雪使いと文芸部員
たまに不安になることがある。
自分は、まだ戦えるだけの力を残しているだろうかと。
確認のため、こっそりと学校でも力を使うことがある。
窓の外には昨晩遅くに少し降った、雨の名残があった。
ぽたぽたと屋根から垂れる水滴。
零れようとするその一滴に、意識を集中させる。
今にも落ちんばかりにはち切れそうな雫は、ついに重力に従って宙を舞って――しゅわり、と白い雪に変わった。
小さなその結晶は、風に吹かれてふわりと踊り。
そして誰にも気づかれないままに、濡れた地面に溶け落ちた。
「ねえ」
説明が呼びかけに変わった。不機嫌な口調に少しだけ焦りを感じるも、痕跡が消えたかどうか、確認をするのが先だ。
見れば、そんな季節外れの雪などありませんでしたよ、と言わんばかりに、外の世界はいつものままだった。
「ねえ灯輝、聞いてる?」
名前を呼ばれてようやく、窓の外を見ていた少年は、声のした方に顔を向ける。
放課後のざわめく教室のなかで、灯輝と呼ばれた少年は、頬杖をついて座っていた。
振り向いた彼は、茶色の髪に白い肌をしていて、全体的に色素の薄い印象があった。
柔和な印象の表情とあいまって、そのまま雪のように消えてしまいそうな雰囲気がる。
灯輝はぼんやりと微笑んで、正面で熱く語っていた少女に向かって言った。
「聞いてた聞いてた。で、その人がなんだって、西塚?」
「途中から聞いてないじゃない!?」
憤慨する少女。彼女は黒髪を一房だけおさげにして、あとはストレートに落としている。眼鏡をかけ、紺色のセーラー服に膝下のスカートは、優等生の委員長を連想させた。
黙っていればそんな印象なのだが、今現在、目の前で信じられないというように握った拳を上下にばたばたさせる彼女は、委員長というより演劇部員のようだった。本人が真面目にやっているだけに、余計におかしく見える。
もっとも灯輝は、そんな彼女のオーバーアクションが見たいがためだけに、聞いていないふりをしたのだけれども。彼も、見た目通りの人畜無害というわけではないようだ。
少年の名は、雪野灯輝。
少女の名は、西塚沙織。
昨年も同じクラスで、今年も同じクラス。
二人とも大人しそうに見えるが、性格はちょっとだけ、普通と違う。
その『ちょっと変』な証拠に、沙織は灯輝をびしっと指差して、こう宣言した。
「誰も見たことのない、幽霊部員を探すのよ!」
◇◆◇
県立天峰高校。灯輝と沙織はそこに通う、高校二年生である。
山に程近い田舎の、田んぼに囲まれたのんびりとした学校。
沙織は、そこの文芸部に所属している。
文芸部は年に数回、自分たちが書いた話をまとめて、部誌を発行していた。
誰もが締切に苦しめられるなか、誰よりも早く原稿をあげる部員が一人、いるらしい。
ただ、誰もその姿を見たものはいない。
部員名簿と部誌だけに、その存在を感じられる幽霊部員。
名を、仙家正文という。
◇◆◇
「まあ、ペンネームかもしれないけどね。部員一やる気のある幽霊部員。ちょっと興味をそそるでしょう」
「そうだねえ」
休み時間の教室で、沙織がふいにそんな話をしてきた。
文芸部の部誌は校内の各所に配られ、自由に持ち帰ることができる。灯輝も毎回目を通しているが、そんな話は初耳であった。
仙家正文は確か、主に幽霊とか妖怪とか、そういったものが出てくる伝奇ものを書いていたはずだ。
「僕も仙家さんの書いたものを読んだことがあるけど、まさか幽霊部員が幽霊の話を書いているとはなあ」
高校生らしくない、現実的でハードな展開が印象に残っている。
灯輝がそう思っていると、沙織がぽかんとしていた。
「え? どしたの?」
「いや……なんというか」
沙織は、戸惑った様子で言った。
「あんな身内同士の恥の晒しあいみたいなものを、ちゃんと読んでる人っていたんだ、って思って」
「まあ、自分の作品を人に見せるって、ある意味そういうところあるよね……」
「文化祭後に捨てられてるのを見たりしてるし。内容と作者まで覚えてる人なんかいないと思ってたわ」
「それはひどいなー」
灯輝は肩をすくめた。彼が部誌を読んでいるのには、他にも理由があるのだ。
それがなければ、ひょっとしたら自分も部誌を捨てていたかもしれない。
「仙家さんのもそうだけど、西塚の話も印象的だからねえ。捨てるには惜しいというか、覚悟がいるというか」
「なによそれ。どういう意味?」
「誉めてるんだよ」
沙織は、『サオル』というペンネームで部誌に小説を載せている。挿絵なども自分で書いて読みやすくしたりと工夫していた。
灯輝は、沙織の書いたものを目当てに部誌をもらっている。
誰にも――本人にも、そんなことは言ったことがないけれども。
「立ちはだかる者を焼き尽くして進む、戦巫女ユウガオ。彼女の前ではいかなる敵も灰と散る。普通の女子高生はそんなハードボイルドな話書かないって」
「さすがに、焼き尽くして進むだけの話ではないつもりだけど」
「それだけその場面が頭に残るってことだよ」
「そう?」
言葉少なく返す沙織。しかし自分の作品が思いのほかちゃんとした印象を残していることが嬉しいらしく、少し照れた顔をしていた。
それをぼんやりと、幸せな気分で見る。
そのまま会話が途切れた。やがて我に返った沙織が、灯輝に言う。
「灯輝、そんなにうちの部誌見てるんだったら、文芸部に入らない?」
「やだ」
「なんでよ」
間髪挟まない即答に、沙織がちょっと怒ったような顔をした。
それに灯輝は苦笑して、
「ちょっと家庭の事情があってさ」
「親が部活なんか入らずに、帰って勉強しろって?」
「そういうんじゃないんだけどねー」
いつものように適当にはぐらかしたところで、始業チャイムが鳴った。
沙織はまだ言いたそうな顔をしたが、渋々自分の席に戻っていった。
内心ほっとしながら、灯輝は沙織を見送る。
家庭の事情と言いはしたが、突き詰めて言えば、それは彼の問題でもあった。
灯輝の『ちょっとだけ人と違う』ところ。
それは、雪を操る忍の家系に生まれたことだった。