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第54話 瘴気の森で出会った「只者じゃない」冒険者親子

 村はずれに続く道を進むとほどなくして森にたどり着いた。

 広葉樹が立ち並ぶ、郊外にはありふれた里山の森に見えるが――


「空気が変わった」


「ええ……間違いなく、瘴気が漂ってるわね」


 ピンとステラが白い狼耳を立てた。

 私もまた頭の上の狼耳と尻尾がピリピリと逆立つような違和感を覚えている。

 村では瘴気はねっとりと肌に纏わりつくような感じだったが、ここではチクチクと毛穴を刺激されるような感触に変わっている。


「ん……村よりも明らかに瘴気の濃度が高い。リリアーネ、何か変なところはない?」


「今のところ目立った体調の変化はないわ。あなたは?」


「まだ異常はなし」


 まだ――か、穢れの中心に近づくにつれ、私もステラも何かしらの異常が起きるのかもしれない。

 体調に異変を感じたら即座に撤退を視野に入れておくべきだろう。


 ステラの狼耳が周囲の音を探ろうとしきりに動いている。

 さすがステラだ。どんな時も状況把握に余念がない。


「鳥の声がしない」


 言われて初めて気がついた。

 里山の森なら鳥のさえずりは絶えないはずだ。

 それに風に乗って木々がざわめく音もしない無風――

 森が、沈黙していた。


「瘴気が濃い場所ではよくあることよ。動物は本能で危険を察知して逃げるから」


「……気味が悪い」


「同感」


 足元の草木も異変が見受けられるようになってきた。

 本来なら青々と茂っているはずの草が、妙にねじれた方向に伸びている。

 茎の色も健全な緑ではなく、黄ばんだような色をしている。

 

 木の幹を見れば、樹皮の隙間から滲み出る樹液が赤黒い。

 病み森――そう例えるのが一番適当かもしれない。


「――人の気配。二人いる」


 ステラが右手を上げて私を制止した。

 ナイフの柄に手を添え、獣道の先を凝視している。


「方角は?」


「正面、五十歩ほど先。こっちに向かってきている」


「警戒はして、ただし――出会い頭にいきなり攻撃するとかだけはしないでね」


「……善処はする」


 いやそこは「しない」と断言してくださいよステラさん。

 私たちが足を止めて数秒後、茂みを掻き分けて二つの人影が姿を現した。


 先に出てきたのは、大柄な偉丈夫だった。

 歳のころは五十――いや、もう少し若いか。おそらく四十代半ばくらいだろう。

 背丈は私の頭二つ分は上。厚い胸板にさっぱりとした短髪の黒髪。背中に背負った大剣がやけに似合う、いかにも「戦場を渡り歩いてきました」という風体の男。

 だが、その顔に浮かんでいるのは武骨さとは裏腹の人懐っこい笑みだった。


「おっと。お嬢ちゃんたち、こんな森に何の用だ? 言っちゃなんだがこの森はかなりヤバい状況になっているぜ」


 砕けた口調。大きな手を肩の高さまで上げて、敵意がないことを示している。

 そして偉丈夫の後ろから、もう一つの人影が現れた。


「お父様、その言い方では逆に怪しまれますわ」


 女の子の声が聞こえた。偉丈夫の後ろから、ひょこりと少女が顔を出した。

 黒髪で魔導士風の装束に、手に持った装飾があしらわれた金属の杖。

 年の頃は私と同じか少し年上だろうか。端正な顔立ちに知的な光を湛えた瞳。

 そして「お父様」呼び。口調も立ち居振る舞いも、一目でどこかいいところのお嬢様といった印象を受けた。


「俺はウィン。こっちは娘のエセル。王都の冒険者ギルドから、この辺りの異変の調査に来ている」


 ウィンと名乗った男が、気さくに右手を差し出してきた。

 私はその手を握り返す。分厚い掌。剣だこがびっしりと刻まれた手。


「リリアーネ・アッシュフィールドです。こちらはメイドのステラ。うちに仕える者の家族がこの村にいて、様子を見に来たのですが――ずいぶん深刻そうですね」

「おお、()()()でしたか! これはこれはわざわざご足労いただき恐れ入りますぜ」


(……あれ? 伯爵って名乗ったっけ)


 なんて違和感を覚えながら握手を交わし、ウィンの顔を正面から見た瞬間、小さな既視感が走った。

 この顔をどこかで見たことがあるような。


(誰だっけ……? どこかで……)


 分厚い掌。剣だこ。古傷の残る顔。大剣を背負った偉丈夫。

 ああ――そうかハーラルか。

 うちの傭兵団長に雰囲気が似ているのだ。体格も、歴戦の空気も。

 なるほど、既視感の正体はそれか。

 ……?


「お初にお目にかかりますわ、アッシュフィールド伯爵様。エセルと申します」


 黒髪の少女――エセルが丁寧にスカートの裾を摘まんで一礼した。

 冒険者にしてはやけに洗練された所作だ。


 私はちらりとステラに目を向けた。

 ステラは無表情のまま、ウィンの背後に視線を固定していた。

 口は動かさない。だが、白い尻尾の先がほんの僅かに揺れている。

 ハーラルの時のようにいきなりナイフを投げつけたりはしなかったものの――どうやらステラもこの冒険者父娘に何かを感じ取っているみたいだ。


 だがステラも今は何も言わない。

 リスクは認識しているが、即座に排除すべき脅威ではない――という判断なのだろう。


「わたくしたちはこの森の奥に異変の原因があるのではないかと思い、先ほどまで探索していました」


「何か収穫が――?」


「ええ、簡易的な探査を行いましたの。瘴気の流れを辿ると、この森の東奥に向けて集まっていくことが判明しています」


「探査……魔法でですか?」


「はい。土地の魔力の流れを可視化する探知術の応用ですわ。精度は高くありませんが、おおよその方角と距離は分かります。そちらに向かおうとしたところ、人の気配がしたので引き返したらあなた方と鉢合わせた――ということですわ」


 なるほど、瘴気の流れを魔法で可視化するというのはかなり高度な技術だ。少なくとも私は使えない。

 この二人は冒険者としても相当な手練れらしい。


(素性はわからないけど、かなり高等な魔導教育を受けたお嬢様といったところかしらね……)


「それは心強いですわ。私たちも同じ方向に向かうつもりでしたの。よろしければ、ご一緒しても?」


「こちらこそ。人手は多い方が助かる。念のために聞いておくが荒事の経験は?」


「こちらのメイド――ステラは完璧よ。私は――」


「リリアーネを襲おうとした暴漢を魔力を込めた拳で殴り飛ばしたこともある」


 ちょっ、ステラ! そのエピソードは私が伯爵にあるまじき脳筋女だって誤解を生むから!


「お、おう……伯爵様は勇ましいことで」


「お、おほほほ……」


 ほらぁっ! めっちゃドン引きされた!

 ちなみにエセルもちょっと引いたような眼をしている。


「コホン、この先はもっと汚染が酷くなる。お嬢ちゃ――いや、伯爵様たちは体調が悪くなったら無理せず言ってくれ」


 お嬢ちゃんと言いかけて伯爵様と言い直したことに内心苦笑しつつも、その言葉遣いには年長者としての自然な気遣いがあった。

 偉ぶりもせず、かといって馴れ馴れしすぎもしない。

 人の上に立った経験がある人間の振舞いだった。


 ※


 四人で森の奥へと進む。

 エセルが先導し、ウィンとステラが前後を固め、私は中央で周囲を観察する。

 自然と隊列が組まれたのは、四人全員がそれぞれの経験に基づいて最適な配置を瞬時に判断したからだろう。


 森は奥に進むほど病んでいた。木々が奇妙に変色し、大きく曲がっている。

 呼吸が一つ一つ意識的になる。無意識に深く吸い込むと、胸の奥に異物感が残るような嫌な空気だった。


 しばらく無言で進んだところで、私は足を止めた。


「エセルさん、一つ提案があるのだけれど」


「はい、何でしょう?」


「さっき瘴気の流れを探知できると仰っていたわね。その術を、私の偵察魔法と連携させられないかしら」


「偵察――魔法ですか?」


 私は右手を前に翳し、意識を集中した。

 体の奥底から魔力を引き上げ、掌の上で形を編む。


 ふわり、と。

 黒い燐光が掌から立ち昇り、空中で凝縮していく。

 翼が生え、嘴が尖り、尾羽が伸びる。

 数秒後、私の周囲に一羽の鴉が浮かんでいた。


 エルベ谷防衛戦でもお世話になった、私の数少ないドローン精製魔法――“三羽鴉(トリニティ・レイヴン)”だ

 今回は三羽も飛ばす必要もなさそうなので、今のところは一羽のみを精製しておく。


「鴉の目を通して、離れた場所の様子を見ることができるの。索敵と偵察に使える程度の単純な魔法だけれど」


 鴉がくるりと宙を旋回し、私の肩や頭の上に止まる。

 実体はない。魔力の塊を鳥の形に保っているだけだ。

 だから触れても温もりはないし、鳴き声も出さない。


「まあ……」


 エセルの目が見開かれた。


「失礼ですが、その魔法をどこで……?」


「え? 独学……かな?」


 と、言うよりかは前世の記憶でドローンみたいなの作れたら便利かなって思ったのが切っ掛けだ。ちなみにドローンの形状を鳥にするのは私なりのロマンだ。


「術式は粗いですが、独創的な発想と練度を感じさせますわ。これを独学で?」


「ええ、私、魔法の技術に関しては正直に言って素人なの。きちんとした教育を受けてないから、力任せに形を保ってるだけ」


「力任せ、と仰いますけれど……」


 エセルは鴉と私の顔を交互に見つめる。

 その目にはさっきまでとは違う色が宿っている。


「それで、この鴉にどう連携させたいのでしょうか?」


「あなたの探知術で瘴気の濃度分布が分かるなら、その情報を鴉に共有できないかと思って。鴉の目で地形を見つつ、あなたの探知で瘴気の流れを読む。組み合わせれば、安全なルートと危険な方角を同時に把握できるでしょう?」


「なるほど……鴉を飛ばして広域の地形情報を得つつ、私の探知で瘴気の方向を絞り込む。確かに単独でやるよりずっと効率的ですわね」


 エセルは顎に手を当てて少し考え込んでから、頷いた。


「やってみますわ。――ただ、魔力の波長を合わせる必要がありますから、鴉に触れてもよろしいかしら?」


「もちろん」


 私が鴉を差し出すと、エセルが細い指をそっと翳した。

 淡い緑色の光がエセルの指先から流れ出し、鴉の体表に繊細な紋様を描いていく。


 その手つきを見て、息を呑んだのは私の方だった。

 魔力の制御が恐ろしく精密だ。

 私の(ドローン)に、まるで刺繍を施すように正確に自分の術式を載せていく。

 一針一針を丁寧に縫い付けるような、熟練の魔導士の手業。


(……これが、ちゃんと教育を受けた魔導士の技術か)


 素直に感嘆した。

 私の魔法が適当にこねた粘土細工ならば、エセルの魔法は金細工に精密に施された装飾だ。

 比べるのも失礼なくらいの精度の差がある。


「……できましたわ」


 エセルが手を離すと、探知術を載せた鴉の目がほんのりと緑色に光っていた。


「飛ばしてみるわね」


 鴉が飛び立つ。

 森の空高くに上昇すると、頭上から辺りの地形情報を探りつつ、エセルの探知魔法から寄せられる瘴気濃度を視認化する。


 私は目を閉じ、鴉の視界を自分の意識に引き込む。

 上空からの俯瞰図と瘴気の分布図が頭の中に描き出され、瘴気の流れが赤黒い筋として視覚化されていくのが分かった。


「瘴気が東に向かって収束していくのが分かるわ。エセルさん、あなたの探知すごく鮮明ね」


「あの……伯爵様は鴉の視界と自分の視界の両方を同時に見ているのですか?」


「ええ、そうだけど。まあ慣れかな」


 その言葉にエセルは軽く目を見開いていた。


「へぇ、便利な鴉だな。うちにも一羽欲しいくらいだ」


 ウィンが感心したように鴉を見上げている。


「二百歩ほど先の地上に動く影が一つ。それと――そこを過ぎた先で瘴気の濃度が急激に跳ね上がっているわ」


「獣――だな。しかし、瘴気の影響で凶暴化してる可能性が高い。迂回できるか?」


 私は首を振り、エセルが補足する。


「瘴気の流れはその影の向こう側に収束していますの。迂回すると大きく時間を取られますわ」


「……なら正面から押し通ればいい」


 そう言ってステラとウィンが同時に武器に手をかけた。

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