建前と本音
文芸部の部室は、雑多としていた。
テーブルとイス。棚に本が多くあるのは、活動上当たり前のことだろうが。
なぜかトランプにオセロ、ウノに将棋にけん玉まで置いてあった。
彼女から、文芸部はそういうところだと聞いているので、大して驚きはしなかったが。
(……西塚は、ここで、これで遊んでるのかな)
この光景に思わず、灯輝はそんなことを考えた。
だが今ここにいるのは、天野凛子。トランプで楽しく遊べる相手ではない。
灯輝は、一瞬崩れた心の沈黙を立て直した。
凛子は窓の近くの、自分の指定席に座る。
灯輝もテーブルを挟んで、凛子の正面に座った。
「さて、どこから話したものか」
凛子は中空を見つめ、やがて戻して灯輝を見た。
「天野の力とは、どういうものか知っているな」
「はい」
天野の力は世界を作り変える。
部分的に、あるいは、地域的に。
天に住む神のように。
自分の認識を、意志の力によって強引に反映させ、今までの世界を自分の望む形に変えていく、そんな力だ。
雪野の力はそれの一端を受け継いでいるのにすぎない。
「すさまじい、デタラメな力です」
「だな。自分でもそう思うよ」
例えば、インクのないボールペン。
それも凛子がこれは書ける、と思えばそれは書けるようになるのである。
意志の力というのは世界を変える。
そんな夢物語を実現したのが、天野一族なのである。
「その意志の力というのが、今回の肝でな」
凛子は軽い口調で、続けた。
「私の力の余波が妙な風に作用してな、学校に変なものが出てくるようになった」
「……は?」
「意志を具現化する力が、学校に漂っていた思念もついでに具現化するようになった」
あれ、なんだか話が予想外の方向に向かったぞ、と灯輝は思った。
「それって……」
「放っておくとなにをするかわからんのでな。元はと言えば私が撒いた種であるので、こうして退治に来たわけだ」
ええと。あれ?
灯輝は得られた情報を整理した。
「つまりあのコウモリは、お凛様が作ったものであると?」
「間接的にとはいえ、そうだな」
学校というのはとかく、いろいろな思念が渦巻くところだからな、と凛子は言った。
「最近忙しくてなあ。退治に行こう行こうとは思いつつ、来られなかった。そうしたら、ちょっとばかしでっかくなりすぎてしまった。学校にはまだあのコウモリがうようよしている」
「帰ります」
がたん、と灯輝は席を立った。急いで部屋から出ようとするも、凛子にマフラーの端を掴まれる。
「なにを言うんだ灯輝、ここまで聞いたからにはおまえにも手伝ってもらうぞおおお」
「僕なんかとは比べ物にならない、当代最強の天野家当主がなにを言ってるんですかああああ」
ぐぎぎぎぎぎ、とマフラーが千切れそうになるくらい引っ張り合いをしながら、身内同士で醜い争いが展開された。
ひとしきり罵り合ったところで、双方とも疲れてやめる。
灯輝がぜいぜいと呼吸を整えていると、凛子が言った。
「で、灯輝、おまえはなぜここにいる?」
「……」
迷う。
どこまで言っていいものか。適当に誤魔化すことも考えたが、凛子は人の嘘や虚飾を見破ることが上手いのだ。それは通じない。
天野の真骨頂は、単純に戦闘力における最強だけではない。
今でこそこんな情けない掛け合いをしてはいるが、これでも凛子は『総合的戦略兵器』と言われているのである。『戦闘』ではない。『戦略』である。
心理戦、情報戦、そういったものすら、最強の二文字をほしいままにする。
でもしかし、見破られるわけにはいかない。
この場に来た、本当の訳など。
灯輝は、言葉を選びながら説明することにした。
「……お凛様の後輩に、西塚沙織さんという人がいるでしょう」
「ああ」
「今日、彼女があのコウモリに襲われました。その際に妙な気配を感じましたので、調査に来た次第です」
「なるほどな」
うむ、と凛子は頷いた。
納得したようで内心ほっとした灯輝を、しかし凛子は見逃してくれなかった。
「では重ねてきこう。なぜ私に相談しなかった?」
「それは……」
凛子が苦手だから、というのは全てではない。
「知っているかもしれんが、西塚は部活の後輩だ。もちろん、喜んで解決に乗り出そう。おまえの言うとおり、私は当代最強。頼って間違いはないはずだ」
「……」
「にも関わらず、単独で調査に来たのはなぜだ?」
「それは……」
人に頼ろうなんて思いもしなかった。
凛子が苦手だというのはもちろんだし、こんな些事に本家の当主を引っ張ってくるのもおかしい。色々と理由は出てくる。
けれども、それは建前であって、本音ではないのだ。
たぶん。
西塚沙織を、自分の手で、守りたかったから。
そういうことなのだろう。
しかし至った結論を、凛子に言う気にはならなかった。
ちっぽけな意地なのはわかっていたが。
隠さずにはいられなかった。
やっとのことで、灯輝は声を搾り出した。建前を建前として突き進む。
「……お凛様の手を、煩わせることもないでしょうと」
しばしの沈黙。
凛子の視線が痛い。
その視線に耐えられなくなりそうになったとき、ようやく凛子は口を開いた。
「……ふん。まあ、そういうことにしておいてやろう」
(見透かされてる)
わかっていて見逃された。
それがわかった。
灯輝は胸中だけで苦々しい表情になった。だから天野の連中は苦手なのだ。
凛子が宣言する。
「心配はいらないぞ。灯輝、最後まで付き合え。おもしろいものが見られるだろうから」
◇◆◇
「おもしろいもの、ってなあ……」
ぼやく。
灯輝は渋々、凛子を手伝うことになった。
凛子は三階から、灯輝は一階から調査を進める。
そのほうが早いだろう? というのは凛子の言。
「なんだか上手く誘導されているな……」
愚痴っぽくもなろうというものだ。
凛子との会話のせいで、緊張感が削がれたのもある。
一階の隅にある保健室を探る。異常なし。
隣の進路指導室に向かう。
(進路、ね……)
沙織と高校卒業後の進路について、話したことがある。
そのとき彼女は冗談めかして、小説家になりたい、と言っていた。
あれは本気だったんだろうか。
ひるがえって、じゃあ僕はどうするんだろうな、と灯輝は思った。
たぶん、祖父と同じ道を歩む。
師匠である祖父は今、雪野の仕事でこの地方にはいない。
今なにをしているのかはわからないが、きっと、名に恥じない仕事をしているのだろう。
(そうだな、そのためには今、きちっと仕事しなきゃな)
うん、と気合いを入れなおす。
常に冷静に。
できることを過不足なく。
ひとつひとつやっていこう。
と。
進路指導室の前に立ったときに。
ぞわり、と
背筋に寒気が走った。
(いる)
直感で確信する。
凛子にメールを送る。本文はほとんど作っておいたので、わずかな操作だけで済んだ。
ちなみに凛子のメールアドレスは先ほど教えてもらったばかりだ。
ひょんなことから本家当主のメアドを入手してしまった。
ほどなく、凛子がこちらに到着した。
「見つけたか」
「はい」
目だけで、進路指導室を指す。二人で扉の両側に立つと、灯輝はスライド式の扉を開けた。
飛び出してくるものかと警戒したものの、部屋からなにも出てくるようすはない。
ちらりと中を覗くと、奥のほうで一匹だけ影が動いたのが見えた。
(なんだ……?)
疑問がよぎる。たった一匹で、あれほどの気配を感じるものだろうか。
ふいに視線を感じた。凛子だ。
「灯輝、外へ出るぞ」
「え?」
「早く」
言うと、凛子は走り出した。灯輝も後を追う。
ほぼ同時に。
扉から。壁から。天井から。階段から。
黒いものが染み出してきた。
「――!」
湧き出すように。白い壁を真っ黒に塗りつぶすように。
暗闇に引きずり込むように。
走りながら後ろを見ると、今までいた空間は既に見えなくなるくらい、真っ黒に埋めくされていた。
学校の正面玄関から飛び出す。
一歩遅れて、黒い靄が大量に、学校から雪崩れて溢れ出てきた。
凛子が光の障壁を、灯輝がその上から氷の壁を張る。
嵐のように黒が過ぎ去った後、それは中空で、巨大なコウモリに変貌していた。
夜空を覆い尽くすように大きなそれを、灯輝は呆然と見上げた。
凛子が軽い調子で言う。
「ううむ。やはりちょっと大きくなりすぎたな。もっと早くに退治しに来るんだった」
「いや……あそこまで大きくなるまで放っておくのもどうかと思いますが……」
「さて、空に浮かばれると木刀が届かんな。どうしたものか」
「お凛様。あなたたぶん木刀からビームとか出せるでしょ。この期に及んでサボってないで仕事してください」
「ふむ」
なにがふむだか、よくわからない。
凛子は小首をかしげて、そして灯輝を見る。
とても嫌な予感がした。
「灯輝」
「はい」
「おまえがどのくらい成長したのか見てみたいな。ちょっとあのコウモリ倒してこい」
「はい!?」
「骨は拾ってやる」
「そういう問題ですか」
「うむ」
なにがうむだか、よくわからない。
凛子はとててっと小走りに離れ、近くの木にもたれかかった。
早くやれといわんばかりに、しっしっと手を振られた。
「ええー……?」
かなり釈然としない。
灯輝は凛子とコウモリを見比べた。
「あ、実はコウモリを相手にしたほうが面倒がないのか……?」
真理に至った灯輝は、コウモリと戦うことにした。