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【ニーチェ】利人と千恵が『善悪の彼岸』を読むようです。【哲学】  作者: 安藤ナツ


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【一五三】【愛と道徳】

【愛によってなされたことは、常に善悪の彼岸にある。】




「なんて言うか、シンプルで詩的で格好良いアフォリズムだね」

「愛とは善と悪を超えた物であるわけだ。説明はこの位でいいかな?」

「いや、まあ、説明するのも野暮なくらいに思うけど、もうちょっと説明しようよ」

「そうか。じゃあ、まず、大抵の【愛】は善悪の彼岸にはない」

「いきなり全否定?」

「仏教になるが、誰かを愛したいだとか、愛されたいだとか、そう言った考えは全て“渇愛”“煩悩”“欲望”に過ぎない。それは肉体的、精神的な快楽を求める“欲愛”なわけだな。そこに利己的な思想が絡む」

「厳しい物言いだけど、言いたいことはわかるかな。結局、自分のプラスにならいことを人間はしないわけだし。で、プラスに働くことは善で、マイナスに傾く行為は悪なわけだよね」

「そうそう。愛とは打算的だ」

「そこだけ聴くと、利人が女性関係で失敗しているみたいなんですけど……」

「…………」

「なんで無言!? どう言う無言なの!? それ!」

「対して慈愛と言う言葉がある。キリスト教だろうと、仏教だろうと、大切なのはこっちの愛だ」

「『慈愛』ね。聴いたことはあるかも。書いてって言われると、咄嗟にかけないよね、この『慈しむ』って感じ。」

「ちなみに、愛でも『いつくしむ』って読むんだけどな。つまり極めて近い性質を持つ二つの言葉がくっつているってことだな。京都府みたいに」

「何でそこの例えが京都府? 『京』も『都』も『府』も確かに似たような意味だけど! 重複しまくっているけど! もっと良い例なかったの?」

「平和と平等、戦争に競争、多大とか削除とか? あとは、土地とか画像も似たような意味の漢字が続いているな。そうすることによって意味を強調しているんだろうな」

「それだけ例を上げられるのにどうして京都を選んだのよ……行きたいの?」

「いや、ぱっと頭に浮かんだのが京都だったんだよ。って言うか、漢字の話はそれほど重要じゃあないな。慈愛だ、慈愛。慈愛って言うのは、子供に対して親が送る愛情って譬えられる場合が多いな」

「子供に対する愛情には、善も悪もないの? なんか、それはそれで、ちょっと神聖視し過ぎな気もするんだけど」

「まあ、昔の子育ては今よりも難しいからな。簡単に赤ん坊は死ぬ。慎重に育てたからと言って、必ず報われるは限らない。かと言って、手を抜けば間違いなく長生きは出来ないだろう。自分の行動も制限されるし、家庭には負担が大きくなる。将来の働き手の為だからとか、そう言った損得だけで育てるにはあまりにも大変だ」

「それもそうか。それに自分の子供の為に自分を犠牲にする母親の話とか枚挙に暇がないもんね」

「からくりサーカスだと、母親アンジェリーナは強かったし、ただの人形だったフランシーヌですら自分の身よりも赤ん坊のエレオノールの生存を選んだしな。あれが愛でなくてなんだろうか!」

「そんなに熱弁しなくても」

「まあ、この例えだと自己犠牲っぽいイメージになっちゃったけど、仏教っぽく“無我”とでも言うべきかもな。自己を捨てて世界と向き合う姿勢。ある意味でニーチェの超人と似たりよったりの境地と言っても過言じゃあないだろう」

「つまり、愛とは無私であるべきだと?」

「そう言うことだな。善も悪もない、それ故に尊くて貴重な心の在り方。それが愛だ」

「なるなる」

「じゃあ“性善説”はどうなるの?」

「って言うと?」

「このアフォリズムを否定するつもりはないどさ、ちょっと矛盾って言うか帳尻が合わないと言うか、そんな気がするんだよね。井戸に落ちる子供がいたら、自分と関係ない子供でも助けようとするから、人間は生まれながら善性であるって考えだよね? それを利人はどう思うわけ? この行為はまさしくその“慈愛”だと思うけど、善性と言われているでしょ? 善性は善悪の彼岸の物じゃあないよね?」

「うーん。別に俺は矛盾を感じないかな」

「へー。それはどして?」

「善の意味合いが違うし、そもそも性善説を勘違いしていないか? 子供を助けたことは善行であるけど、例えばその子供が井戸に毒を投げ込んでいたとしたらどうする? 或いは、十年後に自分の親を殺す人間に育つかもしれない」

「それは…………助けたことを後悔するかな?」

「かもな。でも、俺は千恵が子供を助けた行為そのものを責めはしない。自分の心に従って人を助けたことは正解とか不正解とは関係ない。千恵は一々難しいことを考えて人を助けはしないだろう? それはそれ、これはこれの精神だ」

「えぇ」

「そもそも性善説の人間なら『人を助けることに理由が必要なのか』と答えるだろうしな。善悪の頓着なんて最初から彼等にはない。性善説と謳っているが、その思想は既に彼岸にあると言えるだろう。これも無我と言えば無我だし、彼岸を善と呼んでいるとも取れる。結果としての善や損得としての善、似た意味の漢字を重ねる単語もあるが、同じ漢字でも示す物が違う時もある。この辺がややこしく、難しい。哲学書の文章が難解になるのも、そう言った勘違いを起こさない為だ」

「勘違いを起こさない処置のせいで、文章を理解できなくなったら意味ないと思うんですけど?」

「そんなことを俺に言われても困る」

「それもそうか。あ、そう言えばさ“性悪説”の人の場合は井戸に落ちそうな子供をどうするの?」

「助けるだろうな」

「助けるの? 悪なのに?」

「勘違いされることが多いが、性悪説って言うのは『人間は生まれながら悪で、為すことは偽りである』って言う思想だぞ。何故、人は人を助けるのか? それに対して『理由はない。それが人だから』と彼岸な答えが“性善説”で、『ここで見捨てると後が面倒とか』『良い人に見られたい』って言う、ある種の俗な考えが“性悪説”だ。人のさがは所詮贋物だが、教育次第で善に見せることもできるから、学問は重要なんだって言う考え方に発展していくわけだな」

「そこで勉強に結びつけるのかぁー。『学問のすすめ』と一緒だね」

「そう言うこと。ま、性悪説って言うのは、悪人だから仕方ないって諦めの境地じゃあなくて、だからこそ善人でならなくてはいけないって言う説なんだよ」

「となると、性悪説は善になりたいって言う欲がある愛なわけだね」

「ああ。でも人間らしいと言えば人間らしい欲求だけどな。無我だの彼岸だのって言うのはあくまでも到達点としての目的地と言うか、仙人やら超人やらの一線を超えた存在の思想だしな。誰かに愛されたいと思うことは欲でしかないが、このアフォリズムで考えれば、その愛は善でも悪でもあるわけだから、やっぱり単純に否定するのも違うと俺は考えるな」

「まあ、そりゃそうか。誰にでも自分の子供のように愛することができる人がいたら、それはそれでヤベー奴な気もするし」

「まあな。俗物な俺達のすることは渇愛だし、偽善的な行為に過ぎない。だけど、人間なんてそんなもんだ。欲塗れの愛が誰かを救うことだってあるだろうし、元々がしょうもない悪人なんだから為すことが偽善なのは当然。嫌気がするかもしれないが、それでも『もう一度』と繰り返すことが彼岸への一歩ってとこだろうな」

「なるほどね。じゃあさ、利人は最近何か良いことした? 慈愛の心で、無我の境地で、善悪とも損得とも関係なくさ」

「…………蜘蛛を逃がした?」

「なんか、地獄に落ちた時の保険みたいな愛だね」

「うるせえよ。そう言う千恵はどうなんだよ」

「今、正にだね」

「あ?」

「こうやって付き合ってあげてるじゃん」

「そんな上から目線の慈愛の精神が存在してたまるかっ!」


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