幽霊部員との遭遇
探していた人物が向こうからやってくると、逆に戸惑うものらしい。
ききたいことは幾つもあるはずだか、今は驚きのほうが勝ってしまっていて、なにから言ったものやら、と灯輝は首をかしげた。
というか、なんだか納得がいかない。
凛子から、補足の説明が入る。
「仙家正文。文芸部所属の二年生。人呼んで部活一やる気のある幽霊部員。というか」
少し考えてから続ける。
「というか、本当に幽霊だ」
「嫌だなあ、幽霊なんて人聞きの悪い」
向こう側が透けている仙家が、苦笑して手を振った。その手は乱れた映像のように一瞬揺らいで、そして元に戻った。
幽霊じゃん。と言葉に出さず突っ込む。
それから、閃いた。実体がない。凛子が存在を認知している。ということは。
灯輝は確認のため、凛子に問いかけた。
「つまり仙家さんは、さっきのコウモリと同じような存在なんですか?」
「うむ」
幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。ではないが。
近寄って見てみれば、ああなるほど、と落胆にも似た安堵感があるものだ。
改めて、凛子のデタラメさを目の当たりにした。その妙な安堵感に、脱力して膝から崩れ落ちそうになる。
追い討ちをかけるように、凛子からの説明は続いた。
「仙家も、元はわたしの力といろんな思念が寄り集まってできたものだ。
ただ、先ほどのコウモリとは違って、人格や外見まで、細部にわたって実体化しているからな、完成度はさっきの影だけのやつとは比べ物にならんぞ」
「おや。なんか褒められてますね」
照れ笑いする仙家の姿は、確かにやたらと人間臭かった。
ゆらゆら歪んでもいたが。
なるほど、と思う。道理で、生き生きと原稿を書いている割には一向に姿を見せないわけである。これだけ姿が不安定だと、継続して人前には出られないだろう。白昼の幽霊は大騒ぎになることうけあいだ。
……あれ、原稿?
ふと疑問が浮かび、まさかと思いつつも灯輝は凛子に訊いた。
「あの、お凛様。もしかして、成り立ちを知っていながら、彼を消さない理由って」
「そんなの決まっているだろう。原稿を書いてくれるからだ」
「……」
もはや突っ込む気にもなれなかった。
本家の当主様は、部活動に大変熱心でいらっしゃる。
「原稿を書いてくれるなら、文芸部は老若男女、幽霊でも妖怪でも大歓迎だぞ」
沙織と同じ事を言う。頭を抱えたい気持ちを抑えて、灯輝は仙家に話しかけた。
「はじめまして仙家さん、僕は」
「雪野灯輝さん、ですね」
「――?」
間髪入れず仙家から返されて、灯輝はなぜ自分の名前を知っているのかと怪訝な顔をした。
仙家がゆらゆらと手を振って答える。
「僕はこの学校の生徒たちの集まりみたいなものですからね。名前と顔くらいなら、みんな知ってます」
「ああ、なるほど……」
いわば、全校生徒の名簿を持っているようなものだ。知らない人が自分のことを知っているというのも妙な気分だが、そうとなれば話は早い。沙織の話をする。
「仙家さん、あなたが人前に出てこられない理由はわかりました。その姿では、なかなか人前には出てこられないでしょう。
ただ、あなたのことを探している人がいるんです。あなたと同じ、文芸部の西塚沙織さんです」
「西塚さんが、ぼくを、探している?」
「はい。僕はなにかと相談は受けていまして。まさか、こういうことになっているとは想像もつきませんでしたが……」
「……」
仙家が額に手を当てて、何か考え始めた。
続ける。
「なぜかはわからないのですが、それでも結構真剣に、あなたのことを調べています」
なぜだろう。
灯輝がしゃべるごとに、仙家の眉間に皺が寄っていく。
雰囲気が変わったことに違和感を感じつつも、灯輝は続ける。
「……それで、あなたも正体を探られるのは都合が悪いかと思います。なので、西塚さんには申し訳ないですが、適当に誤魔化すかしてくれれば――」
「滑稽ですね」
額から手をどけて、仙家が言った。その顔は明らかに不愉快そうで、灯輝を目を細めて睨みつけている。
「え?」
なにか、怒らせるようなことを言っただろうか。そう戸惑っていると、仙家は笑った。ただ、今までの笑い方とは違う。滑稽だと言った意味そのままに、皮肉げな冷たい笑い方をした。
意図が掴めないままでいると、仙家は言い捨てるように、言葉を投げつけてきた。
「あなたもです。他人事のようにしていますが、いずれ自分に事が及ぶかもしれませんよ」
「……なん、ですか?」
志向性のある不穏な空気を感じて、灯輝はたじろいだ。初対面の人間に――幽霊だとしても、いや幽霊だからこそ、悪意を向けられるのはぞっとしない。
和解を探る質問は、とりつく島もなく突っぱねられた。
「わからないなら、それでもかまいません」
こちらに向けられた仙家の眼差しは、それ以上の問いを拒絶するように、鋭く、冷え冷えとしていた。
意味もわからず責められるというのは、人間にはかなりの消耗になる。
それを知らないのだろうか、この幽霊は。いや、知っていてやっているのか。後者なら本物だと、灯輝は思った。
仙家はしばらく灯輝を睨んでいたが、くるりと背を向けると、すたすたと校舎に向かって歩き出した。
「じゃあそういうことで。締切も近いので、ぼくはパソコン室で原稿を書くことにします。
天野先輩、みなさんによろしく」
「ああ」
「それから、雪野さん」
校舎に入る玄関口で、仙家は首だけ振り向いた。
口元には微笑が浮かんでいたが、目はまるで笑っていなかった。
「なにかの機会があれば、また」
「……」
雪野の冷気とはまた別種の冷たさに当てられて、灯輝は沈黙した。
そして、もとより応えなど期待していなかったのだろう。仙家はそのまま、校舎の闇へと姿を消した。
それを見届けて、ようやく灯輝が口を開く。
「僕は、なにか彼を怒らせるようなことをしましたか……?」
「さあな」
素っ気無い凛子の返事。こちらも、もとよりまともな応えなど期待していなかったが。
(西塚の話をしたあたりから、急に態度が変わったような……なんだろう?)
そして仙家は、灯輝も無関係ではない、と言った。
つまり沙織が仙家を探すことが、自分と無関係ではない、ということだ。
しかし、灯輝はこれまで、仙家に関わった覚えがない。
それこそ部誌で名前を知っていた程度で、沙織が言い出すまでは何の縁もなかったはずだ。出会う前に嫌われるなんてことがない限り、話がおかしくなってしまう。
(誤解か? 僕が覚えていないだけで、前に会っているのか?)
心当たりがない。可能性を幾つか考えてみるものの、学校の幽霊なんて、忘れるはずはない。この思いつきは却下だ。
そうすると、話がスタート地点に戻ってくる。時間軸がおかしい。
ヒントが足りない、と灯輝は思った。
沙織が言っていたことを思い出す。彼女は言っていた。そう、情報が足りないときは集めればいい。
今ここで考えても結論が出ないと判断した灯輝は、とりあえずこの問題は棚に上げることにした。沙織の調査と共に、情報が入ってきたらまた考えることにする。
そう、今はそれよりも差し迫った問題があるのだ。
どちらかというとこちらのほうが重要だ。つまり。
「僕は西塚に、このことをどう言ったらいいんだ?」
「そのことなんだがな」
ずい、と凛子が近寄ってきた。
思わず一歩引いてしまう。そんな灯輝を逃がさないとばかりに、彼女はさも当然のような様子で言ってきた。
「おまえに一任しようと思う」
「は? 今なんと?」
「仙家の件だ。西塚が探しているとは初耳だった。ちょうどよい、仙家と西塚のことは、おまえに任せようと思う」
「ちょ、なんですかそれ――」
「わたしが出て行っては、おまえのためにはならんからなあ」
「自分が楽したいだけ――ぐぎゃ!?」
木刀で殴られた。頬に手を当てて凛子はうむ、とうなずいて。
「なんだかぐだぐだ聞こえたが、静かになったな。よし灯輝、よく聞け。今、仙家はおまえも無関係ではない、と言ったな。それは一体どういうことなのか、背景を探れ。これはなかなかいい経験になりそうだ。ついでに西塚のことも任せる」
「……」
ついでに任されたことが大きすぎる。
痛くて声が出なかったので、灯輝は首を縦に振った。横に振ったら、次は息もできなくなりそうなくらい殴られると確信したからだ。