潜っていく フォーカス1
僕はレーであって、レーはアバターだ。アバターは夢の中で、夢だから現実じゃない。
よし、問題はない。
現実は小説よりも奇だったり、そんな感じの話があるようにとても奇妙なことだ。いや、実際は夢の中なのだから現実とは言いがたい。何にしても、なぜか記憶がなくレーとしてここに居るしか無いと言うことだ。
僕は僕だ、とても常識で当たり前の事。まあ、此処は夢の中なのだから関係ないとも言えなくもない。
「集合的無意識まで降りておいで」
レー(自分)と瓜二つのレー(シャドウ)はそう言っていた。反対の自分、相反する自分自身はどうすればいいのかわからない。
何もない、ただ何もない真っ白な空間に異質なものが1つだけポツンと中央に。いや、中央にというのは語弊がある。それは何もないのだから中央と呼ばれるものがあってはならない。更に言うなれば、レーと呼ばれるものもあってはならない。ここは内部であって、内部に外部が入り込める訳は無いのだから。自分ではなかった、なら良いのかな
何にしても、そのポツンと存在しているものはベッドのようだ。ここが入口、内部の内部への入口。ここにいても何もない。しかし、自己の中に自我ということは、自我を客観に感じると言うことは、つまりは視点がレーの視点であってはならないはず、更に言うなら二重の視点となるべきなのだ。今更とやかく言うのは無意味か、フロイトが言うにはこれは欲望なのだから、こんな無意味に何もないのならなんともつまらないものだろうか。
少なくともあの人を信じてはいないのだから引っ張り出すのも意味無いか。
もし本物なら止めてくれよ、スーパーエゴは飾りかい。イドもウヤムヤ好奇心は猫をも殺す
ここでロールシャッハテストをしたら答えるだろう、そんなん無意味だとね。凄く有効な心理テストだとしてもこんなところではね。ここがそのもの絵が結局無意味と同じ
次へ継ぎへツギヘ。見てみたかったんだ。集合的無意識ってやつを