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第55話 異形の獣と脈打つ穢れ

 (ドローン)の視界が捉えた「動く影」は、すぐそこまで迫っていた。


「来るわっ! 正面!」


 私が警告した直後、前方の茂みが激しく揺れ黒い影が飛び出してきた。

 鹿だった。

 ――いや、鹿だったもの、と言うべきか。


 体毛は半ば抜け落ち、露出した皮膚は痛々しく爛れている。

 だがそれ以上に目を引いたのは、体のいたるところから突き出た赤黒い結晶だった。

 肩、背中、脚の関節。筋肉を食い破るようにして、鋭角の結晶が皮膚を突き破って生えている。

 まるで体の内側から石が芽吹いているかのような異様な光景。


 そして最も禍々しいのは頭部だった。

 本来あるべき角はなく、その代わりに赤黒い結晶の枝が王冠のように頭頂部から放射状に伸びている。

 結晶の王冠は鈍く脈動し、一つ一つの表面に血管のような赤い筋が走っていた。

 白濁した目は理性の光を完全に失い、口からは泡混じりの涎が糸を引いている。


「……ひどい」


 思わず声が漏れた。

 瘴気がここまで生物を変質させるのか。

 かつて森で穏やかに草を食んでいた生き物の成れの果てが、ここまで冒涜的な姿になるなんて……!


「伯爵様、あの結晶――瘴気の汚染が極度に進行すると、生物の体内で結晶化すると知ってはいましたが……ここまで――」


 エセルの声が緊張で僅かに震えていた。


 つまり、瘴気を放置した先にあるのは土地の汚染だけではない。

 あの結晶は動物の体にも生える。

 ということは――人間にも。

 ホルン村の人々がこうならない保証はどこにもないのだ。


 思考を巡らせている暇はなかった。

 瘴気鹿が頭を振り上げ、結晶の王冠を突き出して突進してきた。


「下がって――」


 最初に瘴気鹿の前に躍り出たのはステラだった。

 逆手にナイフを構えながら踏み込み、二歩で最高速度まで達する。

 白い影がすれ違いざまに鹿の前足の健に刃を走らせた。

 乾いた音と共に前脚が崩れ、鹿はつんのめるように前にバランスを崩す。


 だが倒れない。

 傷口からギチギチと結晶が盛り上がり、切断された足を補強して体勢を立て直そうともがく。

 その口から、壊れた金管楽器のような不協和音の叫び声が響く。


「チッ――しぶとい」


「しゃらくせえッ!」


 横に回り込んでいたウィンが、大剣を袈裟懸けに一閃。

 歪な結晶の王冠ごと、鹿の頭部が両断されていた。

 断面から赤黒い液体が噴き出し、結晶の破片が地面に散らばる。

 頭を失った体はしばらく痙攣するのもやがて動かなくなった。


「大丈夫かメイドの嬢ちゃん」


「ん、やはり対人戦闘以外は慣れない。まだまだ」


「いやいや、その身のこなしは大したモンだぜ」


「どうしても人間相手の急所を狙う癖がついているから、動きを止めきれなかった。あなたが即座に追撃してなかったら反撃を受けてたかも」


 ステラが珍しく自らの技量不足を嘆く。

 確かにステラは暗殺者として対人特化の技術を叩きこまれていた。

 ゆえに人間ならば一撃で無力化できる場所がはっきりとわかるし、それに対する最短経路で攻撃ができる。が、魔物――特に瘴気で異形化した存在相手に急所攻撃が有効とは限らないということか。


「それを差し引いても、あの動きを二歩で詰めてナイフを入れるあんたは大したもんだよ」


「……」


 ステラはウィンの賞賛にも小さく頷くだけにとどまった。

 彼女は鹿の死骸に傍らにしゃがみ込むと、ナイフで胴体を切り開く。


「リリアーネ、これを見て」


 鹿の体内は赤黒い結晶が網目状に広がり、骨や筋肉や臓器を侵蝕していた。

 表面に生えていた結晶は氷山の一角で、体の内部はもっと凄惨な状況になっていることが分かった。


「エセルさんこれ……」


「変異の進行度から見て、この個体が瘴気に曝され始めたのはおそらく二ヶ月ほど前ですわ。体内の結晶化は末期に近い段階です」


「二ヶ月前……村の井戸水がおかしくなったのがひと月前。汚染源はさらに前から活動していて、人間の生活圏に影響が出るまでにずれがあったのね」


「ご明察ですわ」


 ――二ヶ月放置でこの有様。

 ホルン村の住人がこうなるまでの猶予が、あとどれだけ残されているのか。

 考えたくもないが、考えないわけにはいかない。


「急ぎましょう。元を絶たないと、村が手遅れになるわ」


 ※


 鴉の目が示す瘴気の収束点に向かって、さらに森の奥へ踏み込む。

 道中、鴉の偵察のおかげで汚染が特に酷い地帯を避けることができたが、それでもここまで来ると森の様子は一変していた。

 歪に病んだ森はこれまでは奇怪ながらも有機的な印象だったものが、次第に結晶化した部分が増え始め、無機的、人工的な様相へと移り変わっているように見える。

 鹿の体内と一緒で、森そのものが結晶に侵蝕されつつあった。


 そして森の侵蝕度合いに比例するように、こめかみの奥が疼いている。

 やはり人体にも異変は現れ始めている。

 やがてエセルが立ち止まった。


「……この先ですわ」


 声が低い。顔から血の気が薄れている。

 彼女の探知能力が、前方のそれをどれほどのものとして感じ取っているのか。その表情だけで十分に伝わった。


「鴉でも確認してるわ。うん……あの先で瘴気の流れが一点に収束してる」


「ええ、そこが穢れの中枢部。この森の異常現象の原因はほぼ間違いなくあそこですわ」


 結晶化しつつある森が開けた。

 その空間だけぽっかりと円形の広場のようになっていた。

 森の木々は枯れ果て、地面からはタケノコのように赤黒い結晶物がびっしりと突き出ていた。


 さっきの鹿にも、道中の木々にも見たあの結晶の大元がここだ。

 そして、その円形の中心に――それは、あった。

 赤黒い結晶でできた、柱。

 地面から斜めに突き出すように聳え、太さは大人の胴回りほど。高さは私の身長の倍はある。


 表面には血管のような筋が幾重にも走り、鈍い光を放って脈動していた。

 乾いた血にも焼けた鉄にも見える不気味な質感。

 脈動するたびに、周囲の空気が波紋のように揺らぐのが肉眼でも分かった。

 あれが呼吸するように瘴気を吐き出しているのだ。

 近づくだけで、頭蓋を万力で締め付けられるような圧が全身を打つ。


 四人とも、誰も声を出さなかった。

 ウィンですら笑みを消えていた。

 気さくなおじさんの顔の下から覗く、別の顔。その目が瘴柱を射抜くように見据えていた。


「あれは――瘴柱(ピラー)……」


 エセルが息を呑んでたじろぐ。


「ここまで育っていたとは……」


「こいつが全部の元凶か。道理で村がああなるわけだ」


 ウィンの声は低く、静かだった。

 気さくな口調すら消えている。


 私は瘴柱を見つめていた。

 瘴気が高密度に結晶化した塊。存在するだけで周囲を侵蝕し、汚染するモノ。

 知識としては知っていた。前世と現世、両方の知識から。

 だが実物を前にして思い知らされる。

 これは画面の中の演出じゃない。現実に存在し、現在進行形で森を病ませ、獣を歪ませ、やがては人間を蝕む。

 本物の災厄が、目の前で脈打っていた。

次話の投稿は3/25を予定しています。

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