第7話 慈善団体を視察したら革命の火種でした
どんよりとした曇り空の下、私はアッシュフィールド家の紋章が入った馬車を降り貧民街の入り口に立っていた。
身に纏うのは、領主としての威厳を示す漆黒のドレスと、上質な外套。
潜入捜査? まさか。
私はこの地の領主、合法団体を視察するのに何をコソコソする必要があるのって。
自分の庭を見て回るのにいちいちネズミのように隠れる必要なんてない。
「……リリアーネ」
護衛として背後に立ったステラが、周囲に聞こえないギリギリの声量で囁いてくる。
「わざわざ顔を晒して行くとか、正気? 標的に警戒されるだけ」
「あら、逆よステラ。私が堂々と姿を見せることで、相手がどう出るかを見るの。媚びるか、恐れるか、それとも――敵対するかね」
私が歩き出すと、貧民街の住人たちはそそくさと物陰に引っ込んでいった。
彼らからすれば、貴族というものは得体の知れない化け物に等しいのだろう。
不用意に機嫌を損ねれば、容赦なく打ち首にされかねない搾取と恐怖の象徴なのだから。
「で、どうするの?」
「ん?」
「そいつらリリアーネの潜在的な『敵』なの? ……なら、今ここで私が消してしまおうか?」
淡々と。まるで食器でも片づけるかのような調子で、ステラがとんでもないことを提案してくる。
「はぁ……あんたねぇ」
「何?」
「政治っていうのは、邪魔者を殺せば解決するほど単純じゃないの。今の彼は言わば民衆の英雄よ? そんな人を公衆の面前で処刑してみなさい。民衆の怒りが爆発して、それこそ明日には暴動が起きるわ」
「でも、痕跡を残さず処理すれば……病死や事故に見せかけることもできるけど? 得意だし、そういうの」
多感な時期を“赤の眼”の暗殺者として育てられたステラは、こういう所に倫理観が壊れている。
別に私は人道主義を気取るわけじゃない。いつかステラにそれを命じる時がやってくる可能性もある。
だが、それを命じるのは今ではないし、相手を殺すのは私自身の殺意で持ってのみ。
私が首を横に振ると、ステラは不満げに尻尾を揺らした。
「……納得いかない」
「何が?」
「リリアーネは言ったよ。『アッシュフィールドの狼として、私の隣で牙と爪を研げ』って」
ステラは周囲を警戒しながら、私にだけ聞こえる声で訴えてくる。
「私はあなたの爪でしょ? 敵を噛み殺すために研いだこの牙、なんで使わせてれないの?」
「いやいやいや! なんでそう短絡的になるの!?」
私は思わず素でツッコミを入れそうになり、慌てて咳払いをする。
危ない、領主としての威厳が崩れるところだった。
「あれは比喩よ、比喩! 『頼りにしてるわ』とか『共に戦ってね』くらいのニュアンスよ! 誰が『ヒャッハー! 邪魔者は皆殺しだぜぇ!』なんてモヒカンみたいなこと言ったのよ!」
「……つまり、殺すのはリリアーネの指示次第、と」
「……まあ、そういうこと」
私はステラに「殺すな」とは言えなかった。
そもそも、私は自分の命令ですでに叔父の命を奪っている。
今さら暗殺者として育てられた元皇女様を憐憫の感情だけで“殺すな”なんて、どの口が言えるんだろうか。
そんな会話をしているうちに、広場が見えてきた。
そこだけ空気が違った。領主である私が近づいているというのに、誰も逃げようとしない。
それどころか、中央にいる一人の男を守るように密集している。
「――領主様のお成りだ! 道を開けろ!」
先導の衛兵が叫ぶと、ようやく人々が割れ、その中心にいた人物が姿を現した。
「お初にお目にかかります、領主様」
湯気が立つ大鍋の前で、その青年司祭――調べによるとカルロス・アセンシオという男は、恐れる様子もなく穏やかに一礼した。
粗末な修道服に身を包み汗を拭いながらもその瞳には一点の曇りもない。
線が細く、温厚そうな垂れ目。人を疑うことを知らなそうな純朴そのものの笑顔。
(……なるほど。これは確かに「聖人」だわ)
私は彼を見下ろしながら、値踏みをする。
私が睨んでも、彼は萎縮しない。かといって敵意もない。
ただ純粋に「ようこそいらっしゃいました」という顔をしているのだ。
「カルロス司祭と言ったかしら。“麦の穂”の代表は」
「あ、はい……私自ら名乗ったわけではないのですが、いつしかそう呼ばれる集まりになったようで」
「……教会の許可なくこのような活動をされるのは、あまり感心しませんわね」
私が威圧的に告げると、カルロスは少しだけ困ったように眉を下げた。
「ええ、まあ……司教様方には睨まれています。ですが、許可を待っていては、今日飢えている人たちは救えませんから。……私はただ、目の前の悲しみを放っておけないだけなのです」
その言葉に嘘はない。
金儲けの匂いもしないし、野心も見えない。
だが、カルロスを取り巻く群衆は、私への不審の眼差しだけでなく――彼への“崇拝”の眼差しも向けていることに気づかされた。
(マズいわね……)
私は直感する。カルロスは善良だ。けれど巨大な組織を統率できる器ではない。
彼は自分が起こした波の大きさを理解していない。このまま組織が大きくなれば、彼はきっと民衆たちの熱狂に流され、望まぬ反乱の旗印に祭り上げられる。
そして最後は、その純粋な善意ごと歴史の波に飲み込まれて死ぬのだ。
国の基盤が爆散するほどの大きな禍根を残して――
「……励みなさい。ただし、法が許す範囲で」
「はい、ありがとうございます領主様」
私は短く告げると、踵を返した。
背後からは安堵のため息と、カルロスを称える信者たちの声が聞こえていた。
※
帰り道。馬車に乗り込み、扉が閉まった瞬間にステラが共犯者の顔に戻る。
「で、どうするの?」
「………」
「あまり、よくないと思う。今はまだ大人しいけど、民衆の心をつかんでいるのは厄介。領主よりも神よりも彼らの心の拠り所になりつつある。ヴァリャーグはああいうところにつけ込む。――革命って、多分そういうものだから」
当事者は語るってやつか。
皇女という革命の犠牲者として。
諜報員という革命国家の暗部を知る者として。
「もう少し空気を入れれば限界まで膨らんでしまう風船。今のうちに穴を空けてしまってはどう?」
ステラは首を傾げながら、指先で首を掻き切るジェスチャーをした。
私は苦笑しながら彼女の額を指でピンと弾く
「いたっ、何よ……」
「だーかーら! 殺さないってば」
「じゃあどうするの。放置?」
「それも悪手よ。……彼は悪人じゃない。ただの器の小さな聖人。だからこそ、たちが悪いの」
私は窓の外を流れる景色を見ながら、次なる手を頭の中で組み立てていた。
殺すことも、放置することもできない。なら、やることは一つだ。
「私が彼らの『パトロン』になるのよ。資金も場所も提供して、私の目の届く範囲で慈善活動をさせる。……飼いならすのよ、あの聖人様を」
「飼いならす……?」
「ええ。彼には清貧な聖者のままでいてもらうわ。……ガッチガチに管理された首輪付きのね」
ステラは呆れたように肩をすくめた。
「……でも、それって教会の許可がいるんじゃないの?」
「そこが問題なのよ」
ここが頭の痛いところ、今の彼らは無許可の活動団体だ。
下手に私が介入して公認を与えれば、頭の固い地元教会の司教が黙っていない。
「領主が異端を支援した!」と騒ぎ立て、最悪、私ごと異端認定されかねない。
この世界でも異端認定は、社会的抹殺と同義だ。
麦の穂を飼いならすには、どうしても話の通じる、強力な教会の権威という後ろ盾が必要なのだが……そんな都合のいい人物、この田舎にはいない。
「……ま、とりあえず帰ってから考えましょう」
※
屋敷に戻ると、ヴェルナーが玄関で待ち構えていた。
何か緊急の案件!?と一瞬身構えたが、表情を見る限りそうではないらしい。
「お帰りなさいませ、お嬢様。……お伝えしたいことがございます」
「何? お父様の隠し子でも見つかった?」
いたらクソほど面倒くさいことになるので、できれば勘弁してほしいのだが――だがヴェルナーに「それはあり得ないかと」とあっさり流された。……そこもうちょっとリアクションちょうだいな。
「教会からの通達です。……急な話ですが、アッシュフィールド教区の担当司教が変更になったそうで」
「あら。前任者がお隠れに? それとも不祥事で更迭?」
「いえ、いわゆる玉突き人事ですな。ある人物をここに送る込むために、前司教はすでに別の教区へ異動されたようなのです。新司教は明日到着するとのこと」
教会には“担当司教”が存在する。実質教皇庁からの監査役であり、地元領主にとって目の上のたんこぶではあるが、お近づきになれて損をする人材ではない。
が、今の司教は普通の保守的で頑固な聖職者。
教会から睨まれかねない“異端に片足”突っ込んでる麦の穂に首輪を付けるために利用するには厳しい相手だった。
「へえ、次はどんな石頭が来るの? また説教好きのお爺さん?」
「それが……お名前はリュシア・バルディーニ。『教会史上最年少』で司教に上り詰めたという現在18歳の才女だそうで」
「18歳!?」
私は思わず声を上げた。私とほとんど変わらないじゃないか。
ヴェルナーは言葉を濁すように続ける。
「ただ……少々、悪い噂も。なんでも『聖女』と称えられる反面、数々の問題行動で中央を追われた『問題児』だとか。今回の人事も、事実上の左遷のようでして」
――左遷された、問題児。
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内でバラバラだったパズルのピースがカチリと音を立てて嵌った。
(……使える!)
中央に不満を持つ実力者。
型破りな異端児。
もしその噂が本当なら、彼女は“麦の穂”を飼いならすための、これ以上ない最強の“劇薬”になるかもしれない。
「ヴェルナー。明日の予定は全てキャンセルよ。その新司教様を最優先でお迎えするわ」
「は、はい……承知いたしました」
私はニヤリと笑う。
隣でステラが、げんなりした顔で呟いた。
「……また、ろくでもないこと考えてる顔」
「失礼ね。運命の出会いに感謝してるだけよ」
次なる一手。
――それは教会から堕ちてきたこの“左遷聖女”を巻き込んだ、麦の穂乗っ取り計画だ。




