛逆し過ぎでしょ」
「これが覆せない物理的な法則なら諦めもつくぜ? 科学的な説明に何の意味もないけど、誰が決めたわけでもないって言う一点において、平等だ」
「その点、法律は誰かが恣意的に決めた物だから、不平等ってこと?」
「そう」
「利人、その考え方はヤバいよ。狂ってるよ。アナーキー過ぎるよ」
「【生命は自立した倫理を持つべきだ】つまり、人は社会から見て狂っているべきなんだよ。ナイチンゲールがそうであったように」
「【個人の狂気はかなり稀なものである】って言うのは、狂人が少ないことを残念がってる言葉なの!?」
「おう」
「じゃあ、利人は明日からタヌキ人間?」
「いや。それは勘弁して下さい」




