冤罪の理由
衝撃の犯人呼ばわりをされて。
とりあえず自分の席に座った灯輝は、額を押さえながら沙織に訊いた。
「……で、なんだって僕が仙家さんだって思ったんだい?」
「このノートよ」
対する沙織は犯人を追い詰める探偵のように、大仰な身振りで証拠物件を掲げた。それは昨日言っていた交換ノートだった。
「このノートが部室にあることを知っていたのは、私と、あなただけなの」
「……」
それだけでは証拠として弱いのではないか。黙っていると、沙織が続けた。
「私は昨日、最後に部室を出たわ。そのときに机にノートを置いた。それからいくらか待ったけれど、誰も来なかったの。
そして今朝早く、誰も来ないうちに部室にノートを回収に行った。そうしたら、書き込みがあった。
おそらくあなたは、私よりさらに早く学校に来て書き込みをし、さも今登校しましたという風を装って、なに食わぬ顔で教室に来たのよ」
ちなみに部室の鍵は、文芸部の表札の裏に隠してある。特に盗まれるようなものがないからとはいえ、ずいぶん無用心なものだが。確かに、それがわかっていれば部室は密室ではない。誰でも出入りができる。
しかし、それができたとしても、ノートの存在を、他の部員は知らない。
それを知っていたのは、沙織と、灯輝だけなのだ。
「……」
「前から疑問に思っていたの」
沈黙を続ける灯輝を前にして沙織は追及を止め、遠くを見るように言った。
「あなたは一年前、うちの部活に見学に来ようとして、やめている」
「――!」
思わず、反応する。なぜならそれは事実だからだ。
灯輝は去年、自分も文芸部に入ろうか思い、見学のため部室に行こうとしたことがある。その時はなぜ引き返したのかというと、部屋の前まで来たところで部室に凛子が入っていくのを見えたからだ。ダッシュで逃げた。
しかしまさかその場面を、沙織に見られていたとは。
「なぜ見学に来ようとしてやめたのかはわからないけれど、あなたがうちの部に興味を示していたことは事実。
そして、時期的にはその直後――仙家くんの入部届は提出されているのよ」
「……」
灯輝は、組んだ両手を額に当て、うつむいた。
「なぜなの?」
追い詰められ、黙ったままの灯輝に、沙織が疑問を差し出す。
「それは考えたけれどわからなかった……なぜ正体を隠してまで、うちの部活に入ったの?」
「……」
「なぜ……?」
そこで灯輝は顔を上げ、組んでいた両手を口元に置いた。
「――ばれてしまっては仕方ないね」
「灯輝……」
「西塚……」
お互い見つめ合い、しばしの沈黙が訪れた。
緊張した空気が漂う。
本来なら、そこで犯人の語りが始まるところだ。犯行の動機を、新たな真実を。高波が散る崖の上で、冷たい風を浴びながら最後の告白が始まる場面。
そこで紡がれる言葉は、一体何を示すのか――
「って、そんなわけがあるかぁ!?」
「えー」
特に何も示さないので、普通に抗議した。沙織が不満げな声をあげる。
「雰囲気と状況証拠だけで、あやうく犯人にされるところだったよ!」
「違うのー?」
「違うよ」
「なあんだー」
心底残念そうに、沙織は椅子にだらーっと寄りかかった。
「まあ確かに、かなりの牽強付会だなーとは自分でも思ったけどさー。そっか、残念。灯輝が仙家くんだったら、なにがなんでも部室に引っぱっていくつもりだったのになあ」
「ご遠慮したいね」
「ちぇー」
沙織は口を尖らせ、足をぶらぶらさせた。ある不吉な想像が、灯輝の脳裏をかすめる。
「西塚……その様子だと、最初から僕に罠を嵌めるつもりでノートとか言い出したんじゃ……」
「そうよー」
「悪びれない!?」
即答されて、少なからず衝撃を受けた。
沙織はにこにこ笑いながら、恐ろしいことを口にする。
「目的のためなら、努力も手段も手練手管も惜しまないのよ私はー」
「えー……」
そういう人間だとは知っていたが、改めて沙織の怖い面を垣間見たと思った。
気を取り直すためか、沙織はうん、と息をつき、椅子に座りなおしてノートを広げる。
「まあ、しょうがないわね。こうなったらやっぱり、このノートを手がかりにして情報を集めるしかないか」
「西塚……『しょうがない』って言えば全部大丈夫だと思ってる?」
「うんまあ、それはそれ、これはこれ」
荷物を脇に置く仕草をしてから。
「問題は、この文面よね……」
言われて渋々と、灯輝はノートを見た。
◇◆◇
4月26日
西塚さんへ
こんばんは、仙家です。
ちょっと事情があって、姿を見せることはできないのですが、こういう機会を設けてくれて、ありがとうございます。
今日は原稿をあげてきました。西塚さんの作品も楽しみにしています。
灯輝が提案したように誤魔化したり、嘘をついたりしているわけではないものの。さすがに姿を見せない理由は、曖昧にぼかして書かれていた。その辺りは仙家も気を遣ったらしい。
先日の態度を思えば、かなりまともな書き込みだと思う。ひそかにほっとして、筋書き通り、灯輝は沙織を当たり障りのない方へ誘導することにした。
「西塚の話、楽しみにされてるよ」
「書いてるわよ。『戦巫女ユウガオ戦記』」
沙織はいつも書いている作品の名前を言う。だがこの話題では、彼女の興味は引けなかったらしい。いつもの軽口だと流されて、沙織は本筋に戻り文面の最初の部分を指差した。
「これ、『こんばんは』って書いてあるけど、本当に夜に書いたものなのかしら?」
嫌なところに感づくものだ。仙家も気を利かせて、単なる枕としてこんにちはと書けばいいものを。だが否定するのもおかしいので、うなずいておく。
「まあ……そうかな? 西塚が帰った後は、夜間か朝のかなり早い時間しかなかったわけだし、朝でこんばんはとは書かないよね」
「そう。結構遅くまでいたんだけど、それよりも校舎に残ってたのね」
「そう、だね」
「案外――本当に幽霊だったりしてね」
本当に幽霊なんだけどね。
これだ。事情を知らないがゆえの冗談だが、内心、冷や汗が止まらない。もう一度話題を逸らそうと、今度は仙家の原稿のことを訊いてみることにした。
「そういえばさ、仙家さんは今回、どんな話を書いてたの?」
「んー。今回はね、吸血鬼の話だったわ」
「吸血鬼」
反芻する。
吸血鬼。
血を吸う――コウモリ。
その単語からは、否応なしにその動物を連想した。左腕に負った傷が痛んだような気がした。
ひょっとして、と思う。仙家は、自分と同じく学校に巣食ったコウモリに、親近感でも抱いていたのだろうか。己と同じ、夜にしか活動できないその存在を。
あのコウモリは、学校にとっても有害なものとなりつつあった。だから灯輝が退治したことは間違いではなかっただろうが。仙家にしてみれば、友達を奪われたと同じことだったのかもしれない。
だからあんなに怒っていたのか? と思ったが。
(いや……違うな)
灯輝はともかく、それだと沙織が関係してこない。
全部、憶測でしかない。先ほどの沙織の強引な推測と同じだ。灯輝はそこで考えを打ち切った。まだパズルのピースが足りない。
「さて、じゃあお返事を書かないとね」
沙織がシャープペンシルを手に取り、ノートに滑らせた。
◇◆◇
4月27日 晴れ
仙家くんへ
書き込みありがとうございました。それと原稿も読ませてもらいました。こちらもいつも楽しみにしています。これで部長以下、私も気合いが入ります。原稿に取り掛かることができるでしょう。
「……え、なに、みんなこれから書くの?」
ごもっともな灯輝の疑問に、沙織があっさりと首肯した。
「そうよ。仙家くんが原稿をあげてみんなを焦らせて、中間テストの現実逃避でスパートがかかって、夏休み前に急いで仕上げて、印刷所に持っていくの」
「そ、そんなもんなの?」
「言ったでしょ、ものを生み出すのには、相応の時間と苦しみが必要なのよ」
「そうなんだ……」
「そうなのよ」
そうねえ、うちの部長なんか、そういうのがモロに出るタイプだけど。と沙織は思った。
◇◆◇
案の定、部長の赤井至六郎は大騒ぎしていた。
「原稿が、あがっているぞおおおおっ!?」
放課後の文芸部室。いつものメンバーが揃ったそこで、文芸部の部長は頭を抱えて叫んでいた。
「なんと……! またもや仙家の一番乗りだ! あいつは一体どんな精神構造をしているんだ、こんな、第一次締切に間に合わせてくるようなやつの考えなど――計り知れん!」
計り知れないのは部長の錯乱っぷりのほうだ。そう思って沙織は声をかける。
「部長、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか!?」
落ち着くどころかさらに激昂して、至六郎ははるかな昔から文芸部の備品である、原稿用のフロッピーディスク(そろそろいいかげん、新しくUSBメモリを買おうという話が出ている)を引っつかんだ。追い詰められた者特有の鬼気迫る表情で、凛子と沙織を見やる。
「まだ一行たりとも書いていない俺を、馬鹿にしてるんだろう!?」
「やっぱりまだ書いてなかったのか」
「そうだとは思っていました」
「だが今の俺はそうではない!」
冷たい反応をする女性二人を強引に無視し、至六郎はフロッピーディスクを掲げて言い放った。
「これから俺はパソコン室へと向かう! 我はと思うものはついて来い!」
熱い台詞とともに至六郎は身を翻して部室を出て行った。宣言どおりパソコン室へ向かったのだろう。
「……えーっと」
「……」
初めての展開でついていけないのは、一年生二人だ。陽介と幸姫は、呆然と開いたままの部室のドアを眺めていた。
沙織が要約する。
「これからパソコン室で原稿を書くから、一緒にやりたい人はついてきなさい、って部長は言ってたのよ」
えらく回りくどい言い方だったが、つまりはそういうことだ。その言葉を受けて、一年生の小さな女子生徒、幸姫がすっと席を立ち、同じくフロッピーディスクを持ってトコトコと部室を出て行く。
「あ、待ってよ幸姫」
陽介がそれを追うように部室を出て行った。沙織はそれを微笑ましく見守る。
あの一年生二人は、昔からの幼馴染だということだ。高校生になっても仲のよい様子に、思わずほんわかした気分になってしまう。
そして部室には、凛子と沙織が残された。
「先輩は行かないんですか?」
「わたしは行かんよ」
凛子がひらひらと手を振った。
「わたしは手書きで書いて後で清書するたちだから、今行っても意味がない。
それに、ああなった至六郎は集中力全開で一気に書き上げるからな。それの邪魔はしたくないんだ」
「なんか、そういうとこ天才肌ですよね、部長って……」
苦笑しながら至六郎が出て行った扉を見る。今頃はものすごい勢いでキーボードを叩いているに違いない。すると珍しく、凛子がフォローを入れてきた。
「あいつは性格はアレかもしれんが、腕は確かだ。ああ見えて、伊達に部長をやっているわけじゃないんだぞ」
「うーん、信頼されてますね」
笑いながら言いはするが。
正直、うらやましいと思う。
三年生の、赤井至六郎、天野凛子のコンビ。
一年生の、向田陽介、筑紫幸姫のコンビ。
この二組には、形は異なれど、確かな信頼関係が存在する。
対して、自分はどうだろうかと考えてみる。二年生は、自分ひとりだ。
仙家がいるじゃないかと思うだろうが、彼(ひょっとしたら彼女だろうか?)は部室で顔を合わせたことがない。今まで一度も、ない。
いつも締切には原稿を上げてくる、立派な部員ではあるのだが――それだけだ。
トランプをして笑ったり、ふとした瞬間に信頼を感じたり。この部活で当たり前にできているそんなことがない。
繋がりが、ない。
そういう意味では、仙家は『部員』ではないのだ。
(ちょっとだけ、ね)
あの四人を見ていたら、考えてしまったのだ。
自分にも、あんなふうに、お互いを気遣えるような人がいないかな、と。
さみしいな。
誰かいないかな。と。
そんな風に思ってしまったのだ。
恥ずかしくて灯輝には言っていないが、実はこれが、沙織が仙家を探し始めた理由なのである。
そんな調子なので、今までもなんだかんだと機会を見つけて、灯輝を文芸部に引っ張ってこようとしたことがある。彼ならきっと、この場所で『部員』としてやってくれると思ったから。
けれど、そんなことはなかった。今までやってきた勧誘は、全て失敗に終わっている。相変わらず文芸部の二年生は、沙織一人だった。
けどそれは、いつものことだ。特に変わりはない。
「よし、じゃあ私もがんばろう!」
自分を鼓舞するように、沙織は頬を叩いた。
そんな彼女に、凛子が話しかける。
「なあ、西塚」
「なんですか?」
「気の早い話だと思うんだが、来年の部長はおまえでいいか?」
そりゃまた確かに気の早い話だ、と思う。まだ自分は二年生になったばかりだというのに。しかし一人しかいない以上、それがもちろん、当然の成り行きだ。うなずく。
「やりますよ。と言ってもうちの学年は一人しかいませんし、私がやるしかないじゃないですか」
「誰か友達で、入部してくれそうな人はいないのか? 一人で部長というのは大変だろう」
訊かれてぽんっと、灯輝の顔が思い浮かんだが、沙織は手を振った。
「誘ってる友達は一人いるんですけどねえ。今日も言ったんですが、断られちゃいました」
「そうなのか」
「そうなのです」
まあそんな厳しい部活動ではない。一人でもやっていける。
「心配してくれてありがとうございます先輩。けど私は一人でも大丈夫ですよ」
にっこり笑って言うと、凛子はなぜか渋面になった。
「あいつめ……自分の好きな娘に、こんな強がりをさせおって……。我が身可愛さに傍観を決め込むなど、男のすることではないのだぞ……」
「先輩、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。こっちのことだ」
そう言いつつも、凛子はなおもぶつぶつ言っており、『呼び出し』『説教』などという単語が切れ切れに聞こえてくるのだが。
まあなんでもないと言われた以上、なんでもないのだろう。沙織は追及はせず、自分の原稿に取り掛かることにした。