【一五五】【悲劇と官能】
【悲劇的なものへの感覚の鋭さは、官能が強くなると高まり、官能が弱くなると衰えるものだ。】
「一晩の過ちが人生を悲劇に変える…………そんな大人のアフォリズムかな?」
「現実的過ぎて嫌だわ、そんなアフォリズム」
「でも、現実的だからこそ、世の中の大人は是非、気を付けて欲しいよね。自分だけでなく、家族や相手の家族も不幸になるかもしれないし」
「千恵の人生に何があったんだよ!?」
「いや、私の学校、お金持ちが多いからさ、極稀にそう言う娘がいたりするんだよね。不貞の子っていうの? 或いは妾腹? 認知されているけど、他人みたいな?」
「どんな学校だよ! 修道院か何か!? 封建社会にでも生きてんの!? 闇が深ぇよ!」
「うーん。下々の者には馴染みがないかもね」
「何様!? が、まあ、もう、どうでもいいや。話を始めよう」
「【悲劇と官能】。官能って言うのは、要するにエロいことだよね?」
「正確には感覚器官全般を指すんだけどな。ただ、一般的に使われるように、ここでもエロいことであっている。ちょっと堅く言うと性的感覚だな」
「ってことは、『悲劇に対する感覚の鋭さは、エロい気分になると高まり、それどころじゃあないと衰える』ってこと? 逆じゃない? そう言う時こそ油断してそうだけど?」
「美人局とかな。美女で野郎を釣り出して詐欺にかける」
「そうそう。女性にうつつを抜かした結果、国が傾いちゃった国とかね。美人相手に油断して滅びの道を辿る逸話って多い気が…………あ、だから美人を見たら気を付けろって教訓なわけだね?」
「そんな親父の小言みたいな忠告が載った哲学書があって堪るかよ」
「えー。じゃあ、何? これ以上の解釈が存在するわけ?」
「存在するわけなんだな、これが。まず【悲劇的なもの】だ」
「…………なんだっけ? 最近聴いた覚えが――あ、アレだ『悲劇は英雄の為の物語』みたいなことを言ってたね」
「イエス。と、言うわけで、【悲劇的なもの】って言うのは“英雄”或いは“超人”を意味する言葉だと俺は解釈する」
「なるほど。つまり、これは“英雄と官能”について語っている、と」
「じゃあ、この【官能】はなんだろうか?」
「何だろうかって、性的な感覚のことでしょ?」
「いや、そうなんだけど、これも比喩なわけだよ」
「ああ。そう言うこと。でも、性欲が何の比喩なわけ?」
「性欲だけじゃあ、ちょっと足りないな。強弱についても考える必要がある」
「性欲の強弱?」
「官能って言うのは人間の感覚の一つだから、波が当然あるだろう?」
「まあね。動物だとわかりやすく発情期とかあるし。そう考えると、人間の官能って言うのは忙しそうだね」
「そうだな。良い着眼点だ。人間は文明の発達と共に、いつでも子育て可能な社会を手に入れた。逆に言えば年中発情期と言うわけだ」
「言い方! でもまあ、一年中赤ん坊は産まれてくるよね」
「統計で見ると、夏に産まれる子が多いみたいだけどな。それで年中発情期の人間だが、それを良しとしない思想が存在する。所謂“禁欲主義”って言われる連中だ。食欲に対する禁欲の断食もメジャーだが、一般的に禁欲と言ったら性的交渉を禁ずるものを想像すると思う」
「ま、そうかな。聖書にもあるしね。『汝、みだりに姦淫するな』だっけ?」
「モーセの十戒だな。千恵は十戒言えるかな?」
「いや、知らないよ」
「ま、そうだろうな。ただ、それでも知っている程度には、禁欲は有名なタブーだ」
「ちなみに、利人は言える?」
「一つ、主が唯一の神。二つ、偶像崇拝の禁止。三つ、みだりに神の名を口にするな。四つ、安息日は守れ。五つ、両親を大切に。六つ、人を殺すな。七つ、姦淫するな。八つ、盗むな。九つ、隣人に嘘を吐くな。十、隣人の財産を貪るな。だな」
「おお! 凄い! キリスト教嫌いなのに、どうして知っているわけ?」
「知らないモノを憎むのは馬鹿がやることだ。それに、敵を知らずにどう攻める?」
「なんか、アンチの方が詳しい理由を垣間見たよ」
「四つ目までは神との約束で、それ以降は人間同士の約束で、刑法の基準となっている」
「ふーん。でも、間違ったことは言ってないよね?」
「原始的だが、守らなければならないモノだろうな」
「じゃあ、利人は何で姦淫がどうのこうの言ってるわけ?」
「ニーチェはこの禁欲にもの申したかったんだ」
「え、なんで? そんなんだからモテないんじゃあないの?」
「殺人。窃盗。虚偽。まあ、多少の例外はあるが、社会の存続には不要だ。が、姦淫は違う。社会と言うシステムを維持する以上、子供を作るのは必須事項だ」
「そりゃ、そうだけど。でも、強姦とかは不味いでしょ?」
「当たり前だ。でも、自慰は悪いことか? 宗教によっては固く禁じられている」
「うーん。まあ、固く禁じる程に悪じゃあないかな?」
「最初に不倫は駄目、なんて話をしたが、小人数の狩猟民族では家族って言う概念すらないこともあるからな。特定の男女の関係はなく、誰の腹から産まれてこようと、皆の子供ってわけだ。母親はハッキリとするが、父親は部族の中の誰かで、全ての男が全ての子供と女の為に狩りをする。こう言う社会の場合、家系は女性が中心になることが多いな。父親の血が誰のかわからんから当然だが」
「ほへー。文化がちがーう」
「子作りはどんな文化でも絶対に必要な社会の礎だ。これを禁忌にするって言うのはおかしい。性的な禁欲って言うのは、明らかに反社会行為だし、自然じゃあない。性的欲求が下卑て矮小で悪であると言うなら、俺達は悪い行いの結果の存在なのか?」
「うーむ」
「で、話が戻って来ると、【官能が弱くなる】って言うは、宗教的な過剰な禁欲を指すと俺は考えるわけだ」
「そこまでは、まあ、わかったかも。なんとかってチンパンジーとか性に人間以上にオープンだけど、人間よりは同種で殺し合いとかしないだろうし」
「ボノボだっけか? 雌同士で挨拶代わりに性器擦り合わせたりするらしいな、あいつら」
「うーん。文化がちがーう。それで? その禁欲がどう、英雄と関係するわけ?」
「過剰な禁欲は、生きるために当たり前の行為を後ろめたいモノに変えた。生きることに対して否定的とも言えるこの戒律に疑問を抱いた結果、ニーチェはちょくちょくこの行為の罪深さを語っている。そして、ニーチェの言う英雄“超人”は全ての肯定者だ。幸も不幸も清も濁も併せのんで人生を肯定すること、それが真に生きると言うことであるわけだ」
「タブーなんて言うのは、もっての外なわけか」
「そう。自ら生命の当たり前の要求を押し殺していては超人になれるわけがない。ってなわけで、【悲劇と官能】は英雄を巡る話しであったわけだ。勿論、社会で生きる以上、超人ではない俺達は最低限のルールを守る必要があるけどな」
「うーん。超人って誰がなれるわけ?」
「話をそこまで大きくしなくても、一般常識を疑い、禁忌を恐れないことが柔軟な発想の基礎だからな。俺達パンピーならその程度の認識から始めるのがいんじゃあないか?」
「まあ、実生活で役に立つ程度に収めるとそんな感じの教訓かぁ」
「地上最強の生物だったら『禁欲の果てにたどり着く境地など 高が知れたものッッ』って啖呵を切れるんだけどな」
「あれ、勇次郎がバキに珍しく教えを説きに来た良いシーンっぽいけど、どうしても状況が状況だし話しに集中できないよね。油断すると笑いそうになるよ」
「もう、存在がギャグだからな。あの地上最強は。っと話が逸れたな。じゃあ、今回のアフォリズムを纏めると、こうだ。『強くなりたくば喰らえ!!!』」
「バキネタで締めるの!?」




