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よじり不動と作家の業

 4月29日

 西塚さんへ

 部員のみんなのやる気になったのなら、早く原稿をあげてよかったと思います。

 話によると、部長の赤井先輩は、だいぶ面白い人のようですね。書いていた話からすごく生真面目な人かと勝手に思っていたので、少しおかしかったです。あ、いや別に、ふざけた人とかそういうことを言っているのではなくて。

 そんな人たちが集まる文芸部は、きっととても楽しいところなのでしょう。

 ぼくは卒業できるのかどうかも危ういので、そちらに顔を出す機会はないでしょうが……


◇◆◇


「どういうことかしらね?」


 仙家からの返事を読んで、沙織は首をかしげた。


「卒業ができないかも、って授業さぼりまくり、ってこと? そんな風な人には思えないんだけどなあ」

「んー……」


 教室の机に突っ伏して、灯輝は沙織の話を受け流していた。

 先日凛子に言われた言葉が、頭から離れない。

 ――悔しいなら、逃げるな。

 ――正面から、それを見てみろ。

 心のざわめきが収まらない。

 雪野の力は、さらに弱まったように思える。

 か弱く、頼りない、小さな雪の結晶のようで――


「ねえ、聞いてるの灯輝?」


 気がつけば沙織の顔が目の前にあった。


「うわ!?」


 あまりに予想外の近さに、灯輝は飛び起きた。不機嫌な表情だった沙織も、つられたように驚いたようだった。


「な、なによ、どうしたのよそんなに驚いて」

「い、いや……」


 これじゃ本当に半人前だな、と深呼吸をしながら動悸を鎮める。


「珍しいわね、灯輝がそんなに驚くなんて」

「僕だって驚くことはある」


 そう言って、沙織からノートを受け取る。また動悸が跳ね上がらないように、彼女の指に触れないように、気をつけながら。

 ざっと目を通す。


「『卒業』……?」


 やはり気になるのは、最後の一文だった。

 幽霊たる彼に、卒業なんて関係ないのではないか。

 有名な某アニメである。お化けにゃ学校も、試験もなんにもない、である。

 しかしこの文からは、彼が卒業を望んでいるように読めた。

 学校の幽霊が、学校を卒業したら。

 どうなってしまうのだろう?

 浮遊霊にでもなるのだろうか。というより、学校から出たら、消えてしまうほうが有り得るのではないか。

 彼はそれをわかっているのだろうか。


「訊いてみようかな」


 沙織が言った。


「なんで卒業できないのかっていうより、卒業してどうしたいのか、とか。そういう話のほうが、人に話してがんばろう、って気になるんじゃないかな」

「……優しいね、西塚は」


 素直にそう思えた。沙織は独立独歩を旨とするが、かといって困っている人間を助けない性格ではないのだ。

 言われた沙織は、顔を真っ赤にしてぱたぱたと手を振った。照れているせいで、早口になって、どもっている。


「ち、違うのよ!? 仙家くんは部活の一員だから、会えないけどせめて、悩みくらいは聞いてあげようかな、そしたら部室にも顔を出してくれるんじゃないかな、って、そ、そういう打算含みよ、打算!」

「いや、なにもそこまで赤裸々にぶちまけてくれなくてもいいんだけどね」


 駄々漏れ過ぎて呆れるしかない。

 ただしかし、こういう自分に正直なところとか。


(ああ、こういうのが正面から向き合うってことなのかな)


 なんとなく、灯輝はそう思った。

 自分に正直になるなんてことが。

 果たして、可能なのだろうか?

 仙家に返事を書こうとペンを持った沙織が、ふいに言った。


「そういえば、もうすぐゴールデンウィークね」


 4月30日、と日付を書きながら言う。今年のゴールデンウィークは、5月2日から6日までだった。


「灯輝はどこか行くの?」

「僕?」


 考えてなかった。特になんということもなく過ごすつもりだった。

 いや、待て。


(西塚と一緒にどこか行けたらな、なんて、そんなことを考えなくもなかったけど)


 去年は黙殺した考えだ。しかし今年は凛子からああ言われた以上、思い切って誘ってみるべきではないか?

 場所はどこでもいい。映画でもいい。買い物でもいい。一緒にご飯を食べて、いつものように話をして、メールアドレスを交換できれば最高だ。さすがにそれ以上は今は望めない。望んだら熱くて死ぬ。そんな気がする。

 やらかすことはともかく、基本は真面目な沙織のことだ。宿題も出たりするし、家で勉強をしたり、原稿を書いたりするのではないか。その合間に、もしよかったら、一緒に、少しだけ、出かけられたら、と。

 そんな思いを込めて、灯輝は沙織に訊いた。さりげなく。さりげなくだ。


「ぼ、僕は特に予定はないけど、西塚は? どこか出かけるの?」

「うん。家族で二泊三日の旅行に行くの。宿題は最後の日にがんばって片付けないと」

「……」


 灯輝は澱のように沈黙した。


「あ、お土産買ってくるわね」

「……そう。ありがとう」


 それだけ言うのが精一杯だった。

 心なんてこのまま凍ってしまえばいい。そう思った。


◇◆◇


 ゴールデンウィーク初日。

 沙織は家族と四人で、旅行に来ていた。


(耐え切れるのかしら、本当に……)


 父の運転は急ブレーキと急発進が多く、既に沙織は車酔いで、ちょっと危ないことになっていた。

 家族たちは口々に言う。


「うわ!? 危ない運転してるんじゃねえっつの、この野郎が!」

「混んでるわねー。なんでこんなに人が集まるのかしらね? もっと空いてるところに行きたかったわ」

「……」


 父は自分を棚に上げて周囲の運転を罵り、母がとても今更なことを言い。

 弟はDSでゲームをしながらで自己閉鎖モードになっていた。実は今、それが最も正しい選択なのかもしれなかった。

 家族旅行は久しぶりなのに、ちっとも楽しげな気分にならない。

 どれだけこの家族のフォローをしなければならないか、考えただけで気が重いのだ。

 これからの予定――ほぼ予言に近いであろうことを、沙織は考える。

 父はおそらく、土産物屋で値切りにかかる。しかもちょっと高い焼き物とか、そういうものをである。本当にいいものを買う人間は、そんなところで値切ったりしないぜ父よ。と思う。

 母はたぶん、迷子になる。昔買い物にデパートに行ったときに、子どもながら母を迷子として呼び出したことがある。しかもなぜか母に「ふらふらしてるんじゃない」と怒られた。子どもよりもふらふらしているのはそっちですよ、お母さん、と言いたかった。

 弟はまあ放っておいてもいいが、せっかく外出しているのにゲームばかりやっていそうな感じである。さすがに景色くらいはちゃんと見てほしい。弟よ、姉はあなたの行く末を心配しているのです。

 暗澹たる未来しか見えてこない。せめてこの旅行を取材旅行として、なにかを得て帰ろう。そうでないと、やっていられないと思う。

 吐きそうになりながらようやっと目的地に着いて、一行は車から降りた。そこは、沙織の住む町から遠く離れた山中だった。

 それなりに有名な観光名所で、古い神社や滝などが見所である。駐車場で車酔いの解消のため深呼吸をしていると、観光バスの排気ガスが吹き付けてきた。慌ててやめた。

 目当ての滝を見物するため、家族でぞろぞろと移動を開始する。


「ここの滝は、知ってるか? 日本三大名瀑の一つで――」


 父の薀蓄を聞き流す。そのくらいなら沙織も知っていた。知っていることを偉そうに話されるほど、不愉快なことはないと思った。

 しかも父は後ろを見ずにずんずん進んでいく。ゴールデンウィークで混雑している中を、見失わないようについていかねばならなかった。

 そうしたら案の定。


「……姉ちゃん」


 弟が袖を引っぱってきた。嫌な予感がした。


「母さん、いなくなった」

「あ!?」


 父を追うのに必死で気づかなかったが、言われて周りを見渡せば、確かに母の姿がない。

 まったくどこをほっつき歩いているのか、と毒づき、弟に言う。


「あんた、父さん追いなさい!」

「その父さんも、もう見えない」

「あの自己中どもめがあああああっ!?」


 頭を抱える。素早く携帯を出して父にかけた。出ない。母にかけた。出ない。


「携帯の意味ねえええええっ!?」


 思わず携帯を投げ捨てそうになる。


「姉ちゃん。ちなみに俺携帯持ってないからね」

「知っとるわ!」


 中学を卒業したら買ってもらう約束をしているらしい。


「ええい、くそ、聞き込みか。本当面倒くさいわねあの親ども」


 一応、その親どもには、気がついたら連絡するようにメールを送って、沙織は弟を従え聞き込みを開始した。

 そして一家が揃ったとき、空はオレンジ色をしていた。


(つ、疲れた……)


 沙織はぐったりしていたが、他の三人は元気だった。父は滝が大したことない、と文句をつけて、母は外国人に話しかけられて、英語がわからなかった、と興奮気味にしゃべっていた。弟は相変わらずDSだ。

 そこから泊まるホテルに行って、夕飯を食べた。

 そこで父が、食後のコーヒーを大盛りにしてくれなどと言い出し、沙織は頭を抱えた。隣のテーブルの人が大きなカップで飲んでいたのが、うらやましかったらしい。子どもかおまえはと足を蹴りたくなったが、せめてもの救いは、ウエイターさんが嫌な顔一つせずに受けてくれたことだ。そうでなかったら沙織は泣きながら許しを乞うていたかもしれない。

 そんな風に、旅行はイベント盛りだくさんだった。悲しいことに予想通りだった。

 そしてこれ、一日目である。あと二日、このようなことが続く。


(身が……もつのかしら)


 幸い、今夜の宿は天然温泉があるらしい。そこに浸かってゆっくり休もう。沙織はそんな女子高生らしくないことを思った。


◇◆◇


「ふいー……」


 お風呂あがりに、布団を敷いてごろごろした。今ばかりは至福の時間だ。

 父と弟はまだ大浴場から帰ってきていないので、浴衣の裾が大胆にめくれるのも気にしない。好きなだけごろごろする。風呂上りの火照った身体に、冷たい布団が気持ちいい。

 携帯に手を伸ばし、温泉なう、とクラスの友達相手につぶやく。

 灯輝にもメールを送りたかったが、聞いたら彼は携帯を持っていないとかぬかしていたのだ。いまどき持っている子は幼稚園か小学校から持っているというのに、まだ持ってない高校生なんているのか、と本気で驚いたものだ。

 まあ事前に言ってあるし、お土産も買っていってあげよう。さっきホテルの売店で、雪うさぎのストラップを見つけた。買っていって、そろそろおまえも携帯買え、と言うのもいいかもしれない。

 そんなことを考えていたら、眠くなってきた。歩き回って疲れているのだろう。今日はもう休むことにする。

 布団にもぐりこんで、母におやすみ、と言った。


◇◆◇


 サイレンの音で飛び起きた。

 学校でやる、避難訓練の気が狂ったようなサイレンの音が鳴り響いている。時計を見たら、深夜の二時だった。こんな時間に、まさかいたずらではないだろう。同じく飛び起きた母と弟。父はまだ寝ていた。

 館内放送があった。


『ただいま、館内で火災が発生しております。これは訓練ではありません。お客様は速やかに非難をお願いいたします。係りの者が館内の誘導をしておりますので、指示に従って速やかに非難をお願いいたします。繰り返します、館内で火災が発生しております、これは訓練ではありません――』


 火事だ。父を蹴り起こす。


「なんだ、騒々しい……」

「お父さん。火事です。とっとと外に出ましょう」


 慌ててとっ散らかっていた荷物をかき集める父。母と弟は手荷物を手早くまとめていた。

 沙織は乱れに乱れた浴衣を直しながら、叫ぶ。


「非常階段はドアを出て右にありました。持てるものを持ったらすぐに! お父さん! 貴重品だけで今のところは十分です!」


 父を急かす。母と弟を先に出す。入館の際に、最低限非常口はチェックしていた。

 沙織もまとめてあった荷物を引っつかんで外に出る。相変わらずサイレンが鳴り響く中、他の客たちも慌てた様子で非常口に向かっていた。

 まだそれほどではないが、薄く煙の臭いがする。沙織は家族と共に、非常扉をくぐり、階段を足早に降りた。

 ホテルの従業員が、庭に向かうように腕を回して誘導している。多くの客たちがそれに従い、ばたばたと動いていた。沙織もその流れに乗ってホテルの庭に向かった。

 庭には黒山の人だかりができていた。ホテルの建物からはそれなりに離れたところで、ここなら火の手が迫ることもないだろう。余裕ができた者たちは、まさしく対岸の火事といった様子で、火事を遠巻きに見守っていた。

 家族が全員揃っていることを確認した沙織は、とりあえず息を吐いて、ホテルのほうを振り返った。

 瞬間、ボムッ! とホテルの一室が爆発した。

 避難者たちからあがる悲鳴。炎は黒煙を吐き出しながら、暴力的な勢いでごうごうと、窓から噴きだしていた。

 沙織は荒れ狂う炎を見た。燃え盛る圧倒的な熱。闇夜に煌く火の粉。

 揺らぎ、立ち上り、酸素を貪欲に取り込みながら、さらに大きさを増していく。


(――これ)


 不謹慎ながら、とは思う。こんな状況で、とも思う。

 だが、そうと気づいてしまったら、その思いは止められなかった。


(これ、戦巫女ユウガオの、描写に使うわ……!)


 こんな大火、滅多に見られるものではない。今までユウガオの話を書いていた中で、どうしても納得できなかった、炎のシーン。どうしてこんなにしょぼい描写しかできないのか、と思ってきたが。

 それがこれで、違ってくるかもしれない。この炎の中で、ユウガオはいつも戦ってきたのだ。それをこの目に焼き付けなければならない。

 煌々と燃え盛る炎。勢いよくうねるその様。まるで生きているかのようにのたうちまわる。

 夜の中で吐き出されるその熱さ。舞い散っては消えていく儚い火の粉。

 それはユウガオの生き様だ。

 また爆発が起こる。さらに炎は広がる。

 誰がなんと言おうと、炎は止まらないのだ。

 消防車がやってきて消火活動をするまで、沙織はその光景を凝視し続けた。

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