表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/19

入部の動機

 以前と同じように、自転車を学校の柵に繋ぐ。

 暗闇に包まれた学校を、灯輝は見上げた。

 昼間、泣きそうな顔をしていた沙織のことを思い浮かべる。ひどく落ち込んでいる彼女に言った言葉は、拒絶されてしまった。

 ならば。


「忍は忍らしく、影から状況を良くしよう、なんてね」


 灯輝は苦笑いして、その口元を隠すように白いマフラーをずり上げた。

 柵を乗り越えて、着地する。正面玄関に向かった。

 そこは仙家と初めて会った場所だ。

 前回とは違って、今夜は曇っていた。闇が濃い。

 呼びかける。


「仙家さん、いるんだろ? 出てきてくれよ」


 それに応えて、仙家が出現した。暗い闇が集まって、それが幽霊の形を取る。

 無表情にこちらを見つめる彼は、以前よりしっかりとした輪郭を持っていた。身体の揺らぎが感じられない。

 それに不自然さを感じていると、仙家が挨拶してきた。


「こんばんは、雪野さん」

「こんばんは」

「ほの暗くて、いい夜ですね」


 闇に紛れるぼくとあなたに、ぴったりの夜です。

 にこりともせず仙家は言った。

 そんな彼に、灯輝はここ数日考えていたことを口にした。


「仙家さん。僕は今日、お願いがあって来ました」

「お願いというと?」

「西塚沙織さんのことです。その、ノートに」


 仙家が左脇に抱えるノートを指差す。


「そのノートに、返事を書いてもらいたいんです」

「これですね」


 仙家はノートを指で撫でた。そっと手に添えて丁寧に扱う様子からは、あの書き込みのような乱暴な様子はなかった。

 その動作にちぐはぐさを感じつつも、灯輝は続ける。


「怒った理由でも、なんでも、書けることを書いてくれればいい。突然あなたからの発信が途絶えたことに、彼女はショックを受けています」

「……」

「建前じゃなくて本当に思ったことを書いてもらえればいいんです。それを彼女は望んでいるはず――」

「健気ですねぇ」


 灯輝の台詞を遮って、仙家は言った。無表情は崩れ、抑えきれない失笑をにじませている。


「こんな夜中に、わざわざ幽霊に会いに来る理由がそれですか。それでぼくがなにかしら書いて、彼女が喜んで、彼女はそれがあなたのおかげだと知らなくてもそれでいい、と? 見返りを求めない、無償の愛ですか。美しいですね。

 まあぼくは、返事なんて書きませんけど」

「仙家さん、あなたは――」

「ぼくは『卒業』したいんですよ」


 仙家はもう、聞く耳を持っていないようだった。


「あなたがお願いするというのなら、ぼくのお願いも聞いてくれませんか? それがお互いのためになる」

「お願い……?」


 灯輝が訝しげな顔をすると、仙家は口を三日月の形に吊り上げた。


「雪野さん、彼女のためを思うなら、ぼくに食われてくれませんかね?」


 しかし、目は笑っていなかった。


◇◆◇


 首筋に寒気を感じた。強制的に、警戒レベルが最高まで引き上げられる。


「……と、いうと」

「幽霊が身体をくださいというのは、それはもう、取り憑かせてくれということですよ」


 仙家は、冗談を言っている風ではなかった。灯輝はいつでも動けるように、身体の重心を低く取った。


「嫌だと言ったら?」

「それはもちろん――力ずくでも」


 仙家の周囲から、大量のコウモリが湧き出してきた。

 予想をしていないわけではなかった。むしろその方が、自然な流れだと思う。


「このあいだ戦った、あのコウモリは」

「そう。ぼくです」


 悪びれる様子もなく、仙家は言った。


「最初から全部ぼくの仕業ですよ。西塚さんに攻撃を仕掛ければ、必ずあなたはやってくるでしょう。まあ前回は天野先輩まで来たので全部ご破算になった上、妙な芝居まで打たなくてはなりましたけどね」


 仙家の周りは、次々と生み出されるコウモリで真っ黒に塗りつぶされていた。闇の中から爛々と輝く目だけが、こちらを見据えている。


「もうだめかと思いましたが、西塚さんがノートを出してきたのは渡りに船でした。おかげで前回よりやりやすい状況を作り出すことができました。

 知ってますよ――雪野さん、最近調子が悪いですよね?」


 返事はしなかった。仙家もわかっているのだろう、特に確認する素振りは見せなかった。


「うらやましかったでしょ? 西塚さんが嬉しそうで。雪使いも難儀なものですね。悩み事があると力が減退するなんて」


 嬲るような物言いに、しかし灯輝は冷静になるよう努めた。相手は前回もてこずったのだ。この状態で挑むのならば、以前よりさらに――雪に埋もれなければならないだろう。

 戦う構えを見せた灯輝へ、仙家は不敵に笑った。


「孤独を失った無様な雪使いが、ぼくに勝てるとでも?」

「……勝たなきゃ、死ぬからね」


 冷たい汗が背を伝う。少しでも心を落ち着ける。


「させませんよ」


 闇が触手を伸ばすように、コウモリが灯輝に襲い掛かった。


◇◆◇


 視界いっぱいのコウモリの群れが迫る。

 口の中の牙が見えるくらいの紙一重でかわし、距離を取った。


(前に戦ったときより、攻撃の速度が増している……?)


 仙家がより強く実体化しているのは、それだけ力も増しているということだろう。なんらかの手段で増強をしているのだ。

 前回からなにか変わった点があるとすると。

 灯輝の目に、仙家が左脇に抱えたノートが目に入った。


(あれか……?)


 どういう方法でパワーアップしているのかはわからないが、あのノートを奪う必要があるかもしれない。

 とりあえず今は、目の前の攻撃に対処する。追いかけてくるコウモリたちに、ありったけのクナイを放つ。コウモリたちは自分たちの勢いのままぶつかり、凍り付いて霧散した。

 第一陣は退けた。だが前回のことがあるので、全方位への警戒は怠らない。


「コウモリって、ぼくに合ってると思うんですよね」


 仙家が言う。


「夜しか行動できなくて、あっちへフラフラこっちへフラフラして。ほんと、ぼくみたいですよ」

「……あなたは結構、自分の意思を貫いているように見えますけどね」


 皮肉ではなく、本当にそう思う。下手な人間より、生きている感じがずっとする。殺されそうなほどに。

 仙家は幸いにも、褒め言葉と受け取ったらしい。少しだけ笑った。


「そうなるよう努力はしているんですよ。

 だから、学校に這入ってきたコウモリを――『食べ』ました」

「……」


 いっそうその笑みが、不気味に見える。一瞬その光景を想像してしまって、吐き気を催した。


「よく馴染みます。食事って大事なんですね――生まれてこの方、食事らしい食事を、それまでしたことがなかったので。

 そこでぼくは、自分に食事の能力があることを知りました」


 一生気付かなくてよかったんだ、そんなものは。そんな灯輝の思いをよそに、仙家は続ける。


「そして思いました。これで、ぼくは身体を得ることができるんじゃないかと。そうしたらここを出ることができて、『卒業』できるんじゃないかと」

「……なるほどね」


 それがノートに書いてあった『卒業』の意味か。

 一応、話の流れはわかる。ただしかし、それは灯輝の命と引き換えだ。


「しょうがないですよね、ぼくが生きる為ですから。しょうがないですよね。ぼくはこうでもしなければ、卒業すらもままならないんですから――」


 そして、右腕を振り下ろす。


(――っ!)


 とっさに飛びのく。頭上から滝のように雪崩れ落ちた黒い影が、すぐ右を通過していった。

 もはや柱と化した影は、砕け散るのも厭わない勢いで地面にぶち当たった。急旋回して灯輝を追いかけようとするコウモリが、上から来たコウモリに押しつぶされる。それらは恨めしげに灯輝を見て、消えていった。


「……」


 自分を傷つけることも構わないといった攻撃に、言葉を失う。彼は、そうまでして。


「なんで……」

「なんですか?」

「なんで、僕なんだ?」


 そうまでして自分に固執する理由が思い当たらなかった。身を守ることに躊躇はないが、戦うことにはまだ抵抗がある。できれば。


「それを聞いてどうしますか。まさかいまさら話し合いで解決しようとでも?」

「できれば、そうしたい」


 提案を、鼻で笑われた。


「そんなことだから、あなた弱くなったんですよ。ぼくは、あなたを殺そうとしているんだ。そんな相手を、話し合いで解決する? なに言ってるんですかあなた。雪野の忍びというのはそんなものなんですか?

 冷静に。冷血に。冷徹に。

 それがあなたたちの行動理念なんでしょう?

 本当に温いですね、天野先輩が言ったとおりだ。おかしくて笑えてきますよ」

「今の僕は、そう言われても仕方ない。

 けれど仙家さん、あなたの挑発に乗るつもりもない」

「……」


 ぴたり、と仙家の笑いが止まった。なるほど、と呟く。


「それなりにまだ冷静ではあるようですね。

 いいでしょう、答えますよ。食べられてもらうために」


 その瞳に、静かなる怒気を込めて仙家は言う。


「ぼくがあなたを狙った理由は、簡単です。

 ぼくがあなたによって生み出されたからですよ」


◇◆◇


「え?」


 思わずそんな声が漏れた。聞いていた話と違う。


「あなたは、この学校の生徒の無意識の塊、だって……」


 凛子の言うことだ。間違いはあるまい。仙家もうなずいて、


「確かに、そうです」


 ですが、と続けた。


「そんな漂うだけの意識が、文芸部に入って原稿を書いて、なんて志向性を持つと思いますか?」

「……」


 そうだ。そんな曖昧なものが、特定の部活に入ろうとすることなど、おかしな話だ。しかもよりによって、文化系でもかなりマイナーな、文芸部ときた。

 仙家が文芸部に入ったのは、四月の終わり。

 灯輝と沙織が出会った頃――


「そう。ぼくが文芸部に入ったのは、あなたがそれを望んでいたから、です」

「……な、ん」


 混乱する灯輝に、仙家は言いつのる。


「あなたが元から、天野に連なる力を持っていたことも、要因のひとつではあるでしょう。

 しかしそれ以上に、あなたは強く思ったはずだ。彼女と一緒にいたい、と」

「……そんな」

「ぼくという幽霊の最初の行動は、それです。天野先輩の力では、ただここを漂うだけだったぼくが、はっきりとした意志を伴って、具現化したんですよ」

「……」


 絶句する。沙織は以前、灯輝が仙家だと疑いをかけたことがあったが、ある意味それは正解だったのだ。


「具現化したとは言っても、しょせんは幽霊。昼間はほとんど見えないようなものですし、話しかけても誰も答えてくれませんよ。

 誰もいない真っ暗な校舎で、毎日毎日、一人でふらふらし続けました。昼間の文芸部の楽しそうなやりとりを、ただ眺めていることしかできませんでした。

 ぼくにできるのは、夜中に書いた原稿を、こっそり置いてくることだけでした。

 あれは、ぼくの生存証明でした」


 誰よりも熱心に原稿をあげてくるのも当然だ。

 誰にも気づかれない彼が、唯一他人に伝えられる言葉だったのだから。

 言葉ひとつひとつに圧迫感を感じる。言葉ですら、仙家は灯輝を殺そうとしている。


「あなたである理由は二つ。ぼくを生み出した人間なら、他人に取り憑くより成功しやすいだろう、というのと。意志を具現化する雪野の力があれば、ぼくの生きたいという意思が、ぼくを生き延びさせることができるのではないか、という一縷の希望」

「……じゃあ、今になって行動を起こしたのは」

「天野先輩が三年生になって、ぼくは思いました。先輩が卒業したら、もしかしたらぼくは消えてしまうのではないかと」


 灯輝が方向性を作ったとはいえ、土台を作ったのは凛子である。その可能性は低いとは言えなかった。


「ぼくは、ここから出たいんですよ」


 遠くを見ながら、仙家は言う。


「卒業して。学校を出て。知らない世界を知りたい。なにも知らないまま、こんな、誰にも気づかれないまま、真っ暗な場所で、消えたくないんです。こんな」


 ぐしゃ、と仙家の表情が歪む。


「こんな、こんな、ところから。早く出たい。もういやだ――」


 搾り出すように仙家は言った。彼からしてみれば、沙織のおみやげは皮肉にしか思えなかったのだろう。たとえ、事情を知らなかったとしても。

 長い語りを終え、仙家はまた、冷たい表情に戻った。


「そんなところです……どうですか、ぼくに食われてくれる気になりましたか?」


 一瞬だけ、それもいいかな、と思った。

 迷ってばかりで弱った自分より、仙家の強い願いを優先したほうがいいのではないか、と思った。

 けれど。

 それは、自分の思いを仙家に押し付けて、逃げることに他ならないのだ。

 負けそうになる心を凍らせて、灯輝は言った。


「今の話を聞いて、逆に――あなたは、僕の手で消してやらなければならないと思った」

「ああ、いいですよ。それでこそ、殺し甲斐があるというものです。

 ――生きていると、実感できますよ」


 仙家はその返事を歓迎するように笑って、両腕を広げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ