表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/19

白い闇に突き進む

 改めて観察する。

 巨大なコウモリは、実物のコウモリではなく靄の集合体だった。目も口もなく、ただ黒い影となって浮かんでいる。

 輪郭は曖昧で、靄が分解したり合体したりを繰り返していた。

 どう攻撃したらいいか迷うところだが。

 さて。と灯輝は仮説を立ててみた。


(だいたいこういうものは、身体のどこかに核があるもんだよな)


 検証のため灯輝はまず、クナイを一本、コウモリの中心に放ってみた。

 狙いたがわず中心に、クナイは当たった。

 ……ようだった。

 特になんの変化もなかった。

 ならば、と灯輝は数百ほどの氷のクナイを作り出し、全体を貫くつもりで放った。

 核だろうが末端だろうが関係ない。

 どこにあろうが、全部まとめて貫き通す。

 しかしそれを許すほど相手も悠長にしているはずもなかった。巨大コウモリは分裂すると、小さなコウモリになり、クナイはその間をすり抜けていく。

 そしてそのまま、小さな影は上空から滝のようになって襲い掛かってきた。

 半ば予想していたので、さきほどと同じように氷の壁を作って防ぐ。落下の勢いで壁にぶつかったコウモリは凍り付いて、砕けて散った。

 黒い大群は地上で身を翻し、上空に舞い上がって巨大コウモリに戻った。

 確認する。幾分か最初より小さくなったようにも見える。

 数は減らせたか、と思った瞬間。

 左腕に鋭い痛みが走った。

 慌てて見ると、そこには小さなコウモリが噛み付き、流れ出た血を啜っていた。


(ぐっ―――!)


 攻撃を仕掛けて振りほどこうとするより早く、そのコウモリは素早く離れて巨大コウモリに戻った。

 傷口を押さえる。まんまとやられた形だ。


「やってくれるじゃないか……」


 ずきん、ずきん、と鼓動のたびに、傷口が痛みを訴える。

 その痛みに刺激されて、灯輝の中で久しく遠ざかっていた感覚が、甦ってきた。

 吹雪のように鋭い寒さに、歩くだけで命を削られる、痛みを。

 肌馴染みのある感覚だ。しっくりきていて、逆に心地よくすらある。

 気が付けば口元に、不敵な笑みが浮かんでいた。

 そう、元々自分は『こっち側』だ。

 所属を離れるなんてどうかしている。

 嬉々としてそれを受け入れ、それから読みの甘い自分に腹を立てた。

 おめおめと傷を負うような、力どころか判断まで鈍くなった忍びなど、鈍ら同然だ。やはり最近、自分は弛んでいる。

 温かい暖炉の炎にあたって、ぬくぬくと、何をやっているんだ。

 そんなものに惹かれるから、こうやって弱さを晒す。


「灯輝」


 座禅なら渇を入れるタイミングで、凛子から声がかかった。今更心配しているわけでもないだろう。その証拠に、怪我人にも容赦なく警策を打ち込んでくる。


「温いぞ。集中しろ」


 心配されるよりも予想だにしなかった、信じられないことを言われた。


「―――温い?」


 驚きと。

 それを上回る可笑しさが、胸のうちからせり上がってきた。

 堪えきれず笑いが漏れた。あまりの可笑しさに肩が震える。

 笑う。

 嗤う。

 嘲笑う。


「それはまた」


 傷口を凍らせて止血する。血を凍らせる。

 心を凍らせる。


「雪野に対する侮辱も、甚だしい」


 歪んだ口元から、表情を拭う。

 漂白するが如きの不自然さで、灯輝は意識を真っ白に塗り潰した。

 傷を負わされた悔しさ。凛子に対する憤り。

 先程まであんなに可笑しかったものも、全部埋めてしまえば無かったことのように真っ白い平坦な、乾いた大地に。

 熱くならない。むしろ冷やす。

 感情が邪魔だ。

 平穏の邪魔だ。

 安定しない揺れ幅に心を惑わされるな。

 ぬくもりなんて幻覚に心を迷わせるな。

 深々と降る雪のように。

 愛もぬくもりも関係なく。

 全部真っ白く埋め尽くせ。

 目の前全部を、凍らせろ。


「―――……」


 だらりと、身体の力が抜ける。視界から色が消えた。

 魂が抜けるように漏れ出た吐息は、当然のように真っ白だった。

 灯輝の周囲が凍り始めた。空気中の水分が凍り、月明かりを受けてきらきらと輝きだす。

 コウモリを見上げる。眼が動かないので、人形めいた動きで首だけ傾けた。

 静かな夜に、乾いた音が響く。


 ぴしり


 コウモリが動揺したように、翼をはためかせた。

 さらに、ぴし、ぴし、と音が続く。

 末端から徐々に、黒い翼が白く凍り始めていた。異音はそこから生じている。


「―――ッ!!!」


 コウモリが冷気を振り払うように一声鳴いた。

 通常なら耳が壊れるほどの音量の中、灯輝は何事も無いようにそこに佇んでいる。

 超音波のそれを雪のように吸い込んで、雪像のように不動のまま、力を行使し続ける。

 意に介さない。

 受ける意が無い。

 意味が無い。

 やがて、雪が降り始めた。

 雪はコウモリに降り注ぎ、その凍結を加速度的に早めていく。

 コウモリは苦しみもがき、半ば白くなった身体を急降下させて、灯輝へと襲い掛かった。

 人一人など軽く飲み込まれる、巨大な顎が開かれ、灯輝はひと飲みにされた。

 だが、止まらない。その中での存在を主張するかのように白い面積は増え続け、ほどなくコウモリの全身が凍りついた。

 動くものが何も無くなって。

 完全なる沈黙に支配される。

 永遠に続くように思われたその静寂はしかし、コウモリから響いた音によって破られた。

 ぱきん、と折れる音。

 凍りついた翼に亀裂が走った。

 一度始まってしまえば、それは間断なく連続して鳴り響いて。

 乾いた雪原に、大した意味も無く終わる。

 コウモリの全体が崩れた。

 がらがらと瓦礫のように闇が崩れ去る中で、灯輝は飲み込まれたときの姿勢のまま、ただ虚ろに空を見上げていた。

 雪は止む気配もなく、深々と降り続ける。

 雪に触れた黒い破片ははやがて霧になった。そして風に吹かれて散っていった。

 後にはただ、動かない灯輝だけが残る。

 雪が積もり始めた。景色が薄く、白化粧されていく。


「ふむ」


 凛子がうなずいた。勝負はついた。声をかける。


「おい、灯輝」


 しかし灯輝からは、なんの反応もなかった。

 勝利の喜びも、終わったという安堵の息も無く、ただただ無反応にそこに突っ立ったままだ。

 瞳の焦点ははるか遠くで、まばたきすらしていなかった。

 精巧な人形のようだった。生きている気配が無い。

 雪が止む気配もない。

 凛子はため息をつき、灯輝のもとに寄った。

 力を使って火を起こすと、灯輝のマフラーに押し付ける。


「……って、熱ぅッ!?」


 灯輝が熱気で正気に戻る。そして自分が燃やされていることに気づき、必死に消火活動を始めた。

 マフラーを地面に叩きつけ、足で踏む。実は気に入っていた白いマフラーだったが、焦げと足跡でなんだか無残なことになってしまった。

 とりあえず、火は収まった。悲しい気持ちで焦げたマフラーを見つめていると、放火の犯人からお褒めの言葉をいただいた。


「灯輝、見せてもらったぞ、よくやった」

「よくやった人間にする仕打ちですか、これが……」

「まあ、少々やりすぎたからな」


 凛子が周囲を見渡す。四月だというのに、学校にはうっすらと雪が積もっていた。う、と言葉に詰まる。


「……朝には溶けますよ」

「だといいな」


 凛子が肩をすくめる。さすがにばつが悪い。

 塩でも撒いて除雪しようかと考えていると、凛子に痛いところを突かれた。


「灯輝、おまえはああなると自力では戻れんのか」

「……はい」


 渋々と認める。ここは自分の修行が足りないせいだ。

 てっきり怒られるかと思いきや、本家の当主は真顔で冗談を飛ばしてきた。


「そうか。私はさしずめ、凍ったカイの心を溶かすゲルダだな」

「ゲルダはカイを火達磨にしようとはしない……」


 アンデルセン童話、『雪の女王』である。

 少年の凍った心を溶かそうと健気に奮闘する、少女の話だ。保障するが断じて、じゃあ燃やしちまえばいいんじゃね? とか、そんな殺伐とした話ではない。


「ゲルダはカイを想う熱い涙で、カイを正気に戻したはずだ……」

「まあその役割は私ではないな」

「そうですね」

「うん、なんだか今微妙に失礼なことを言われた気がするな」

「気のせいです」


 そろそろこの掛け合いにも慣れつつある。

 しかし怪我もしていることだし、もうそろそろお暇したいです、と灯輝が思ったとき、学校の中に誰かがいることに気がついた。

 凛子もそちらを見やる。全く驚かない様子から、彼女はこうなると既にわかっていたようだ。

 むしろ、この女王にはわからないことなんてないんじゃないか、とうんざりした気持ちになった。


「灯輝、来たぞ。あれが先ほど言っていた、おもしろいものだ」


 人影が、外に出てきた。

 この学校の制服を着た、男子生徒だった。

 顔の造作は整っていて、爽やか系イケメンだなあ、と灯輝は反射的に思った。印象に残りそうな気がするが、少なくとも灯輝が知っている顔ではない。

 楽しそうに浮かべた笑顔の中に、強い意志を感じる眼差しがある。

 だがなんとなく存在感が薄い。というか、物理的に薄くて向こう側が透けて見える。


「紹介しよう。彼が」

「先輩、大丈夫です。自分で名乗りますから」


 男子生徒は凛子に手を振ると、自ら名乗りを上げた。

 はっきりと。存在を主張するように。


「こんばんは。ぼくの名前は、仙家正文といいます」

「は?」


 灯輝の目が点になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ