表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/19

忍び奥手の雪使い

 校舎の屋上で、凛子は灯輝が倒れるのを見た。

 手すりにもたれかかる彼女の後ろで、一匹のコウモリが舞い降り、人の形を取る。

 仙家は、立っているのも辛いというような立ち膝だった。その姿は風に揺らめき、今にも消えてしまいそうだった。


『……見てたんですか』


 その声も、気をつけないと聞こえていないくらい、ささやかなものだった。

 凛子は手すりに肘をついたまま、顔を仙家のほうに向けた。


「ああ。わりと最初からな」

『西塚サオルの実体化は、あなたの仕業ですね』


 そんな姿になってまで、仙家の眼光は厳しい。こちらを睨みつけてくる仙家を、しかし凛子は涼しげに流した。


「誰かさんが一度、おまえとノートを切り離してくれたからな。あれでだいぶやりやすくなった」

『あのタイミングで彼女が出てくるなんて、いくらなんでも都合がよすぎると思ったんだ……』


 事は全て、最強の手のひらの上というわけだ。

 忌々しいにも程がある。


「なあ仙家。灯輝は気を失っているぞ。今ならやつを乗っ取ることができるんじゃないか?」


 灯輝は地面に崩れおち、ぴくりとも動かない。目を覚ます気配もなかった。

 本当に嫌そうに、仙家が言う。


『わかってて言ってるのが本当にむかつくのですが……今彼に取り憑こうとしても、逆にそのまま食われるのが関の山ですよ。

 ……誰のせいでこんなことになったと思ってるんですか』

「まあそう怒るな」


 凛子がひらひらと手を振る。


「おまえはただ、生きようとしただけだ。その点に関してわたしは否定するつもりはないし、むしろそれでいいと思っている。

 ただ、そっちかそこまで本気でやってくるなら、こっちも本気を出さないとだめだろう。

 生きているのは、誰だって同じだ」

『だから、ぼくの邪魔をしたと』

「自分一人でいきがったところで、どうにもならんだろう。

 人に関わって、人に影響されて、それがおまえの望む『生きる』ってことなのではないか?」

『……』


 仙家が黙って、目を背けた。

 しばらくの沈黙のうち、凛子が言う。


「なあ仙家。おまえが取ろうとした手段以外にも、おまえが生き延びる方法はあるんだよ」

『……!?』


 驚いた様子で、仙家が凛子を見た。凛子はつかつかと歩き、仙家の目の前に手を差し伸べた。


「私が卒業してこの場にいないようになったとしても、おまえが消えてなくなることがないように。私がおまえに、力を与えることができる」

『――』

「まあお前が、私に助けを求めれば、だが」

『……からかってるんですか?』

「誰にものを言っている。わたしは『当代最強』だぞ」


 差し伸べられた手を、しばし見つめる。

 迷うように視線は揺れ――そして仙家は首を横に振って、挑戦的に笑った。


『あなたに助けを請うなんて、真っ平ごめんだ』


 手ひどく言われたはずの凛子は、最初からそれがわかっていたかのように、かはは、と笑った。


「なるほどなあ。意地っ張りなのは西塚ゆずりか」

『ぼくと彼女を一緒にするな』


 憮然とした調子で、仙家が言う。


『どこぞのありふれた話みたいに、『おまえは俺だ! 俺の中に帰って来い!』とか言って、生み出された影が主人公と一つになって、反撃が始まるなんて展開、ぼくは認めませんよ。

 ぼくは、ぼくだ。誰がなんと言おうと、決して誰かの影なんかじゃない』


 凛子は笑う。


「まあいいさ。せいぜい限界までがんばってみるといい。

 それでもだめだと思ったときはいつでも来い。助けてやる」

『……雪野さんがあなたを苦手な理由、わかるような気がします』


 ため息をつくと、目の前になにか飛んできた。反射的に受け取ると、それは沙織のおみやげのポストカードだった。


『……これは、ノートと一緒に燃えたはずでは』


 もっともな疑問に、凛子はさも当然といった体で「最強だからな」と言った。それでなんでも解決らしい。


「そのポストカードには、西塚がおまえに会いたい、存在していてほしい、という思いが詰まっている」

『――』

「それがあれば、当面は大丈夫のはずだ。これから先のことは、また考えればいい」

『これから……』

「受け取ってくれるな?」


 ポストカードと凛子を交互に見、戸惑いながら仙家は訊く。


『……ぼくは、あなたに消されてもしょうがないような存在だ。それなのにどうして、あなたはぼくを助けようとするんですか?』

「そんなの決まってるだろう」


 なにを今更、と凛子は言う。


「おまえはちゃんと原稿を書いてくれる、わたしのかわいい後輩だからな」

『――』

「先輩が後輩を助けるのに理由なんて要らない、そうだろ?」

『……くそ』


 仙家は悪態をつくと、その場から溶けるように消えた。ポストカードは残らなかった。仙家が持っていったのだ。

 やれやれ、と一息つくと、凛子は再び灯輝を見下ろした。

 相変わらずぴくりとも動かない上に、あの失血量だ。そろそろ助けてやらないとまずいだろう。


「まったく、世話の焼ける後輩どもだ」


 凛子は心の底から愉快そうに、笑った。


◇◆◇


「……」


 灯輝は目を開けた。うっすらとした明かりが差し込んでいる。まだ夜が明けて間もないようだ。

 意外にもはっきりとした意識で辺りを見る。この場所は知っている。天野家の離れだ。布団が敷かれ、自分はそこに寝かされている。

 起き上がると身体のあちこちが痛むが、手をやると包帯が巻かれていた。誰かが手当てをしてくれたらしい。


「目が覚めたようだな」


 そう言って、凛子が入ってきた。天野家の当主は灯輝が布団から出ようとするのを手で制して、傍らに座った。


「昨夜は結構な傷をこしらえていたからな。手当てをしておいたぞ」

「ありがとうございます」


 感謝を述べる反面、また恥ずかしいところを見られた、とも思う。

 ばつが悪い思いをしていると、凛子が先に口を開いた。


「『君は一人じゃないんだ! 僕がここにいる!』」

「うわあああああっ!?」


 いきなり一番恥ずかしい台詞を言われて、灯輝は身体が痛むのも構わず身悶えした。


「『だからもう、一人で泣かないで。

 いつか君に救われたように、今度は僕が君の力になる』」

「やめてええええええ!?」


 改めて他人の口から言われると、相当に恥ずかしい。しかも凛子の淡々とした口調で。

 顔を真っ赤にして枕に顔をうずめ、しくしくと泣いていると、凛子は満足いったようにうんっとうなずいた。


「それだけ元気なら、もう大丈夫だな」

「……その確認のためだけに、僕をこんなに辱めたと?」

「まあそう言うな。確認は必要だ。輸血は上手くいったようだ」

「輸血?」


 枕から顔を上げる。確かに、貧血の症状はない。凛子の言う通り、輸血が行われたのだろう。

 ただあの夜中に、一体、誰が。


「きのうの夜な、雪野の家全員に連絡を取って、おまえに血を分けてやれる者はいないか、と訊いたんだよ」

「……」

「そうしたら出てくるわ出てくるわ、おまえの親や親戚筋、こぞって天野家に押しかけてきたぞ。

 なにが冷静に冷血に冷徹にが信条かなあ、雪野家は」

「そう、ですか」


 周囲の人間の意外な反応に、灯輝は戸惑った。雪野の忍びたちが、まさか、そんな――


「遊静さんも南極から帰ってきていてな。血を分けていったぞ」

「祖父がですか!?」


 一番意外な人物が出てきた。あの祖父が勝負に負けた自分を助けるなど、思いもしなかった。

 まさか、そんな。


「遊静さんはおまえと血液型が違うんだが、そこはわたしがなんとかしておまえにぶち込んでおいた。安心しろ」

「ええええええええっ!?」


 ある意味一番の驚きだった。当代最強はなんでもありだった。

 戸惑いを隠せずにいると、凛子が言う。


「簡単なことだ。思っていたより、おまえの周りは、おまえを助けたいと思っているんだよ」

「……あ」

「一人になんか、させてやらないぞ。おまえはいつでも我らと共にあるのだ」

「……」


 ぎゅ、っと。

 胸元に手を当てる。

 その下で心臓が脈打っていた。

 どくん、どくん、と、皆から分け与えられた血が、全身に巡っている。

 温かい血潮が、心を包む。

 涙が出そうになった。凛子の手前、なんとか堪えて言葉を搾り出す。


「……祖父は、なにか言っていましたか?」

「ん?」


 凛子は思い出すように宙に視線を移し、ああ、と言う。


「『少しはマシな顔をして立ち上がるようになったじゃないか』とか、そんなことを言っていたな」

「そうですか……」


 幼き頃に、うつろな目をして立ち上がった自分は。

 今になってようやく、少しは認められるようになったらしい。

 目を閉じて、その言葉を噛みしめる。

 凛子が言った。


「灯輝、我らの力は、その心のありように、深く根ざしている」

「はい」

「望めば強くなり、乱れれば弱くなる。我らの心の強さはそのまま、我らの強さとなる」


 凛子はそこで言葉を切り、灯輝をじっと見つめた。


「おまえは今どうだ、心を強く持てているか?」


 心の奥まで見透かす、真っ直ぐな視線。それを怯まずに受け止めて、灯輝は己の中を見つめた。

 いつものように真っ白な世界の中に。

 埋もれず、真っ直ぐに立った自分がいた。


「――はい」

「うむ、よろしい」


 凛子が微笑む。


「一時はどうなるかと思ったが、結果として今までより自由に力を使えるようになったな。それに免じて、今回の失態は許してやろう」

「今までより自由に?」


 灯輝は試しに、自分の手に冷気を集中させた。そこに集まったのは、今までより濁りのない、クリアな力だった。


「これは」

「まあ、そういうことだ。今まで以上に精進しろよ。以上だ」

「お凛様」


 凛子が立ち上がり、部屋を出て行こうとする。と、そこで立ち止まり、こちらに背を向けたまま言った。


「強くなれよ、灯輝。おまえはまだまだ強くなれる。わたしたちが求めているのは、そういう力だ」


 日が昇ってきて、この離れにも、だいぶ光が射してきた。その光の中に出て行きながら、凛子はひらひらと手を振った。


「じゃあな。今日もちゃんと学校行けよ」


 ぱたん、とふすまが閉じる。それをしばらく見つめて、灯輝はぽつりと言った。


「……強くなるって、難しいなあ」


 こんなのばかりじゃ身が持たないぞ、と本気で思った。


◇◆◇


 いつものように、学校へ行く。

 サオルによって焼失した木々、自分が霜柱だらけにしたアスファルトは、跡形もなく修復されていた。おそらく凛子がやったのだろう。便利なことだ。

 たぶん、昨夜のサオルのことは、沙織は覚えていないはずだ。

 いくら意思が強いとはいえ、彼女はこちら側の人間ではない。仙家の言っていた生霊、というのが一番しっくりくる存在だ。でなければ訓練もなしに、あんなふうに炎を生み出せるはずがない。沙織とサオルは同一人物でもあるが、本体と影のように繋がっているだけで、それぞれ別個のものだった可能性が高い。

 まあ、そう思っていても、少し気恥ずかしい。

 けれど今なら、沙織ともう少しちゃんと話せるはずだ、と思って、灯輝は教室に向かった。

 きっと、まだ落ち込んでいるだろうから。なにか言葉をかけられればいい。

 教室に入ると、沙織がいた。おはよう、と言おうとしたとき。


「あ、灯輝おはよう!」


 とても元気に挨拶された。


「……おはよう?」


 あれ、なんか昨日までと様子が違うぞなんだこれ、と思っていると、沙織が灯輝に一枚の紙を差し出してきた。

 ルーズリーフだった。そこには手書きで数行、なにか書かれていた。



 西塚さんへ

 このあいだはひどいことを言ってしまって、すみませんでした。

 事情があってしばらく書き込みもできず、不安に思っていたかと思います。

 あまつさえノートを汚してしまったので、こんな紙で重ね重ね申し訳ありません。

 ポストカード、ありがとうございます。いただきます。



「……」

「仙家くんが、返事を書いてくれたの!」


 沙織がとても嬉しそうに言ってくる。灯輝は無言でルーズリーフを返した。あのポストカードも燃えたんじゃないか、とか、いろいろ突っ込みたかった。

 沙織は丁寧にルーズリーフを折りたたみ、鞄にしまう。


「よかった。仙家くん、怒ってたんじゃなかったのね」

「そうだね」


 そうかなあ。めっちゃ怒ってた上で、かなり色々あって結果としてこうですけど、と思わないでもなかったが。

 なぜかはわからないが、仙家は灯輝の頼みを聞いてくれるつもりになったらしい。あの後なにか、思うところがあったのかもしれない。

 たぶん、今もこのやりとりを見ているのだろう。一応、ありがとう、と小さく呟いてみる。

 しかしそれにしても、沙織のこのテンションの高さはなんなのだろう、と灯輝は不審に思った。

 まさか昨日のことを覚えていたわけではあるまい。覚えていたら、灯輝に対してこんないつも通りの態度ではないだろう。


「西塚、なんだか楽しそうだけど、なにかあったの? なんか、仙家さんのことだけじゃない気が……」

「あ、わかる?」


 はあ、といつもの癖で生返事をしていたら、予想外の答えが返ってきた。


「昨日の夜、夢に戦巫女ユウガオが出てきたのよ」

「……え?」


 嫌な予感が全身を巡る。


「やっぱり夢だから記憶が曖昧なんだけど、なんかねえ、私がユウガオになって、すごい悲壮に戦ってたの」

「えー……と」

「彼女は必死に戦い続けて、自分はもう一人でもいいんだと言い聞かせて、自暴自棄になっていた」

「ふ、ふうん」

「でもそんなとき、彼女はかつての盟友であった、雪使いの男と再会するの」


 待て待て待て。先を聞くのが怖くなって制止しようとする。しかしそれよりも先に、沙織は続けた。


「彼はユウガオのその有様を見て、彼女を止めようとするの。けれどユウガオはもう止まらないわけ。けれど雪使いはあきらめずに、彼女の説得を続ける。

 そして――その思いはようやく、ユウガオに届いた」

「……」

「晴れて一人は二人になって、まだまだ続く旅の空、ってね。

 よーし、戦巫女ユウガオ戦記、定まらなかった最終話がようやく見えてきたわ! 忘れないうちに書くわよー!」

「……うわー」


 雪使い、とか。

 あきらめずに説得する、とか。


(現実と微妙にリンクしてる……!?)


 冷や汗が止まらない。そんな灯輝をよそに、沙織は夢での出来事を書いたメモとにらめっこを始めた。


「起きたらもう、記憶がぼやけてて……。忘れないうちに書きとめようとしたけど、ほんと断片よね。

 でも、ちょっと覚えてたのはこのセリフで……『君は一人じゃないんだ! 僕がここにいる!』とか」

「うぎゃあああああぁぁぁぁぁぁぁッ!?」


 本日二度目。

 のたうちまわるしかできない状況に、さらに沙織が追い討ちをかける。


「ほんと、クサいセリフよねー」

「軽く笑って全否定されたああああ!?」

「今時、こんなベタなセリフって使われる? 少女漫画でも使わなくなったんじゃない?」

「やめて、もうやめて! もう誰か、僕を、僕を殺してください!?」


 混乱のあまり頭を机に打ちつける。

 沙織はメモに視線を落として気づかないまま、しかし、えへへ、と笑った。


「でもね、クサいかもしれないけど……なんかこの言葉で、私も救われたような気がして、ね」

「え……」

「ちょっと疲れてたから。なんか、一人で考えすぎてたなーって、思ったのよ」

「西塚……」


 彼女の表情は、きのうまでのものとは違っていた。これまでの、どこか追い詰められたような暗い熱気が消えて、憑き物が落ちたようにさっぱりした顔をしている。


「ま、問題が解決したわけでもないけれど。誰かいるだけで、立ち向かう力は持てるのよね、きっと」

「うん……そうだね」


 一人孤独に泣いていた炎の巫女は。

 一緒にいるよ、と約束してくれた雪使いに、心を動かしてくれた。


「さーてと。そしたら今の状況からどうやってこの展開に持っていくか、考えなくっちゃね」

「やる気がすごいなあ」

「当然よ」


 いつものように不敵な笑みを浮かべて、沙織は立ち向かう。

 そんな彼女の顔がもっと見たくて、灯輝はある行動に出た。

 望めば強くなる、というのなら――


「……あのさ、西塚」


 勇気を持って、その一歩を。


「なに?」


 こちらを真っ直ぐに見つめてくる視線に、思わずたじろぐ。今朝は凛子を相手にしても臆さなかったのに、なぜ今は、こうも揺らいでしまうのだろう。

 けれど、今までと違うのは。

 自分の中にあるこの熱は、もう拒絶する必要がないということ。

 だから踏み出すのだ。その近くへと。


「携帯……買ったんだ」

「ほんと!?」


 ぱあっ、と彼女の表情が輝いた。そう、それだ。

 それを、ずっと見ていたいんだ。


「メアド教えてよ! ようやく今時の高校生になったのね!」

「うん」


 ようやく、今時の高校生として彼女に接することができる。生まれて初めてといってもいいその感覚に戸惑いながら、沙織とメールアドレスを交換した。

 登録が完了する。再び執筆作業に戻る彼女を、正面から眺めた。最初の一歩としては上出来だろう。心臓の鼓動は早いのに、不思議と心は穏やかだった。

 この熱にどれだけ近づけるのか――それはこれからの自分次第だ。

 微笑ましい気持ちで沙織を眺めていると、ふいに、彼女が顔を上げた。深く悩んだ表情をしていて、まだなにかあったのだろうかと不安がよぎる。


「……どうしたの?」


 今度は見て見ぬ振りはしない。沙織がなにかを悩んでいるなら、今度はそれを一緒にそれを、考えていきたい。

 そう誓ったから、灯輝は沙織に、そう訊いた。

 彼女はペンで額をコツコツと叩きながら、なにかを思い出すように言う。


「いや、きのうの夢のことなんだけどね」

「……うん」


 きのうあったことに、まだなにか消化不良なことがあるのだろうか。多少の心の準備をして、灯輝は続きを聞いた。


「なんでキスしてくれないんだろうなあ、って思ったのよ」

「……は?」


 想定をはるかにぶっちぎった単語に、思考が停止した。

 そんな灯輝に向かって、沙織は言う。


「いや、雪使いの男がユウガオを説得するわけじゃない。夢の中だからユウガオの気持ちが私にもわかったんだけど、ユウガオはそのとき思ったの。『なんでキスしてくれないんだろう』って」

「なん、で、って……」


 あの場面で、それは、無理だろう。


「だって、物語の中でいったらそういうシーンじゃない?」


 弱気になる灯輝に、間髪入れず容赦ない一撃が飛ぶ。

 感動的な説得の場面で、思いがようやく、彼女に届く。

 ストーリー的には、それがないと締まらない――。


「雪使いの男は、きっとユウガオのことが好きだったのね。だからどれほど拒絶されても、彼女を救おうとし続けた」

「そ、そう、なのかもね」


 なんだこれ。

 自白の強要?

 拷問には強いと自負しているが――これは、耐えられるか?

 あれが夢だと思っているだけに、とんでもなく性質が悪い。

 その極めつけの言葉を、沙織はさらりと口にした。



「ユウガオもきっと――彼のことが、好きなのよ」



「――」


 それを聞いて。

 今度こそ完全に、思考が真っ白になった。


「だから、突き放してもついてきてくれる彼に、甘えるように駄々をこねて――最終的に、落ち着いた」


 あれは、そういうことだったのか……?

 甘える、なんてレベルではなかったと思うのだが。

 そうは思ったのだが、受けた衝撃が大きすぎて、氷像のように固まっているしかない。

 そんな灯輝に、火線が絡む。


「でも落ち着いた同時にユウガオは、『なんでこの男はここまで言っておいて、抱きしめてキスしてくれないんだろう』って不満にも思った」

「不満……!?」


 『これからも、よろしくね』――ユウガオの言葉が、灯輝の脳裏に甦る。

 実はあれじゃ、不満だったんですか。

 これからもよろしくというなら――僕は、どうすればいいですか。


「だからね、私が戦巫女ユウガオ戦記のこのシーンを書くときは、入れようと思うんだ」

「……な、なにをデスか?」


 答えはわかりきっているのに、そう口にするしかなかった。

 身体が震えて、脂汗が止まらなくて――心臓がバクバクいっている。


「なにって――キスシーン」

「ぐはあっ!?」


 巻きついた火線は、熱を撒き散らして爆発した。

 堪えきれずに胸を押さえて、灯輝は突っ伏す。

 それはまだ早い、それはまだ早いです西塚さん……!

 最初の一歩から灼熱地獄の熱さに焼かれて、顔から火が出そうになる。


「それがないと、物語的に盛り上がらないもの。ユウガオだって――それを望んでるんだし」


 西塚沙織は――それを望んでるんだし。

 きのうは灯輝を焼けなかった猛火を、今になってユウガオは放ってきた。

 正直もう、灯輝は消し炭になっている。


「ねえ、そのほうがいいわよね?」

「……僕に、どうしろと?」


 眩しすぎるその熱から、身を守るように頭を抱えて灯輝は言う。

 そんな彼に、サオルは、沙織は容赦しない。


「どう……って」


 それが彼女の、力の源。

 焼き尽くさずにはいられない、向かう情熱――炎の性。


「このシーンが書けたら、読んで感想聞かせて」

「死ぬかもしれない……」


 本気でその覚悟をする。

 そのシーンが出来上がるまでに、自分は果たして、どれほど心を強く、持てているだろうか。


「大丈夫よ。もう先は見えたんだもの。あとはそこに向かって書き続けるだけって、さっきも言ったでしょ」


 ユウガオも、雪使いも、生き続けて――一緒に向かうだけ。

 二人のその、結末に。

 果たしてそれは、どんなものなのだろうか。

 先の見えない旅なれど。

 あなたと歩めば、怖くない。


「じゃ――これからもよろしくね」


 見れば沙織は、再び自分の物語と格闘を始めていた。

 約束したその結末に向かって、戦い続け――進んでいく。


「よろしく、ね……」


 それだけなんとか答えて、灯輝は考える。

 熱い、熱い、この炎の傍に、これからも居続けるには――


「まだまだ、修行し続けろってことなんだろうなあ……」


 本当に、身がもちそうにない。

 この先の未来を紡ぎ続ける彼女の傍で、灯輝は目を細めてそう思った。

 真っ白いこの世界の中で――自分を温めてくれる、その熱を感じながら。

読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ