はじめに
はじめまして。安藤ナツと申します。
まずは、この作品を選んで頂いたことに感謝を。
そして次に、この作品を読むに当たって幾つかの注意事項とその解説を行いたいと思います。
今作は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche、一八四四年一〇月一五日~一九〇〇年八月二十五日)著『善悪の彼岸』(ドイツ語原題:Jenseits von Gut und Böse、1886年。例外を除き、光文社古典新訳文庫様より出版された訳:中山元様の物を使用します。【】は引用文となっております)の第四篇について、青年『自由ヶ丘利人』と少女『二階堂千恵』が話しあう会話劇となっております。
ニーチェはドイツの哲学者であり、皆様も名前くらいは聴いたことがあるかもしれません。数年前に彼の言葉を集めた書籍が販売されたことで、知っている人も多いでしょう。
仮にニーチェを知らなくても、【神は死んだ】【超人】【遠近法】【力への意志】【怪物と戦う物は自らも怪物にならないように気を付けなくてはならない。深淵を覗く時、深淵もまた貴方を覗いているのだ】等のフレーズに覚えがあるかもしれません。
そして、「難しそうだなあ」と言う印象を受けたかもしれません。
そんな貴方は勘が良いです。その通り、難解です。そもそも哲学と言うだけで、堅苦しくて敷居が高いイメージがあります。この作品は、決してそのイメージを覆すものではありません。ようするに、善悪の彼岸を解説する物ではないです。
安藤ナツ自身が、完全にニーチェを理解などしていません。勿論、ニーチェの書籍は何度も読みましたし(全て日本語訳ですが)、関連する書籍も読んでおります。が、専門的に勉強したわけでもなく、恐らくは十分の一も理解できていないでしょう。
「自分がわからないものを書くな」とお怒りの声ももっともですが、「わからない」と言うのは知的好奇心を擽る最高の餌でしょう。つまり、この作品は安藤ナツ自身の満足の為に書かれる作品であるわけです。
ならば普通にエッセイや解説として書けば良いのに、どうしてわざわざ会話劇にするのかと言えば、わかりやすさの為です。
一人で考えても解釈が及ばないのであれば、自分の中に利人と千恵と言う二人の見方を作り、複数の視点から読み解こうと言う魂胆です。安藤ナツにとっても、読者にとっても、わかりやすさと言うのは絶対に必要でしょう。
そしてもう一つ、キャラクターが物語るのは、やはり物語だと言うことです。
先にも描いた通り、安藤ナツは別にニーチェを専攻する研究家でも何でもありません。間違ったことも言うだろうし、勘違いをしていることばかりです。玄人の方から見たら失笑物かもしれません。また、ニーチェを知らない人がみたら、安藤ナツの考えが真実だと思い込んでしまう可能性もあります。
なので、あくまでも架空の人物二人の会話にすることにより、フィクションであると言う前提を主張したいのです。あくまでも、物語上の演出の一つであり、学術的な解説ではないことを理解してもらえれば幸いです。
又、『神は死んだ』のフレーズからもわかるように、ニーチェの著書には過激な物も多く、気分を害する方もいるかもしれません。が、例え現代の常識と合わない表現があったとしても、引用文に修正を加えるようなことはしないのでご了承ください。
前置きと言うか、駄文の言い訳と言うか、長々と失礼いたしました。
次話が第一話となります。